第3話

 ウーウーウーウーウーウーッ。

 敵が攻めてきた時の音である。これを聞いたらすぐさま玄関へ行き、あるスイッチを押すのが決まりである。スイッチを押したら一分後に地下へ移動するので大きな建物や高層マンションなどではアナウンスをする。そして一分経つまでの間に各部屋に設置されている固定ベルトをしっかりと巻き衝撃に備える。

 こんな生活は慣れっこである。生まれた時からの習慣だから。母さんも父さんも同じように言っている。これが当たり前。しかし今日は何だか違う。揺れがいつも通りではない。揺れは段々と大きくなっていく。ついに天井に亀裂が入った。

 (死ぬっ)

 そう身構えた時、白い光に取り込まれた。


 「また、うなされていたよ。」

 「ああ、夢か。」


 夢で良かった。もうあんな思いはしたくない。今の夢は本当の出来事だ。今しがたうなされながら眠っていた百瀬蘭華が十歳だった時の夢である。あの後、両親が天井に押しつぶされて死んでいくのを蘭華は見た。蘭華は奇跡的に丁度良い位置にいたため助かっただけなのである。


 「またあの夢?」

 「うん。まぁ、もう終わったことだから。」


 一緒に特別領域に招待され、多くの時間を共にした黒岩嘉威とは今年で結婚して五年目である。しかし蘭華が思うに『特別領域』なんて醜い響きなのだ。外の家族や友人達のことを想うと、今にも心が押し潰されそうになる。世界政府の制度では十歳を超えたならばどんな国家試験も受験することができる。受験料はなしだが、その試験を受けるのには条件がある。一に『知能指数が平均より十ほど高いこと』、二に『事前に受けさせた小テストで満点を取得した者』である。しかし特別領域以外には特別に学校などはなく、勉強は全て自己流か運よく戦前ないし戦時中に教師を名乗っていた者がいてその者に教授してもらえるくらいである。後者は本当に運がよく、特別領域に招待される者のほとんどが後者なのである。因みに蘭華は前者で、地下深くに隠された図書館にて様々な書籍をあさって知識を身に着けた。

 嘉威は後者であったらしいがその事実は蘭華以外の者にはその事実を話していない。後者型の者は皆そうである。誰かから教授を受けたと知らされたら、教授を与えた者が殺されてしまうのだから。恩師を死に追いやりたいものなど存在しない。これで分かったであろう。なぜ、『奇跡的に教授を受けた者』なのかを。特別領域外で教授をとった者のほとんどが今やこの世にいないからである。皆、世界政府軍の手にかかり死に追いやられたからである。


 「おっと、」


 ボトっと、何かが落ちる重い音が聞こえた。見るとシンクの近くに置いてある袋一杯に入っている林檎のいくらかが負荷に落ちていた。その近くにはへらへらしている嘉威がいる。


 「林檎を食べようと思ったら、落としちゃった。」


 そう言って落ちた林檎を拾い上げては、ズボンで汚れた林檎を拭いて一齧りし『うん、今日もうまい』と言った。


 「まぁ、綺麗な水で栽培された果物だもの。美味しいはずよ。」


 そう言うと、蘭華は立ち上がって自分も林檎を食べる。

 そして林檎を食べ終えた二人は一緒に洗面所へ行き、一緒に顔を洗って、歯磨きをし、着替えて、髪を整えたら身支度を終了させる。高校の物理教員である嘉威は鞄を持って家を出る。フリーの小説家である蘭華は一通りの家事を終えると窓際の陽だまりになっていて、街を見下ろすことの出来る特等席でパソコンを開いて小説を書き始める。そうして二人の一日は始まるのである。

 こんな何もない平和な生活がいつまで続くのかもわからない。平和な日常がずっと手の中にあったわけではない。

 実はジャンポは勝利国軍であった。しかし技術だけ搾り取られて、ジャンポの平和は保障すらされなかった。軍事能力がないから戦争には消極的であったため、ジャンポへの評価は高い工業技術や医療技術のみであった。軍事的な評価は一切されることはなく、つまり戦争的には全く評価されていないのである。だからいくら技術的に貢献したとしても全て意味がなかったのである。とは言え勝利国軍であるので政府の人間は世界政府に引っ張られていった。結局、国民のことなど何も考えていなかったらしい。腐った世界である。国民を守るためには、まずは国を守り、国を守るためには自分を守らなければならないが、そんな簡単なものではない。もはや国の代表者争いは壮絶なものである。暴力で戦おうとする者がいれば、金銭権力で戦おうとする者もいる。自分の幸せを手に入れるためには仕方がないことであるがどうしても醜く見えてしまうと、高いところから見ている蘭華はそう思うのであった。

 そんな自分しかできない仕事をしている、自分の席のみしかない場所で胡坐をかいている自分に嫌気がさしてくる。どうせ、平和を手に入れることの出来る人がいるのであれば、それは自分ではないとそう思ってしまう。安全を手に入れるべきは自分なんかではない。もっと平和や安全を必要としている者がいる。そんな事実に嫌気がさしてくるのである。自分の存在を過小評価することでしか、蘭華はこの場所に留まることができない。恐らく、彼女と同じようにして特別領域に送られた者の大半がそうであろう。

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