第3話

「じゃあかっちゃんが色々教えてくれたんだ」

 琥珀と台所に並び立ち、夕飯の支度を手伝っていた藤吾は、相田から畑仕事を教わった事を時間をかけて話した。

「か、か、か、かっちゃん、い、い、好い人でした」

 その言葉を聞いて琥珀はにっこりと笑った。

「よかった。藤吾さんかっちゃんと友達になったんだ」

 藤吾が頷くと琥珀はますます嬉しそうになった。

「かっちゃん大雑把な性格だし、見た目もちょっと強面だから心配してたんだ。話してみると愉快なおじさんなんだけどね」

 藤吾はぶんぶんと頭を縦に振った。

「は、は、は、話し、や、やすかったです」

「だよね!笑いかたが面白いよねかっちゃんは」

 漫画のような豪快な笑い声は迫力がある。藤吾は最初こそ圧倒されたが相田の特徴であり、朗らかさの象徴でもある笑い声は、一緒に過ごしているうちにつられて笑顔になってしまうものだった。

「た、た、た、沢山、お、教えてくれました」

 琥珀は少し心配そうな顔をした。

「藤吾さん畑仕事するって本当?無理してない?」

 琥珀は藤吾が家に居るために役目を探しているのではないかと心配していた。

「い、い、いえ!む、むりじゃないです」

 藤吾はポケットからメモ帳とペンを取り出した。言葉が上手くでないときに直ぐに筆談できるように、常備するようになった。

『琥珀さんのご飯が美味しかったから、お手伝いがしたいんです』

 藤吾は続ける。

『料理に使われていた野菜が信じられないくらい美味しかった。庭の畑で作られてると知って、尚更手伝いたいと思ったんです』

 藤吾が興奮ぎみに伝えてくるので、琥珀は面食らいながらも笑って返した。

「そんなに褒められると照れるな、まあ藤吾さんがやりたいことならよかった。でも暑いから無理しちゃダメだよ」

 首をぶんぶん振って肯定する藤吾に琥珀は優しく楽しそうに微笑みかけた。

 食卓に料理を並べて老田が「いただきます」と声をかける、それに二人も続く、藤吾が加わった食事風景は老田家にすでに馴染んだ空気である。それは老田が何か働きかけた訳でも、藤吾が馴染むために苦心した訳でもない、琥珀の陽気な性格と明るさを分け与えるような振る舞いのお陰だ。

 琥珀は家では常に笑顔でいる、何をするにも楽しそうに振る舞い明るさを忘れない、炊事や洗濯掃除家事全般を殆ど担っていてそのどれもが卓越している。鼻唄混じりにてきぱきと軽やかに仕事をこなす。

 無口な老田にも返事はお構いなしに話しかけ明るく笑いかけると、滅多に表情を変えない老田の口角が上がる。それは藤吾にも同じで、藤吾のたどたどしい相槌に答えて話し、返事が長くかかっても急かすことなくペースを合わせる。そんなやり取りを続けるうちに藤吾も少しずつではあるが自分から話しかけることも増えた。

「ごちそうさまでした」と皆で合わせて言い食事を終えるのが老田家の習わしである、片付けは皆で行い皿洗いは当番制で負担している。システマチックではあるがどこか居心地のよさを感じる気の使い合いだと藤吾は感じていた。

 お皿を洗い終わったあと当番がお茶を入れるのも役目の一つだ、好きな種類を入れて良い決まりで、老田は緑茶、琥珀は紅茶、藤吾は珈琲を入れる。今日台所から香るのは珈琲の香ばしい匂いだ。

 珈琲の入れ方は藤吾が以前勤めていた会社の社長から教わった。それまではインスタントコーヒーの粉末を溶かしたものしか飲んだことが無かった藤吾に「こんな方法もあるぞ」と言って教えてくれたものだった。インスタントコーヒーも充分美味しいが、何かと藤吾に気をかけて、面倒を見てもらった社長から教わった入れ方が藤吾は好きだった。

「手間隙も味の内」

 そう笑いながら言っていた社長の言葉が、今になって少しずつ分かってきたような気がしていた。

「藤吾さんの入れる珈琲は本当に美味しいね」

 琥珀は飲む度にそう言った。

「ああ、美味い」

 およそ感想を口にすることない老田も言う。

「あ、ありがとう、ござ、ございます」

 藤吾のこのお礼は、声が出しにくい事も言葉が出なくなる事も関係なく、ただただ照れていた。

 三人で同じ机を囲み、お茶をのみ談笑する。この穏やかで心地良い時間の名前を、いつか自分にも分かるときが来るのだろうかと藤吾はそんな事を考えていた。


 夜、藤吾は布団から起き上がって部屋を出る。

 死ぬと決めた日から上手に眠ることのできない事が続き、二人が寝静まる頃に音をたてず部屋を出て、縁側に座って月や星を眺めることにしていた。夜に鳴る音は騒がしいのにどこか心地よい、輝く星月を見ていると何故か心が和らいだ。

 いつも通り縁側に向かうと、琥珀がそこに腰を掛け夜空を見上げていた。まさか先客がいると思わなかった藤吾は、声か吐息かも分からぬ音が喉で鳴った。

「誰っ!?」

 琥珀が勢いよく振り返る。どうすればと慌てた藤吾は両手を上にあげた。

「なんだ藤吾さんか、どうしたの?眠れない?」

 琥珀はすぐにいつもの笑顔になって藤吾を手招きした。両手を上げたまま藤吾は近付く。

「何で手を上げてるの?」

 琥珀は不思議そうに聞く。

「て、て、て、敵意がないこ、ことを示そうかと」

 藤吾のその言葉にぷっと吹き出して琥珀はケラケラ笑う。

「何やってんだか、ほら隣座りなよ」

 頭をぺこぺこ下げながら藤吾は隣に座った。

 そうして暫く、二人は言葉もなく夜空を眺めていた。沈黙に困り、藤吾は琥珀を見た。柔らかな月明かりに照らされて見る琥珀の姿は神秘的なまでの美しさで、まるで綺麗な写真や絵画を前にしたように見とれてしまった。

「何?」

 見つめられている事に気がついた琥珀が藤吾に笑顔を向ける。慌てて藤吾は顔を下に向けた。

「な、何で、ここに連れてきてくれたんですか?」

 藤吾は照れ隠しの勢いのままずっと聞けなかった事を聞いた。何故ここまで良くしてくれるのか、理由が未だに分からなかった。

「うーんそうだなあ」

 琥珀は暫く考え込む、そしてやっと話し始める。

「藤吾さん、これから週に一回ここでお互いの思い出を交換しない?」

 この不思議な提案が、互いを深く知り合うための記憶への旅路になるとは、この時の二人には思いもつかなかった。

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