第10話 獲物

 今日は風もなく絶好の狩り日和で、得意の弓矢の腕を存分に活かせるとあって朝からティアは上機嫌だった。――食堂でルーファスに話しかけられるまでは。おかげでまたケイトら少女達に噂話の的にされ、身を縮めながらそそくさと食堂から逃げ出す羽目になった。



*****

 

 

 オーウェンの二人の息子、兄のルーファスは赤毛で、柔らかく波打って肩甲骨に届くほどの長さがあった。短く刈ってしまえば楽で良いのだが、寒さへの抵抗と急所の保護のために、多くの者は髪を長く伸ばしている。

 

 父親に似て広い肩幅と厚い胸の大柄な青年だった。十二歳まではひょろっとしていて背も他の子供とあまり変わらなかったが、髭が生え始める頃から急に背が伸び始め、十七歳の誕生日を迎える頃には父親のオーウェンよりも大きくなっていた。ティアより四つ年上で今年二十歳はたちを迎える。


 弟のチェイスは、十八歳で髪や目の色は父親似で蜂蜜色ダークブロンドの髪に琥珀色こはくいろの瞳をしていた。やはり背は高かったが体つきと顔立ちは母親似でルーファスより細身だった。兄は父親そっくりで髪と瞳は母親似、弟はその逆で母親似の優しい顔立ちに父親譲りの髪と瞳だった。そんな二人はいつでも年頃の娘たちの注目の的で、しょっちゅう声を掛けられては話し相手をさせられていた。


 ルーファスは気さくな態度で来る者は拒まずの姿勢だったので、一人でいればすぐに少女たちに囲まれるものの、誰にでも同じように接しているので誰とも真剣な交際には至っていなかった。チェイスも劣らず人気があったが、こちらはルーファスよりはいくらか初心うぶで、少女に言い寄られると困ったような顔をして微笑むばかりなのでこれも特に関係が深まる様子はなかった。

 

 そんな二人の兄に可愛がられたティアだが、実際彼らとは血縁関係にない。その点がティアの立場を複雑にしていると言える。

 それでも日帰りの狩りに参加するようになってから、ティアは自分の仕事への責任感で充実した毎日を送っていた。


 詮索好きな女達と一緒にいると、決まって夜には悪夢にうなされていたのが、獲物の足跡を追って森を駆け回るようになってからはずいぶん楽になった。



 *****



 今日の狩りも日帰りの予定で、男達の狙いはイノシシかシカ、ティアは毛皮を狙ってキツネかウサギを追う。朝食の後、身支度を整え集合場所に行くとすでに何人かの男達と、チェイスがいた。少し遅れてオーウェンとルーファスも姿を見せると男達は顔を上げ、二人に注目した。ティアも部屋の隅からからオーウェンの挙動に注目し、彼が口を開くのを待つ。


「今日は予定通り南へ足を伸ばそうと思う。少し距離があるが、体調に不安があれば今のうちに申し出てほしい」

 

 そう言ってオーウェンは皆を見渡す。ルーファスがほんの一瞬ティアの方を見たが、ティアはそれに構わず真っ直ぐにオーウェンを見ていた。やがて一同はそれぞれに身支度を整え、日の出から一時間余りが過ぎた頃、学校を出発した。

 

 目指すのは周辺の狩場の中でも特に平坦な場所だ。学校の周囲の森の中は、二十メートルを超える巨木が地表を覆い隠すように密集しているせいで、常に薄暗く湿った空気に満ちていたが、その狩場は森と比べて低木がまばらに生えている程度で、地面も起伏がほとんどないため移動が楽な場所だった。

 

 狩人達は二時間ほど馬を走らせて目的の狩場に到着すると、木立に馬を繋いで狼犬を呼び集め、四、五人ずつに別れて狼犬を伴って獲物の捜索を始めた。狼犬を放すと、すぐに獲物の匂いを嗅ぎつけて、獲物を囲むように少しずつ距離を詰めながら伏せて待機する。


 そして射手が矢を射掛け、獲物の足が止まったところを他の者が狼犬たちと共に素早くとどめを刺す。体が大きい獲物は急所に矢が刺さってもすぐに絶命しないのでチームワークが重要になる。


