第4話

 あの提案の夜から時が過ぎた。真夏だった季節は終わりに差し掛かる。

 藤吾は相田から教わりながら畑仕事に精を出して、たまに相田の田んぼにまで足を運ぶようになった。相田は変わらずガッハッハと豪快に笑って藤吾に明るく接した。二人は昼になれば一緒におにぎりを食べて過ごした。

 相田はお嫁さんが握ってくれたげんこつ程の大きさのおにぎりを大口を開けて食べる。藤吾のおにぎりは琥珀が握って持たせてくれる。綺麗に握られたおにぎりの中身まで琥珀の手作りと、手がかかったものだ。申し訳ないと伝えたが、逆に楽しんでやってることだからと窘められてしまった。今では毎昼の楽しみになっている。

 二人で並んで昼御飯をとっていると、老婆が歩いてきた。

「中田さんこんにちは!」

 相田がすぐに声を掛け藤吾もそれに続く、中田と呼ばれた老婆は村で一番高齢の女性で、齢99にして健康のためにと散歩を欠かさず、背筋はしゃんとして年齢を感じさせない、歩みこそ遅くともその足取りはしっかりとしている。

「こんにちはお二人さん、仲がよくていいわねぇ」

 中田は笑顔で応える。

「いやあこの年になっても新しい友達はいいもんですよ!」

 相田はガッハッハと笑い声を上げる。藤吾もこくこくと頷いて同意した。

「友好に年月は関係ないわよ、私だって新しく彼氏ができたんだから」

「ええ!?」

 中田の衝撃的な告白に思わず二人とも声を上げる。

「嘘よ、こんな婆の嘘も見抜けないなんて二人ともまだまだね」

 そう言って大口を開けて笑う中田を見て、相田もガッハッハと腹を叩いて笑い、藤吾も二人に比べて大人しめではあるが笑った。

 三人は暫し談笑して別れた。ゆっくりと歩き去る中田の背中を見届けると、相田と藤吾もそれぞれ田んぼと畑に戻った。

 畑に戻った藤吾は作業になれてきたためか、昼までにやることの殆どを済ませてしまっていて、手持ちぶさたになった。相田を手伝いに行こうかと考えたが、所用で出掛けると聞いていたのでそれも出来ない。空いた時間を埋めるため、あの日琥珀と二人で夜空を眺めた縁側に座って、一人夏空をぼんやりと眺め始めた。

 あれから琥珀の提案を中々実行できずにいた。関係性が悪くなった訳ではなく、ただ「思い出交換」の時間が取れなかった。

 琥珀が通っている高校で文化祭が催される。その準備に忙しくしているようだ。

「私が言い出したのにごめんね」

 そう言って時間が取れないことを謝罪されたが、藤吾は少し胸を撫で下ろしていた。思い出、つまり過去を掘り起こすことに前向きな気持ちにはなれなかった。琥珀が聞きたいと願うのであれば藤吾は何でも答える気でいた。元々何もかもを終わらせるつもりで流れ着いて、偶々そこで出会った事で命を繋がれて、生きる場所をくれた事に心から感謝しているからだ。

 それでも尚気は重い、藤吾にとって過去は未来へ進む足に絡み付く重石でしかない、それに今の生活が破綻してしまうかも知れない不安もあった。自分を語れば陰鬱な気持ちになるだろう、気分が落ち込んでまた無気力な状態になってしまうのかもと藤吾は考えてしまう、そうなればここに置いてもらえなくなってしまうのではないか、次々浮かぶ暗い思い付きに藤吾の体は震えた。不安な気持ちを押し込めるようにぎゅっと体を縮ませ、震えが止まってくれと藤吾は願った。

