第12話 冬祭り 2

 逃げるようにしてテントに戻ったティアは毛布にくるまって眠ろうとしたが、まるで耳の中で心臓が脈を打っているようにうるさく響いてなかなか寝付けなかった。ティアはもう何も知らない子供ではない。初潮を迎えたときに、レイチェルから女として生きていくのに必要なことは全て教えられた。


 野生の獣がどうやって繁殖するのかも知っているし、ティアもそれと認める相手ができたらその相手との子供を産むことになる。望まぬ相手の子供を身ごもらないために自分を守らなくてはいけないことも知っている。

 

 ルーファスはティアよりも年上で、もう自分の子供を持つことも考える年齢だ。何よりもルーファスを生涯の伴侶にと望む娘たちは山程いる。狩りから戻った時、夕食のあと、娘たちは先を争ってルーファスの腕にしがみつき、甘えるように上目遣いで話していたし、ルーファスに抱きとめてもらおうとわざと躓いて見せるなんていう場面は嫌というほど見てきた。


 そんな彼女たちにルーファスはいつも笑いかけ、時にはさり気なく背中に手を回してエスコートすることもあった。だからこんなことは少し考えれば簡単に想像できたことだった。ルーファスが望めば娘たちは喜んで彼の腕の中に飛び込むだろう。ケイトだってそうだ。


 ティアはいつだって自分を目の敵にする褐色髪ブルネットの少女を思い出した。いつもルーファスの隣にいて、話をするときはルーファスの胸にもたれているし、ルーファスだっていつもケイトの腰に腕を回して抱き寄せている。狩りに行かないときは二人で一緒にいるのを何度も見たし、ついこの間は階段の陰でキスをしているところに出くわしてケイトに睨まれたばかりだ。それなのに、あの金髪はケイトではなかった。考えるほどに混乱してよくわからなくなり、ティアは毛布の中で何度も寝返りを打つばかりで一向に眠れなかった。


 明くる日、よく晴れて寒い朝だった。ティアは冷え切った鼻を暖めるように両手で口元を覆って息を吐く。一晩中燃え続けた焚き火のそばで女達が忙しそうに卵やベーコン、パンを調理し、あたりにはコーヒーの芳香が漂っていた。ティアは女からコーヒーをもらうと近くのテーブルに腰を下ろした。


 すると向こうのテントからあくびをしながらルーファスが出てくるのが見えた。ティアはさり気なく座る角度を変えてルーファスの方に背を向けた。昨夜の事があったせいかどうにも気まずさがつきまとう。


 コーヒーのマグカップを両手で包み、無意識に顔を隠すような格好で口をつけながら様子を伺うと、そのままルーファスはタオルを片手にシャワールームのある方へ歩いていった。ティアは内心ほっとしながらコーヒーを飲み干し、身支度をしにテントへ戻った。今日は祭りでも一番人気のイベントであるキツネ狩りが行われる。


 朝食を済ませ、子どもたちはそれぞれ自分の年齢に合ったゲームを楽しみ、賞品の菓子や土産物を持ち寄って賑やかにはしゃいだ。大人たちは、この機会を逃すと手に入れにくい工芸品や生活用品などの取引交渉をし、慌ただしく過ごして午後から行われるゲームに備えた。


 ティアもレイチェルを手伝ってベーコンや塩漬けの肉や毛皮と、羊毛や塩やワインを交換する話をまとめ、レイチェルから滅多に手に入らない甘いケーキを一切れ貰ってようやく一息付いたのはゲーム開始まであと三十分に迫った頃だった。


 オーウェンのパックからはルーファスとチェイスの二人が揃って出場すると言うので、十代の少女たちは皆そわそわとさざめき立ち、オーウェンとレイチェルは二人並んで観客席に座っていた。


 二人はティアを見つけると右手を上げてティアを呼ぶ。彼らの隣に腰掛けそっと周りを見回すと誰もが飲み物を片手に談笑し、開始の時を今かと待ちわびていた。前を見れば客席の最前列にはケイトとその友達が並んで座り、楽しそうに頭を寄せ合い時折キャッキャと声をあげて笑っていた。