 ティアは小型の獲物を一人で追った。拓けて日当たりの良い場所では下草が生い茂り、小動物が身を隠すのに適しているためウサギやキツネが数多く生息している。ティアは昼になる前にキツネ一匹とウサギを二羽仕留めたが、集合時間まではまだ余裕があったので、キツネをもう一匹仕留めようと茂みに身を潜めていた。息を殺して辛抱強く待ち続けていると、数メートル先の茂みを揺らしてウサギが顔を出した。レイチェルにキツネの毛皮を贈ろうと思っていたティアは期待が外れてがっかりしたが、気を取り直してウサギに狙いを定め、弓を引く。


 仕留めたウサギの元へ走ったティアは、地面に違和感を覚えた。土の感触が妙に硬く、不自然に滑らかだったのだ。ティアは両手で土を浅く掘った。すると鈍い光沢のある平らな塊に手が触れる。さらに土を払うようにその塊を掘り起こそうとしたが、どうやらそれは板状で、それもとても大きな物のようだった。


 ティアの足元に数メートルにわたって敷き詰められているようでとても拾い上げられる大きさではなかった。板状の金属の端を探してティアが探ると、ハンドルのような物があった。明らかな人工物で、不思議なことに他の遺跡や廃墟と違って劣化が見られない。そのうえ隠そうとする意図をはっきりと感じる、それは何かの扉だった。

 

 軽率に扉を開くのはあまりに無謀だと判断し、ティアはひとまずそのままその場を離れることにした。集合地点に戻る途中で、一人で狩りをしていたらしいチェイスと合流した。ティアの獲物を見てチェイスが言う。


「今年の祭りにはウサギの毛皮を持っていけばいい。すぐに売り切れるよ」


「そうだといいな。――ほんとうはキツネを狙ったんだけど一匹しか仕留められなかった」


「キツネの毛皮は貴重だからね。何と交換したいの?」


「いや、レイチェルに新しいコートを贈ろうと思ってたんだ」


「母さんに? ……でもティア、キツネの毛皮なら真珠だってエメラルドだって、ティアの欲しいものと交換できるのに」


「そんなの要らない。なんの役にも立たないだろう」


 ティアは怪訝な顔でチェイスを見上げる。チェイスは少し驚きはしたものの、すぐに微笑んでそうだね、と小さく呟いた。二人が集合場所に戻ると、男達が集まって何かを話していた。オーウェンとルーファスの姿もある。談笑しているわけではない様子の男達の輪の中にチェイスとティアも加わる。


「父さん、兄さん、一体どうしたの?」


 ティアも誰か怪我人でも出たのではないかと心配して皆の視線の先にあるものを見た。


「チェイス、ティア、無事で何よりだ」


 オーウェンは二人をねぎらってから再び足元にあるそれに視線を落として続けた。


「ホルヘ達が仕留めた獲物だ」


 そう言って示したのは皆の輪の中心に横たわる、見たこともない獣の死体だ。それはまるで毛皮を剥いだ丸裸のイノシシのようだったが牙はなく、頭も小さい。体ばかりが太って巨大だ。薄い毛が生えただけの体は赤ん坊のように無防備で、これでは森で冬を越せないだろうとティアは思った。


「これは――」


 そう言って言葉を失ったチェイスにルーファスが答える。


「豚、じゃないかって話だ」


「豚?」


 チェイスが不思議そうに聞き返し、ティアも心の中で全く同じように呟いていた。


「ああ。昔、人間が飼ってた家畜らしい。詳しくは戻って調べないとなんとも言えないが――問題はだ」


 そう言ってルーファスは横たわる豚の頭部を指した。二人は再び豚の様子を見ると、豚の耳には番号の書かれた札が付いていた。

 

「とにかく、こいつをこのまま置いていくわけにも行かない。持ち帰って詳しく調べよう。事情がわかるまでは皆にはこの事を伏せて欲しい。そしてこの狩場はしばらく様子を見る」


 オーウェンがそう言って、一行は帰路についた。ティアはさっき見つけた扉のことが頭から離れなかったが、なぜかそれを口に出すのを躊躇った。


 落ち葉が厚く積もる森には、間もなく冬が訪れようとしていた。

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