13.恐怖を勇気に

「お姉さま!?」

「ミリアじゃん! 早く逃げなよ!」

「今逃げてるの!」


 確かに。逃げてきてましたね。一瞬の邂逅かいこうでした。向かいからやって来て、足を止めることなくマッマの手を引いて駆け抜けるミリアの姿はたくましくも美しい。パッパカリはどうした?


「こっち、ミリアの家があるとこだったな」

 ランディが呟く。


「あのボロ家じゃあ、この震動で既に倒壊してるんじゃない?」

「チッ、……避難訓練がなってねぇな。全然進めねぇ」

 舌打ちはガラが悪いぞ。だが、その気持ちも分からないではない。

 向かいから必死の形相で逃げてくる人が多すぎて、ランディやマトリックスの進むスピードが格段に落ちている。避難民を押し退けて進むわけにもいかず、聖教会の身分を声高に叫んで道を開けてもらうしかないのだ。


 街を囲う壁が崩れる音と震動が、人々の恐慌を煽っている。

 この地域に壁を壊すほど強力な魔物はほとんどいない。魔物が街を襲うなんて、この街ができてから一度もなかったはずだ。

 万に一つもあり得ないと誰もが思っていた事態が、今ここで起きているのだ。

 壁を壊すほど強力な魔物が穢れに憑かれているなんて情報が民衆に広がったら、恐怖は今の比ではなく膨れ上がるだろう。


「全く、恐ろしいもんだねぇ」

 ランディの肩を叩いて下ろしてもらう。この混雑状況じゃ、おんぶされていても速度向上は見込めない。


「はぐれるなよ」

「川の濁流に呑まれるのって、こんな気分なのかな」

 ランディの服の裾を掴んで、人混みを縫うように進む。この間に、門衛や警邏隊、冒険者たちによって魔物が倒されていれば良いが、この街の人々の練度を考えるとそれは高望みか。


 地道に進み続けて、漸く人が少なくなってきた。これで現場に駆けつけられる。

 建物の隙間から、街の外の森が見えることに気づいて目を細めた。魔物は随分と広範囲の壁を崩したようだ。これは討伐後の再建も時間がかかりそうだ。


「おい、浄化師の嬢ちゃん!」

 パッパカリが走ってきた。漸く避難を始めたようだ。一体何をしていたんだか。


「パッパカリじゃないか! 随分と遅い避難だな! ミリアたちはとっくの昔に行ってるぞ!」

 ところで、パッパカリが背負ってるその荷物はなに? 今サンタクロースの真似とか、ふざけている場合じゃないんですけど。


「君たちが向かっているということは、我輩の予想通り、魔物だけじゃなくて穢れも侵入しているのだろうかねっ」

 残念。ちょっと違うんだなぁ。魔物と穢れは別個に来てるんじゃなくて、引っ付いて来てるんだよ。危険度倍増だね!


「こんなときでも語尾を忘れないところ、ちょっと感心するよ!」

 ところで、何故俺たちと並走してるの? 避難するなら反対に向かうべきなんですけど。


「これ、使うべきだと思うんだがね!」

 パッパカリが荷物から取り出したのはライフルだった。思わず無言で顔を見つめてしまう。


「これにはスコープが付いているんだがね。照準を定めやすくするために、君に必要だと思うんだがね!」

「金は払えんぞ?」

「街を守るための武器に、金を要求するほど、我輩落ちぶれてないんだがね!」

 強い意思のこもった眼差しで託されたライフルをしっかりと握りしめる。それを確かめたパッパカリが男らしくカッコいい笑みを浮かべてグッと拳を突き上げた。即座に反転して、俺たちから離れていく。


「一緒に戦う力がない己が恥ずかしいんだがね。……頼んだぞ!」

「これさえあれば、パッパカリなんていなくても、俺が颯爽と退治してやるさ! 気にせず、自分の嫁と子どもを第一に考えろよ! 早くこの場から離れろ!」

 悔しそうな声だけで、パッパカリの気持ちは十分伝わった。俺の言葉への返答はなかったが、駆ける速度が上がったようだから、きっと俺の思いも伝わったのだろう。


 暫く無言で駆け続ける。相変わらず、壁が崩壊する音が断続的に響いていた。合間に、人々の戦う声も聞こえてくる。


「……なあ」

「なんだい、ランディ?」

 あえて明るく言葉を返した。ランディの険しい表情が少しだけ緩められる。


「正直、勝率はどのくらいだと思う?」

「俺は魔物の強さには詳しくないし、ランディの方が分かってるんじゃない?」

「……どの魔物が憑かれてるかにもよるなぁ」

「壁を壊すくらいの魔物って何?」

 たぶん、俺もランディも、答えはお互いに聞かずとも分かっていた。


「……災害級」

 この世界にいる魔物はその強さによってランク付けされている。災害級というのは、その言葉通りに、自然災害並みの脅威を持つ最上位の魔物のことを示している。

 災害級の魔物は街どころか国さえ崩壊に導く存在として知られている。恐ろしくてたまらない。本当は少しくらい楽観的に考えたいのだが、それはショックを先延ばしにするだけの逃避というものかな。


