第7話

 どんなに心が美しかろうと、それを知っていただくきっかけは、哀しいかな見た目であった。この華やかな王宮にあっては、とくにその傾向が強い。


 ――王妃殿下に、〝王宮の宝石〟に戻っていただきます。


 などと言ってみたものの、とどのつまり第一段階の手順としては、クリスティアーノの助言をやめること。つまり、もともとの王妃に戻っていただくことである。


(とはいえ、それだけで陛下のお気持ちを向けさせるのは難しいだろうな……)


 もしもはじめからそれが叶っているのだとしたら、王妃と対面した初日からラブラブになっているはずなのだ。しかし、クリスティアーノのせせこましい策略のせいもあって、いまや陛下はすっかりブランカに首ったけ。王妃の存在を知らしめる隙間など、もはやどこにもないように思えてしまう。


 だが、あきらめるわけにはいかない。

 なぜならば、クリスティアーノに釘を刺してやるなどと、格好のいいことを言ってしまったからである!

 なにがなんでも成すしかない。だが、なにをどうやって?


(もとの装いに戻った王妃を、陛下の興味を惹く存在にするにはどうしたらいいのだろうな)


 プラスのなにかが必要である。

 そう思った瞬間、イオニアスは陛下の依頼を思い出した。

 陛下としてはとどのつまり、美しく幻想的な魔術に彩られた舞踏会で、ブランカと踊りブランカを喜ばせたいのだ。だが、イオニアスにそんなつもりはまったくない。

 まったくないが、使える気がした。

 だって、王妃を復活させる舞台として、舞踏会はこれ以上ない催しではないか。


(……どうやら引き受けなくてはいけないらしい)


 奇跡の一夜を魔術で彩る。そんな舞踏会の主役は王妃だ。

 たんなる舞踏会のためと思うと気乗りはしないし、新たな魔術の使いどころにするつもりもない。けれど、素晴らしい筆記帳の礼と思えば、納得もいく。


 問題は、王宮の広間にどのような魔術をかけ、王妃を輝かせるかである。

 離れに戻ったイオニアスは、アントンを王妃のもとへ使いにやってから、王宮の図書館に向かった。

 隣国に関する書物を何冊か手にし、書斎に引きこもった。



* * *



 書物を調べているうちに午後が過ぎ、アントンが戻った。

 大きなカゴからはみ出すほどの紅茶や菓子をたずさえており、興奮気味にイオニアスに近寄った。


「こんなにたくさんいただいてしまいました!」

「すごいな」

「ダニエラさんから先生と話したことを聞きました。僕もお手伝いしますから、王妃様が戻らなくてもよくなるようにしてください、先生~!」


 そう言った瞬間、アントンはいまにも泣きそうな顔つきになった。どうやらあれこれ聞かされて、王妃に同情したらしい。その涙を止めるには、忙しくさせるしかない。


「もちろん全力は尽くすが、いったん休憩としよう。泣く暇があるなら、そのいただいた紅茶を淹れてくれ」


 アントンが出した紅茶とお菓子をいただく。


「先生、なにを調べてるんですか」

「隣国の成り立ちだ」

 かつて、妖精国と呼ばれた王妃の国。一角獣が草原を駆け、さまざまな妖精が存在していた時代もあったとの記述がある。

 王族は妖精の血を受け継いでいるとされ、寿命は長く、外見は細く儚げだ。


(おそらく陛下は、その特徴こそがお気に召さないのだろうな……)


 だからこそ難しい。

 いったいどうしたら、王妃の魅力が伝わる魔術をかけることができるのだろう。


 休憩ののちに軽い食事をし、イオニアスはふたたび書物に没頭する。そのまま夜が更けるまで考え抜いたものの、結局なにも思い浮かばなかった。

 先生が起きているうちは眠れないという心意気のアントンは、今夜も長椅子に座ったまま、こっくりこっくりと船を漕いでいる。

 いつものことに慣れているイオニアスは、アントンを長椅子に横たわらせて毛布をかけてやった。どちらが従者かわからなくなるひとときである。

 やれやれとふたたび書物を前にして椅子に座り、息をつく。


(……果たして、苦手なものを好ましいと思えるきっかけは、なんだ?)

