第10話:記憶にない記憶

 目覚めは、お世辞にも快適とはいかない。

 景信の瞼の下にくっきりと浮かぶ隈が、不眠である何よりも証拠だ。

 あれから眠ろうと努力はしたものの、やはり甘い誘惑に抗えず。うつ伏せは眠りにくいからと、誰からかに指摘されたわけでもなく言い訳をして、景信は虎美の香りの中で悶々とした時間をすごした。ようやく匂いも薄れ、入眠した頃には空はすっかり東雲色しののめいろで鶏のけたたましい鳴き声がアラーム代わりというなんとも古典的な方法によって叩き起こされた。


 恐らく1時間も眠れていない。

 完全な寝不足である景信のコンディションは最悪そのもの。

 ぼやけた世界を映す目を、今にも閉ざさんとする瞼が異様に重く感じる。

 呼気一つすればそれはたちまち欠伸へと変わり、強烈な睡魔が景信に容赦なく襲い掛かる。

 特に拒む必要などない。眠たいのならそのまま身を委ねてしまえば、それで事足りる――それができない状況だから、ただでさえ寝不足で苛立っているところに、この三姉妹の姦しさに景信は頭痛という余計な不調までも患ってしまう。



「ど、どうしたの景信ちゃんすごい隈よ! やっぱりお姉ちゃんと一緒に眠れなくて寂しかったのね……やっぱり今日から虎美お姉ちゃんと一緒に寝ましょうね」

「ちょっと虎美姉、抜け駆けはなしってさっき自分が言ったばっかりじゃん。それなのに昨日ノブの部屋に夜這いしにいくとかマジでありえないんだけど」

「そうですよ虎美姉さま。なので今日はこのわたくしが景信と添い寝します」

「…………」

「そこは私が長女だからに決まってるじゃない。年功序列よ」

「はぁ? 今更年上出すとかマジありえないんですけど」

「年を食ってるだけでダメダメな人間だと尚更質が悪いと思いますよ?」

「……うざい」



 もそりと、つい己の本音をもらしてしまった。

 普段を知る者であれば、女性に対して優しい千珠院景信が無碍にするなどまず絶対にありえない、とそう口を揃えよう。景信の両親は幼少期の頃よりずっと、女性には優しく接するようにと教えてきた。その教えを受けて少年も遵守してきた――救いようのない外道には、さしもの教えも適用しなかったが。


 睡眠不足で意識を保つことさえも景信にとっては苦痛に感じ、そこにぎゃあぎゃあと喧騒まで舞い込めば苛立つのも無理はない。

 そして苛立ちからつい心情を吐露した景信の言葉は刺々しく、愛する弟からよもやこのような言葉掛けをされるとは、きっと微塵にも思ってなかったのだろう――血の気が引いた顔はさながらこの世の終わりでも直面したかの如く。



「ひどいわ景信ちゃん! お姉ちゃんにそんな悪い言葉を使うなんて!」

「ちょっとノブゥ。今のうざいは誰に対して言ったかちょっち姉ちゃんだけに教えてみ? まぁウチじゃないってのはわかっけどさぁ」

「か、景信……まさか、わたくしではありませんよね? そうですよね!?」

「……この際だからはっきり言います。全員少しやかましいです」



 強烈な睡魔と苛立ちに苛まれた景信に、もはや遠慮や謙虚などという言葉は辞書にない。

 三姉妹の明らかな狼狽する態度に意を介することなく景信は大きな欠伸を残して、その場から立ち去った。もうすぐ母の作る朝食を控えている景信であるが、己が身を蝕む睡魔を解消してやらねばせっかくの食事も楽しめない、とそう判断してのことだった。

 幸いにも姉達が彼の行く手を遮ることもなく、唖然とした彼女らを背にして景信は堂々と自室に戻れた。



「…………」



 自室であるのに、どうも心が落ち着かない。

 記憶にないのは仕方がないとして、景信の肉体と心はこの部屋を受け入れることに酷く抵抗していた。他人の部屋を勝手に使っているかのような錯覚も拭えない。

 こんな状態なのだ、最初から安眠できるはずなどなかったのだ。

 かつての生活に少しでも寄せれば、このわだかまりも少しは解消されるだろうか……この際テレビなどがないのには目をつむるとして、この室内にて一際己の存在を主張しているソレをどうにかすれば、少しはマシになるのかもしれない。