 彼女たちの目当ては間違いなくルーファスとチェイスの二人だろう。二人とも弓の腕は確かなのでどちらが勝っても不思議はない。少女だけでなく大人たちにとっても見応えのあるゲームになるのは確実だった。


 やがて係の男たち数人に続いて弓を手にした参加者が現れた。今年は全部で十名の参加だ。ルーファス、チェイスの他に八人。女性も二人並んでいた。年齢は二十代前半と、もう一人が三十代になるかならないか、というところだった。


 ティアはいずれ自分も出場して練習の成果を試したいという思いと、これほどに晴れがましい場に気後れする気持ちで複雑だった。出場者の女性は二人とも背が高く、均整の取れた体つきでかなり体力には恵まれていそうだった。


 ティアは身長が百六十センチを少し超えたばかりで、体重もまだ随分軽い。大型の弓を構えたときには力の差がはっきりと出てしまうだろうと思われた。ティアは二人を眺め、自分ももう少し身長が伸びたら、とため息を付きながらレモネードを口にして舞台を見つめた。


 割れんばかりの大歓声の中、合図と共に十人の射手が一斉に矢を放つと今年のキツネ狩りが始まった。予想通り一射目からルーファスとチェイスの二人が胴体の真ん中に命中させ、他との差を見せつけた。ティアは二人の女性に注目していたが、どちらも一射目は命中しなかったようでティアは残念に思いながら、次こそはと密かに応援した。


 二射目からは全員が精度を上げていき、兄弟はどちらもキツネの首に命中させ、残る八人も胴体と下腿を射抜いた。ティアは年長の女性射手を応援して叫んだが他の皆はルーファスとチェイスの勝負の行方に夢中だった。


 最後の一射、会場が静まり返って見守るその勝負の行方は、意外な結果に終わった。チェイスの黄色い矢がキツネの首を射抜き、女性射手の青い矢はキツネの心臓の辺り、その他の七人もキツネの胴に命中させたが、ルーファスの白い矢はキツネを逸れてその後ろにある板に刺さって細かく震えていた。


 会場は一拍の沈黙を挟んだ後、喝采と驚愕と落胆と、およそ全ての感情を込めた歓声に包まれる。ティアが応援した女性は準優勝という素晴らしい結果を残したが、他の者達と同じくティアも驚いてそれどころではなく、呆然としてルーファスとチェイスを見た。会場の歓声を受けてルーファスは笑顔で手を振ったが、ティアにはチェイスの表情が曇っているように見えるのが気がかりだった。


 表彰を終えて人だかりから解放された二人の姿を探すティアに、どこか押し殺したような低い声で話す兄弟の声が聞こえた。控えのテントの中から聞こえる二人の声にティアは声をかけようと開きかけた唇を結んでその場に硬直した。


「どういうつもりだ、ルーファス!」


 普段は優しげで口数の少ないチェイスが声を荒げている。


「どういうも何も、最後にちょっとしくじっただけだ」


 いつも通り掴みどころのない調子でルーファスが答える。


「嘘だ! あんな距離で兄さんが外すわけないだろう! どうして頭を狙わなかった!」


「だから手元が狂って外れたんだよ」


 弟を宥めるような口調でそう言い、ルーファスはチェイスの肩に右手を置いて軽く叩いたが、チェイスはその手を払い除けるとルーファスを睨みつけ、恐ろしく冷静な口調で言い放った。


「僕は兄さんに何も譲られるつもりはない。欲しいものは自分で手に入れる。兄さんから奪ってでも」


「大袈裟だな。あんなゲームの賞品なんてせいぜい――」


「賞品の話じゃない」


 肩をすくめて苦笑いのルーファスを遮って、チェイスは鋭く切り付けるように言った。


「誤魔化さないでくれ、兄さん。分かってるだろう」

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