第11話 冬祭り 1

 この一年ティアは狩りに積極的に参加し、その腕を磨いた。小型のシカあたりなら一人でも仕留められるようになり、時には大型のイノシシを狙う最初の一矢いっしを任されもした。そうして狩りでの働きが認められたティアは、その年の冬祭りに初めて一人前の大人として参加を許された。


 当然、祭りの際に取引する品物にも責任を持たなければならないし、自らの将来についても考える機会になる。幼子のようにただ祭りの賑わいにはしゃぐだけでは許されない。祭りに向けて狩りにも積極的に参加し、それ以外の時間には保存用の肉の加工や革細工などもコツコツと準備した。

 

 冬祭りは一年でもっとも規模の大きな祭りだ。かつての人々がスポーツ観戦を楽しんだ巨大な競技場スタジアムの跡地で一週間余りにわたって催される。祭りの開始から終了まで、グラウンドの真ん中では大きな火が焚かれ、その周りで人々は飲み食いを楽しみ、取り引きをし、あるいは恋の相手に巡り合うのだった。


 各地で暮らすパックのリーダー達はこの機会に重要な取り引きをまとめ、情報を交換し、協力しあって、お互いに来たる一年の無事を祈る。

 

 祭りも終盤に差し掛かった五日目の夜、ティアは人々の熱気とワインに酔い、焚き火のあるグラウンドから抜け出してスタジアムのロッカールームやシャワールームのある辺りへとやってきた。


 焚き火の近くでは皆が酒を飲み、あるものはギターを弾きあるものは踊り、子どもたちも夜更かしを許されてはしゃぎまわっていた。その賑やかな声を遠くに聞きながら、どこか静かに休める場所はないかとホットワインの入ったマグカップを片手にスタジアム内を散策していたのだ。


 暗い廊下を歩いていると、どこからかガタンとなにか重い物が動く音がした。ティアはとっさに壁を背にして息を殺し、カップをそっと床に置いて右手で腰に差したナイフの柄を握った。


 冬眠しなかったクマか、餌にありつけない一匹狼か、どちらにしろこの時期にこんなに人の近くでうろついている獣だとすれば厄介だ。追い詰められているせいでとても凶暴になっている。

 

 ティアは壁伝いに進みながら気配のする部屋の中を窺った。ロッカールームは明かり取りの窓から月の光が差し込み、薄暗いながらも部屋の様子が見えた。


 部屋の壁には錆びて朽ちかけたロッカーが一面に並べてあり、部屋の中央にはベンチがいくつか乱雑に置いてあった。そのベンチの陰で、押し殺したような息遣いと、何かが動く気配があった。

 

 ティアはわずかに開いたドアに手を掛け、そっと押し開けて更に中の様子に目を凝らす。するとそこには腰まで届く長い金髪を垂らした青白い女の背中が見えた。


 女の背中は苦しみにもがくように時折大きく仰け反り、苦しげなうめき声を上げる。ティアにはまるで止めを刺される獲物に見えた。突然、ガクリと崩れそうになる女の背中を暗闇から伸びた男の腕が抱き止める。


 その時ティアはようやく何が起きているのかを理解した。まるで強い酒を飲んだように頭に血が上り、耳が熱くなるのが分かった。気づかれないうちに早く立ち去らなければ。


 そう思った時、女が息絶えたように前のめりに男の肩にもたれ掛かり、男は女の背中に流れる美しい金髪を撫でた。


 女の肩が荒い息遣いに上下するのを落ち着かせるように背中を撫でる腕の持ち主の顔が、女の肩越しに見えた。暗い髪に縁取られて影になっていたが、青い瞳が二つ光って、こちらをまっすぐに見ていた。


 ——男はルーファスだった。ティアの心臓は早鐘を打ち、足がすくんで動けなかった。ルーファスはこちらに気づいても慌てる様子もなく、唇の端を持ち上げて小さく笑うと唇に人差し指を当ててみせた。


 ようやくティアは我に返り、弾かれたようにその場を逃げ出した。走り出したときに、床に置いたホットワインのカップを蹴飛ばしてしまったがそのまま構わず走り続けて、みんなが大騒ぎをしているグラウンドまで戻った。息は上がり心臓がうるさく響いて苦しかった。

 

 ルーファスからはティアの姿は暗くて見えなかったはずだ。落ち着いて何も知らぬ顔をしていれば気づかれない。


 大きく深呼吸をして焚き火の明かりが届くギリギリの場所に腰を下ろす。


 するとティアの隣にドサッと座る者があった。動揺していたせいか、すぐ隣に座るまで気配に気づかなかった。ハッとして隣を見るとチェイスがマグカップをこちらに差し出していた。


「どうしたの、そんなに驚いた顔をして」


「何でもない。少しぼんやりしてたから驚いただけだ」


 ティアはチェイスの差し出すマグカップを見て少しためらった。


「大丈夫、ハーブティーだよ。いくら祭りでも酔うほど飲ませないさ。僕が母さんに怒られる」


 チェイスは笑いながら言った。


「……ありがとう」


 ティアはマグカップを受け取り一口飲むと、ようやく少し落ち着いた。


「ティア、何かあった? 様子が変だよ」


 チェイスが心配そうにティアの顔を覗き込んだ。チェイスはこういう事に鋭い。ルーファスとは違ってとても繊細で、人の感情の乱れを読み取る。


「別に、別に何でもない、大丈夫。ホットワインを飲みすぎたせいだと思う」 


「……本当に? 誰かに何か言われたりしたら必ず相談するんだよ」


「うん、分かってる。でも本当に何でもないから」


 二人で並んで座って焚き火を眺めていると、グラウンドの向こう側の出入り口からルーファスが出てくるのが見えた。頭を掻きながら焚き火の周りを歩く途中にも、他のパックの男達や、十代らしい少女たちに声を掛けられている。


