第11話 不幸と言う名の幸福



 町に不穏な空気が流れ始めて、さらに数日。

 今日もアインはディゼルの元に会いに来ていた。ディゼルは変わらず優しい笑顔で花を売っている。

 花を慈しむ彼女に、アインは思わず見惚れてしまいそうになった。


「……ディゼル、おはよう」

「アイン。おはよう、今日も来てくれたのね」

「もちろんだよ。君の顔を見たいからね」

「ふふ。またそんなこと言って。レイナさんに怒られるわよ」

「……ディゼル。僕は」

「そうだ。今日は新しいお花を入荷してみたのよ。どう、綺麗でしょう?」

「……そうだね。とても綺麗だ」


 赤い花を手に持ってふわりと微笑む彼女に、アインはキュッと胸に小さな痛みを感じた。

 やはり彼女の笑顔を見るとドキドキする。誰にもこんな感情を抱いたことはない。アインはいつものように花を買い、いつものように自分の気持ちを告げる。


「ディゼル。僕は君を愛してる。君が僕の求婚を受けてくれるのであれば、レイナとは……」

「またそんなことを……駄目よ、そんなことをしてはレイナさんが悲しむでしょう? それに町長様だって」

「でも、僕は君を一人にしたくないんだ。僕と結婚すれば、家族になれるんだよ。きっとみんなが君を祝福してくれる。そうしたら、もう誰も君のことを疑わないし、不幸だとも思わない」

「アイン。私はね、自分を不幸だと思ったことはないわ」

「ディゼル……」

「確かに私はとても幸せだとは思えないような目に遭ってきた。でも、不幸だとは思ってない」

「何故?」

「こうして、生きているからよ」


 真っ直ぐ目を見てそう言われ、アインはそれ以上何も言えなかった。

 ディゼルの瞳は何の曇りもなく、強がってそう言ってるわけでもない。彼女は自分の生い立ちに後悔も何も感じていないと言うのだろうか。アインはディゼルの心の強さに言葉が何も出てこなかった。


「毎日毎日、こうして当たり前のように生きていられる。当たり前のように息をして、体温を感じて、あなたとお話も出来て……食事をして、花を慈しむことも出来るの。とても幸せなことじゃない」

「……でも、周りはそう思っていない」

「構わないわ」

「悲しくはないのかい?」

「ええ」

「…………僕のこと、どう思ってる?」

「大事な友人だと、思っているわ」

「そう、か」


 アインは彼女の目に自分が映っていないことを察し、花をギュッと握り締めて屋敷へと帰っていった。

 そんな彼の背中を見送るディゼル。ふと、誰かの気配を背に感じて振り向いた。

 姿はない。だが、そこに誰かの気配は感じられる。ディゼルにはそれだけで十分嬉しかった。


「寂しい背中だな。あれも諦めが悪い」

「悪魔様」

「そろそろ潮時じゃないか? いつまでこの村にいる気だ」

「近いうちに、去ります」

「今回は結構長くいたな」

「……ええ。そのせいか、沢山の人が死にました」


 前回の村では人々が苦しむくらいで、死ぬことはなかった。

 ディゼルは自分のせいで人が死ぬのを目にして、少しばかり精神が疲弊していくのを感じた。だがこの苦痛も悪魔の餌になる。そう思うことで心を保っていた。

 いずれ、トワも悪魔を追ってこの町に来る。その時、自分の家族が原因で街に混乱を招いたと知って苦しむことになるだろう。

 それを想像するだけで、笑みが零れる。


「クックック。お前は不幸を呼ぶ。それがお前に掛けた呪いだ。そしていつかお前自身を悪魔だと、そう呼ぶだろう。そうしてお前が誰からも忌み嫌われ、孤独へと落ちていく。こうして得た不幸を糧に、お前は俺と共に永遠を生きる。悪魔のようにな」

「あなたと、同じように?」


 姿なき影が、ディゼルの頬を撫でる。

 彼の肌の冷たさが感じられず、ディゼルは少しだけ寂しく思うが、こうしてずっと自分のそばにいてくれる。

 今まで一人だった彼女には悪魔の存在が何よりも心の支えとなっている。悪魔の呪いでさえ愛おしいものなのだ。


「ああ、そうだ。どんなにお前が自身の不幸を認めずとも、そうやって生きながらえている時点でお前は不幸なんだ」

「じゃあ、もし私が死んだら、それは幸せになってしまったから?」

「そうなるな」

「そうなのですか。じゃあ、私にとって不幸こそ幸福なのかもしれませんね」

「……ふ、っふっふ。アハハハハハ! 随分と闇に落ちてきたようだな。嫌いではないぞ」

「ありがとうございます」


 前世の記憶にあった物語は主人公であるトワ目線で描かれていたため、物語の中のディゼルが何も思っていたのかは分からない。そもそも物語のディゼルは早々に悪魔に意識を乗っ取られていた。彼女の意思を知る術はない。


 彼女は何を思っていたのだろう。今の自分と同じようにトワや家族を憎んでいたんだろうか。

 ただただ未練を抱えたまま、死んでいったのだろうか。そう思うと、心が酷く痛む。

 今の自分は悪魔と出逢い、命を与えられ、こうして生きている。これほど幸せなことはないだろう。

 周りに不幸だと思われても、嫌われても構わない。


 不幸こそ、至福。この矛盾が、愉快で仕方ない。

 悪魔は喉を鳴らし、笑う。



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