「あ~あ、死にたくないなっ! 俺、まだ十六歳だぞ! この世の美味いもん食いつくしてない!」

「お前の生き甲斐って、食いもんなの?」

「そうだよ?」

 食べ物も好きだし、モフモフも好きだし、世界には好きが溢れているな! とびきりの思いがあるのは銃だけど。


「これ終わったら、何食う?」

「ケーキかな! ランディの、せいで、予定潰れたし!」

「それについては謝らねぇよ?」

 それよりそろそろ息がヤバイんだが。また背負ってもらおうかな。

 密かにランディの背中を狙っていたら、前を走っていたマトリックスが急に方向を変えた。


「どこに行くんですか!?」

 ランディが後に続きながら叫ぶ。

「この辺で一番高く頑丈な建物ですよ! ルイ様の武器は、遠距離での浄化が可能なんでしょう!? ならば、浄化師を危険度の高い前線に送り込む必要はありません!」

 おやまあ、あれだけ銃に懐疑的だったのに、信じることにしてくれたらしい。それくらいしか、今の状況に希望がないからかもしれないが。


「って、ことは、そうですよね……」

 マトリックスが駆け込んだ建物を見て絶望した。俺の顔を見たランディが無言で背を向け屈んでくれる。遠慮なく乗っかった。


 体力が底を尽きそうな俺に、数階分の階段を駆け上がるなんてできっこないだろ!

 ビュンビュンと進むランディの背の上で、俺は恐怖と戦うことになりました。遊園地のアトラクションってこういう恐怖を楽しむんですかね? 俺が前世で行きたかったのは、しっかり安全性が担保されたアトラクションだったのですが。紐なしバンジーのような恐怖は嫌でした!!



***



「酷いものですね……」

 建物の屋上から戦場を見下ろしたマトリックスが険しい表情で呟いた。

 俺、この階段を駆け上がっても息を乱していないあなたの化け物っぷりも酷いと思いますよ? 主に、俺との体力格差は絶望するレベル。


「あれは、虎型の魔物か? 見たことがないな……」

 やはりランディも化け物である。この場に凡人は俺しかいなかった。悲しみマックス。


「おそらくグランノアタイガーでしょう。災害級の魔物として図鑑で見たことがあります」

「なんで聖教会の人が魔物図鑑読んでるんですか?」

「実は子どもの頃、冒険者に憧れていまして」

「え、意外っ」

 ねぇ、俺のこと気遣って?


「ヴエェ……」

「おい、吐くなよ?」

 吐いた方が楽になれる気がする。背負われて酔うとか思いもしなかったよ。ため息をつきながらうずくまっていた体勢から起き上がる。地面がぐらぐら揺れている気がするよぉ。


「……ここも、危ないんじゃないですか? 揺れてますよ」

 実際に揺れていたみたい。


「実はこの建物は防衛用の耐震構造で造られています。揺れはしますが、それによる倒壊はないでしょう」

 結構万が一の可能性に備えて対策が練ってあったのね。

 漸く気分が落ち着いてきたので、俺も戦場を見下ろした。


「……おぉうっふ」

「どういう感情?」

「マジの戦場じゃんっていう感じ」

 眼下にはまさに戦場が広がっていた。巨大な黒の虎っぽい魔物が壁に激突しては破壊を生み出す。それに対して人間が繰り出す攻撃はあまりにちっぽけに見えた。


 穢れに侵されてしまうので、接近戦は不可能。穢れが憑いたのが人間であれば、短時間で絶命させられるので、一撃後の即時退避という作戦がとれるのだが、魔物相手では到底不可能だ。

 冒険者たちが行える攻撃は、遠距離での投石か弓矢だけ。それも浄化結界の中から放たれているので、魔物との距離が離れすぎていて外れているものも多い。足止めにさえなっていない気がする。


「あの魔物、なんで中に入ってこないの?」

 あまりに不自然だった。あれだけの破壊力があり、穢れ憑きならば、既に街に侵入していて当然だと思うのだ。それなのに、魔物は街の外側に留まり、壁の破壊行動を繰り返すだけ。


「確かに、不自然ですね。牽制けんせいが効いているようには見えませんし。憑いている穢れが、浄化結界を忌避しているのでしょうか……?」

「あれほどに膨れ上がった穢れが結界を恐れる? それはあり得ないでしょ」

 目視ですぐに分かるくらい、魔物の生命力を燃料にして、穢れは凄まじい勢いで増大している。浄化結界の処理能力を超えて、街の中へも溢れてきているくらいだ。それに伴って冒険者たちも戦線を下げているので、こちら側の攻撃力は低下の一途を辿っている。


「グランノアタイガーが本来は人に対する攻撃性をあまり持たないことが関係しているかもしれませんね」

「そうなんだ?」

「ええ。森の賢者と称されることもあるくらい、理性的で温厚な魔物ですよ。逆鱗に触れると災害級らしい猛威で襲ってくるそうですが」

「ふーん……」

 マトリックスの説明を反芻はんすうしながら、眼下で暴れるグランノアタイガーを凝視した。

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