 

 イオニアスはふと、ダニエラを〝苦手リスト〟からはずしたことを思い返す。クリスティアーノに決闘を申し込みたいと豪語したあれが、おそらくダニエラの本性なのだ――って。


(――ああ、そうか)


 隠さない。王妃の特徴のすべてを、隠すことなく魅せるがいい。

 その魔術のせいで、国王はさらに王妃を遠ざけるかもしれない。危険な賭けだが、それが王妃をもっとも王妃らしく輝かせることができる唯一の方法だ。


(賭けてみるか)


 イオニアスはやっと踏ん切りをつけ、書物を閉じた。 

 すやすやと眠るアントンの毛布をかけ直してやり、テーブルを離れる。ここで終わらせて寝室に向かいたいところだが、今夜はもうひとつだけやっておきたいことがあった。


 未来を読むのである。

 

 とはいえ、この魔術には難点があった。自分に関することはいっさい読めないのだ。

 そのため、舞踏会の賭けがうまくいくか否かの結果はわからない。

 しかし、もしもこのままなにもせずにいたらどうなるのか。それを魔術で問い、結果を読むことはできた。

 つまり、ブランカが公妾になった未来は、読むことができるのだ。


(ありえないだろうが、もしかすれば万が一、素晴らしい公妾となるかもしれないしな)


 そうであれば、自分の感情だけで目くじらを立てることこそ、労力の無駄づかいである。王妃の味方ではありたいが、もしも失敗に終わったとしても、しかたのないこともあると悟れるはずだ。

 ……まあ、それはそれですっきりはしないのだが。

 

 書物だらけの床で、唯一なにも置かれていない空間がある。そこに立ったイオニアスは、両手に杖をのせて呪文を唱えた。

 煙のごとき青い光が杖を包み、大きな巻き物に変化した。

 口の中で呪文を続けながら、巻き物を床に広げる。まっさらで大きな羊皮紙のようなそれに、やがて焦げたような文字がじんわり浮かびはじめた。


 ブランカが公妾の地位についた未来が、次々に描かれていく。

 外面のよさを発揮し、外交の令嬢として讃えられる。他国の賓客とも堂々と渡り歩き、陛下の愛と信頼をひとりじめするに至る。

 やがて、空席となった王妃の座についたが最後、ささやかな装飾品の要求は、やがて賓客を招くためという名目のいくつもの城に変わる。そこで夜どおし行われる馬鹿騒ぎは財政を逼迫させるほどになり、民への税が重くなる。

 民の不満が王族や貴族に向かったときには、すでに手遅れであった。

 国王は廷臣らの信頼を失い、心神喪失となる。ブランカは責任を問われ、グレゴリス家ごと破滅する。

 内乱が勃発し、民の暴動が激化し、混乱の最中に他国が侵略してくる。戦いの火蓋がきって落とされ、国の安寧な日々は終わりを告げる。

 これらはすべて、たった九年の間に起こる出来事であった。


 イオニアスはあまりの記述に呆然とし、固まった。

 まさか、ここまでの事態になるとは。


「……本当に恐ろしい令嬢なのだな」

 

 クリスティアーノを道連れにして破滅していくグレゴリス家は見てみたい気もしたが、いくらなんでも妄想の中でじゅうぶんである。

 それに、これはグレゴリス家だけの問題ではない。

 国家の平和に関わることなのだ!


 ブランカがもたらすこの地獄のような未来を、なぜ兄は読めないのか。いや、読めているとしても、自分がいれば最悪な事態を回避できると過信しているのかもしれない。

 もしくは、まるきり読めていないのか?

 どちらにしても、最悪である。

 そしてもっと最悪なのは、このことを知るのが自分だけということだ。


「……こんな重大な国家危機に、私は一人で立ち向かうわけか」


 これはなんとしてでも、この未来を避けなくては。

 意地でも王妃の存在感を強くして復活させ、陛下とブランカの仲を引き裂かなくてはならない。

 決意したイオニアスは、巻き物を杖に戻した。


(まさか人生ではじめての倒すべき相手が、竜でも魔物でもなく令嬢とはな)


 先祖が聞いたら笑うだろうが、負けるわけにはいかない。もはや王妃のためではなく国のために、全力で奮闘しなくてはならなくなってしまった。


「こうしてはいられない。眠っている場合ではなさそうだ」


 ため息交じりにひとりごちる。

 ぐーすかと心地よさげに眠る従者を羨ましく思いつつ、イオニアスはふたたび椅子に座り、朝まで書物をめくったのであった。

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