第42話 灯火を消す感触




「貴女、あのお方に馴れ馴れしくしすぎじゃないの?」


 ディゼルは信者の一人である女性にそう言われ、首を傾げた。

 突然呼び出されたと思えば、何を言うのか。ディゼルには彼女の言っている意味が理解できなかった。馴れ馴れしくした覚えはないし、そんなことをたかが信者に言われたくもない。


 悪魔信者である彼女はディゼルが悪魔に贔屓されているのが気に入らないのだろう。

 しかしディゼルにとって自分は悪魔への贄であり、他の人間と大差ないことを知っている。それだけの価値しかない。強いて言うなら、食べ頃を待ってもらえているだけ。

 たまたま自分が悪魔を呼び出す時の贄として使われた。自分の魂が他の人間より少しだけ悪魔好みであった。それだけのこと。

 ディゼルは自分の価値を理解してる。分からないのは、二人の関係を知らない部外者だけ。


「……仰る意味が、よく分かりません。私は悪魔様の贄。それ以上でも以下でもありませんよ」

「だったら、なんで貴女と一緒にいるのよ。二人きりになれるのよ! 贄だと言うならさっさと食べられなさいよ! そうよ、あんたを生贄にすれば、私の願いを叶えてくださるかもしれない!」


 醜く顔を歪ませる女に、ディゼルは小さく溜息を吐いた。

 なんて愚かなのだろう。悪魔が彼ら信者に望んだのは、彼が好む良い魂を連れてくることだった。だけど良質な魂を持つ物を連れてくることはなく、悪魔は不満げだった。

 これで自分の願いを叶えてもらおうだなんて、悪魔を馬鹿にしてる。ディゼルは彼らに対してずっと苛立ちを抱えていた。


「信仰している、などと仰る割に……悪魔様のことを何も理解していないのね」

「は?」

「貴女は悪魔様に何を望むの? 他者を犠牲にしてまで、叶えたい願いとは何?」

「決まってるでしょ? 永遠の幸せよ! 私を見下す奴を全て悪魔に捧げて、私は幸せになるの!」


 何度目の溜息だろう。ディゼルはそのうち体から空気がなくなってしまうのではないかと思った。

 悪魔を神が何かと勘違いしてるのだろうか。彼女は他の信者とは何か違う。悪魔と向き合う姿勢が異なるのだ。

 他の者のように崇拝すらしていない。

 都合のいい道具のように捉えている。


 許せない。許してはいけない。


「…………嗚呼。このような者に、悪魔様の手を煩わせる訳にはいきません……」

「な、なによ……」


 先程までのディゼルと雰囲気が変わり、女は後退りした。

 怖い。頭の中がたった一つの感情で埋め尽くされていくのが分かる。

 目の前の女は、自分に対して殺意を持ってる。逃げなきゃ殺される。分かってるのに、恐怖で体が動かない。


「ち、近付かないで……!」


 信者の女は悲鳴のような声をあげた。

 そんな彼女の怯える様子を見ても、ディゼルの心は少しも動くことはなかった。


 ドクドクと脈を打つ首筋に手を添えて、ゆっくりと力を込めていく。

 女は必死に抗うが、力の入らない体ではディゼルの手を振り払うことが出来ない。いや、もし正常な状態であったとしても無理であっただろう。ディゼルの体はもう、普通の人間とは違うのだから。


「がっ……」

「あの世で悔いてくださいね。悪魔様を愚弄したことを……そもそも、私は貴方達のような信者の集団というのも好きではないんです。悪魔を信仰? 笑わせないでください。贄を捧げることで願いを叶えてもらおうとしてるだけなのに、己の望みを叶えるためだけの手段としか見ていないくせに……本当に信仰しているなら、崇めているなら、自分の命くらい捧げてみなさいよ。そんな簡単なことも出来ないで、悪魔様に近付こうとしないでください。聞こえてます? 何か仰ってください。……あら?」


 ディゼルが信者達への不満を語っている間に、女は死んでいた。手を離すと、女はドサッと音を立てて床に倒れた。

 もう動くことはない。ディゼルは自分の手のひらをジッと見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。


 今までも自分のせいで沢山の人が死んでいった。

 そして今回は、自ら人の命を奪った。


 後悔している訳じゃない。だって彼女は愛する悪魔に対して許されないことをしたのだから。

 しかし、手のひらに残る生々しい感触が、消えてくれない。


「クックック……どうだ? 人を殺した感想は」

「……悪魔様」


 二人の様子を終始見ていた悪魔が現れ、ディゼルの顎をクイっと持ち上げた。

 悪魔自身もディゼル自ら手を下すとは思っていなかったのか、今まで以上に楽しそうな表情を浮かべている。


「……言葉に出来ません。ですが、あまり気持ちのいいものではありませんね」

「そうか。だが、お前の魂はより一層美味くなっている。本当に、お前の魂は底が知れないな。もっともっと、ドロッドロになるところが見たくて仕方ない……」

「悪魔様が望むのなら、私はどれほど血に塗れても構いません。ただ願うだけの彼らとは違うのです」

「そうだな。もうアイツらの相手も飽きたし……ディゼル、俺の願いを聞けるか?」

「ええ、勿論です」


 ディゼルはふわりと微笑み、悪魔の口付けを受け入れた。




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