 ウィスキーのグラスをすすめられて、飲み干すと、すぐに次を注がれるので困ったように笑っていた。また別の少女からはパイが乗った皿を渡されてそれも受け取ると、一言二言交わしてから何かを探すようにまた焚き火の周りを歩く。やがてティアとチェイスを見つけると軽く顎を上げて笑いかけ、二人の方へ歩いてきた。


「まったく。兄さんは誰にでもあの調子さ。女の子たちはみんな兄さんの恋人になろうって躍起になってるのに。今夜だって一体何人の子に誘われたのやら」


「チェイスは? 誰かいないの? ……その、そういう相手が。チェイスだっていつも女の子たちに囲まれてるだろ」


 チェイスも年頃の男性であり、容姿も整っていて性格も穏やかとあって、相手に困ることはないはずだ。ルーファスの生々しい様子を目の当たりにして動揺したが、チェイスにだってそういう相手がいて当然だということを改めてティアは思い知った。


「僕? 僕は兄さんほどモテないからね。そのうち誰かのお節介で紹介されるどこかのパックの女の子とでも結婚するのかな。だけど僕は狩りの腕もイマイチだからどうなることやら」


「チェイスは頭がいい。それに優しくて、本当はルーファスにも負けないくらい強い。そんなのみんな知ってる。だからきっとチェイスが望めばどんな子だってイエスって言うに決まってる」


 ティアは自分の膝を抱き締めるようにきつく引き寄せ、その膝の上に顎を乗せながら言った。


「……そうかな。だと良いけどね」


 チェイスはそう言って焚き火に目をやりマグに口をつけた。そこへルーファスがやってきてティアの隣に腰を下ろした。シェパードパイやらチキンやらが山盛りになった皿を地面に置き、グラスのウィスキーを一口飲むと、大きく息をついた。


「二人とも静かだな。酒を持ってきてやろうか?」


 ルーファスはそう言いながら、あちこちに酒を配り歩いている子供を探して周りを見やった。


「だめだよ兄さん。ティアにはこれ以上飲ませないで。ティアはまだ子供なんだから」


「そうか、じゃあ何か食うか?」


「いい、お腹へってないから」


 ティアは短く答えた。こうしているといつもの明るくて大雑把なルーファスそのものだった。さっき暗がりで見た、静かだけれど荒々しくて、容赦なく獲物の喉元に食いつくようなあの男はティアの知っているルーファスではなかった。ティアは女の長い金髪とうめき声を思い出して思わず膝に顔をうずめた。


「なんだよ、気分でも悪いのか?」


 ルーファスはティアの背中に右手を置いて、小さく丸まってうつむいたティアの顔を覗き込もうとした。そのとき、ティアの履いている羊皮のブーツが赤黒い染みで汚れているが見えた。血かと思ってルーファスは驚いたが、よく見れば血よりももっと薄い、例えばワインのような染みだった。


「……飲みすぎたんだろう。早めに休め」


 そう言ってティアの頭を軽く撫でた。ルーファスの大きな手で頭を撫でられてティアは体を強張らせた。とっさに顔を上げて、ルーファスの手のひらから逃れるように立ち上がった。


「明日、ゲームには二人とも出るんだろう。ルーファスこそあまり飲みすぎるなよ。私はもう寝る」


「待ってティア、送っていくよ。リンたちと同じテントだよね?」


 チェイスが片膝を立てながら言った。ティアは再び赤くなった頬を見られまいと顔を背けた。


「いい、平気だ。ひとりで戻る」


 そう言いながらティアは走ってその場を後にした。残された二人はティアの背中を見送り、チェイスは再び腰を下ろして焚き火に向き直り、ルーファスはグラスを持ち上げてウィスキーを一口含んだ。


「兄さん、ティアに何かしたの」


 焚き火の炎を見つめたまま、チェイスは静かに呟くように言った。


「何か、ってなんだよ。別に俺は何も……」


 そう言ってルーファスはふと手を止めて、何かを思案しているようだった。


「……ふーん。まあとにかく」


 チェイスは静かにカップのお茶を飲み干して立ち上がった。


「兄さん、誰と火遊びするのも兄さんの勝手だけど、ティアはだめだよ」


「何だそりゃ。誰があんな、」


 ルーファスは苦笑しながらチェイスに答えたが、チェイスはいつになく冷たい表情でルーファスの言葉を遮った。


「とにかく、あの子はだめだ」


 そう言ってチェイスは焚き火に背を向けて去って行き、ひとり残されたルーファスはグラスに残ったウィスキーを飲み干した。


「誰が、あんな」


 口の中で自分の言葉を繰り返し、何と続けるつもりだったのか考えた。あんな「何」だというのか。「あんな子供」か、それとも……。

 はっきりしない、それなのに無視できない「何か」にルーファスは苛立った。

 

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