「…………」



 ジトッと視線を向けた景信の瞳には、名刀鬼哭啾啾きこくしゅうしゅうが映し出されている。

 至って平凡な生活を送ってきた景信には、無縁の長物である。

 しかしこの世界では、彼が経験してきた知識も守られてきた法も一切通用しない。



「鬼……か。まさか俺が妖怪退治をする家系の人間だったなんて、未だに信じられるかっての」



 平凡な生活を送ってきた主人公がある日、転移した異世界にて謎の力に目覚めあちこちを冒険しその中でかわいいヒロイン達と出会いやがてハーレムを築く……まるでライトノベルのような展開だ。

 そして今正に自身がその主人公としての立場にある――現実はこれは異世界転移でもないし、景信にはもともと鬼と渡り合うための力が備わっていたが。



「常に持っておけ……か」



 そっと打刀に触れる。

 美しい赤き刃を持つ極めて稀有な日本刀が、景信はなんだか己を縛る拘束具のように思えてならなかった。

 それへの興味もすぐになくして、景信はベッドへと身を投じた。

 そっと目を閉じれば、間を置かずして強烈な睡魔が襲ってくる。

 後はこのまま、抗うことなく身を委ねれば心地良い眠りが手に入る。睡眠を何よりも求める景信にこの睡魔を拒む道理はなく、あるとすれば外的要因ぐらいなものだろう――それが音もなく突然やってきた。


 ざざざっ、ざざざざざっ、ざざざざざざざざざざざ――



「な、なんだ……ッ!」



 視界が灰色の砂嵐に覆われて、けたたましいノイズ音と連動してがんがんと激しく頭が痛む。

 偏頭痛だろうか、それにしては痛みが尋常ではない。

 頭が今にもかち割れるのでないか、とそう錯覚するぐらいの痛みに嘔気までもが込み上がってきた。いよいよ自分はこのまま死んでしまうかもしれない……そう覚悟した矢先、経験したことのない激痛が嘘のようにすっと消えた。呼吸を激しく乱し、べっとりと汗を滲ませる景信は前方をジッと凝視した。


 景信の視線の先には壁があるのみ。おかしな部分はどこにもない。

 彼の視界は壁ではなく、異なる景色けしきを景信に見せていた。

 灰色の砂塵が舞うその奥で、とても大きな洋館がどっしりと構えている。初めて目にする洋館に景信が怪訝な眼差しを送る中、1人の少年が映った。その少年はしっかりとした足取りで入館する――その横顔を目の当たりにした景信は、驚愕に目を見開いた。


 何故なら洋館に入っていった少年は――千珠院景信だったからに他ならない。



「お、俺……!?」



 景信が疑問を抱くと同時に、彼の視界は正常な景色を映し出す。

 もうどこにも灰色の砂塵も洋館もない、目の前にあるのは自室の壁があるのみ。

 幻覚、だったのだろうか……それならば自分が映るのはどうも違和感がある。



「……もしかして、過去の記憶か?」



 もそりと、誰に問うわけでもなく景信はその仮説を口にした。

 可能性としては極めて低い。当然ながら景信には先程の光景に思い当たる節は皆無である。


 夢現乖離症候群むげんかいりしょうこうぐん――この謎多き奇病の所為で、景信の記憶はすべて偽りのものへ改ざんされていて、彼がかつての記憶を保持しているなどありえない話しなのだから。


 そう、ありえない……その常識から逸脱する事例が自分であったとしたら――いくらなんでも都合がよすぎる解釈だ。景信は自嘲気味に小さく笑った。しかし先の光景が単なる偶然や、幻覚であったと片付ける気も景信にはなかった。



「…………」



 さっきまであった眠気もすっかり覚めてしまって、二度寝という気分にももうなれない。

 布団に身を預けたまま、景信は思考を巡らせることにした。

 議題は先の幻覚について。夢現共々記憶にない光景を前にして、関心は少なからずある。

 調べてみてもいいかもしれない。心身共に落ち着いたのを見計らって景信は布団から身を起こした。

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D⇔A:SISTERS ~今日もお姉ちゃんが俺を甘やかしてくる~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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