「ただいま」

 太く低い声が玄関から聞こえてきて藤吾は我に返った。急いで玄関に向かうと仕事に行っていた老田がいつもより早く帰ってきた。

「お、お、おかえりなさ、い」

「おう、仕事にぽっかり穴が空いたから早引きしてきたんだ」

 老田は玄関から上がって藤吾の前に立つと言った。

「それで、そんなに青い顔して何に悩んでるんだ?」

 驚く藤吾の頭に、老田は優しくぽんと手を置いた。


 藤吾は悩みのあらましを打ち明けた。何でもないとはぐらかし押し黙る事も考えたが、真剣に心配そうな老田の顔を見たら、自然と口と手が動いた。

「そうか」

 久しぶりに筆談も交えて話し終えると、老田は一言だけそう呟いた。

「喉乾かないか?」

 そう聞かれて喉が痛いほどパリパリに乾いている事に気がつく、藤吾が頷くと、老田は麦茶をコップに注いで持ってきた。藤吾も老田も麦茶を一息で飲み干した。

「お前をこの家に置いたのは琥珀の望みだ」

 一間空けて老田が口を開く。

「琥珀が秘密の場所と呼んでるあそこで藤吾を見つけて家に連れてきた時、俺には琥珀の望みが直ぐに分かった。それで多少強引だったがここにいて欲しいと願った」

 藤吾は黙って頷く。

「琥珀の考えは俺には分からない、ただ思い出を交換したいって事は藤吾の事を知りたいのと、自分の事も知って欲しいということだろう」

「そ、そうなんですか?」

 老田はこくりと頷く。

「琥珀も迷ってるんだ、今のお前と同じようにな。だがよ絶対約束事を反故にしないやつだから、もう少しだけ待ってやってくれ」

 その真剣な顔を見て藤吾は少し安心感を覚えた。何故そう思ったのか理由は分からない、しかし老田は真剣に藤吾の事を考えてくれている。その事実だけでも心を強く支えてくれるのかもしれないと藤吾は思った。

「あ、あ、あの、あ、ありがとうございます」

 思いがけない謝礼の言葉に老田は面を食らう。

「り、理由は、まだわ、分からないですけど。老田さんも琥珀さんも僕のことかん、考えてくれてる。そ、そ、それが僕は嬉しい」

 藤吾はゆっくりとでも喋りきり、その言葉を聞いて老田はぎゅっと口をつぐむ、少しの複雑な表情の後柔和に顔を緩めて「そうか」と一言呟いた。

 二人は入れ直したお茶に同時に口をつける。無言に時が過ぎても、二人の間と口を空気は穏やかに流れた。そうしていると「ただいま」と明るい掛け声で琥珀が帰ってきた。


「藤吾さん、今日いいかな?」

 夕飯を終えて片付けを手伝っている時、琥珀から声を掛けられた藤吾はそれを聞いて頷いた。藤吾の承諾で琥珀はにっこりと笑うと「またね」と藤吾に耳打ちした。

 夜、またしても先に縁側に腰掛けていたのは琥珀であった。この辺りは真夏を過ぎると夜風も肌寒い、琥珀は薄手のカーディガンを羽織っていた。

「こ、琥珀さん」

「藤吾さん、待ってたよ」

 藤吾は琥珀の隣に腰を下ろす。寒くないかと聞かれた藤吾は大丈夫だと返した。

「待たせちゃったね」

 会話の口火を切ったのは琥珀だ。藤吾は返答に困ったが、素直に「少しだけ」と答えた。

「ごめんね、私の提案だったのに」

「そ、そ、それは、だ、大丈夫です。も、問題ありません」

 藤吾はそれだけははっきりと否定した。

「お、お、老田さんにもは、話しました。ぼ、僕は琥珀さん達が、僕のこ、ことを考えてくれているだ、だけで嬉しいです」

 琥珀はそれを聞いて優しく微笑んだ。

「そっか、おいちゃんがフォローしてくれたんだね」

「あ、改めて、ど、どっちからは、話しますか?」

 琥珀は空を見上げてふぅと息を吐くと「私から」と言った。

「私はおいちゃんに拾われた捨て子、拾われたのは藤吾さんと出会った場所、おいちゃんに見つけてもらえなければ私はあの場所で終わる命だったの」

 琥珀の告白に藤吾は時が止まったかのように感じた。藤吾がたどり着いて終わりを目指した場所は、琥珀が拾われた命の始まりの場所だったのだ。

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