第5話 美来と仲間たち 1-2

 美来が祖母の山吹佐和子の家に来て2年目になり、美来は中学生になった。

 最初は物珍し気に見られることや、影でひそひそ噂をされてることに萎縮したが、あることをきっかけにして、美来は大人への態度をどうとればいいのかを学んだ。


 その日は、沙和子に頼まれた物を買いものに出かけたのだが、狭い町中の寄り合い所のようなスーパーマーケットでは、美来は恰好の話題になり、好奇心剥きだしの目を向けられて、店内を俯きながら歩いていた。

 すると、偶然居合わせた渚紗のお母さんに声をかけられて、知らない人達のなかで救世主に会った気分になり、美来は嬉しさを顕わに笑って挨拶したところ、渚紗のお母さんと一緒にいた人までが、好意的に微笑み返してくれたのだ。


 それを見た美来は、苦手意識で殻を作るのではなく、表面だけでも愛想よくしようと試みた。

 自分の噂を誰かがしているのに気が付いても、興味本位で話しかけられても、堂々とした態度で笑顔を返すようになったとき、今までの違いに相手は一瞬だけ戸惑いを見せた後、通り過ぎた背中越しに、あらいい子じゃないという囁きを漏らすようになった。


 登校時間までにあと十分と迫った今朝も、シャコシャコ歯を磨きながら、美来は自分の顔を客観的に見て、目つきは悪くないか、拗ねたような暗い表情をしていないかをチェックしていた。

 沙和子の家に来てたった一年と数週間しか経っていないのに、美来はここに来た当時の自分の顔をあまり覚えていない。というか、親から完全に存在を拒否された子供が、自分の顔なんか見たいと思うわけがなく、ずいぶん輪郭のぼやけた存在の薄い子供だったのではないかと思う。

 分析していたら、泡と唾が口の中にいっぱいたまってこぼれそうになり、美来は慌てて洗面ボールにそれらを吐いて、口をゆすいだ。


「あー、唇の端がピリピリする。おばあちゃんは口の中がスースーする歯磨き粉が好きだから、仕方ないよね。よしっと……」


 水で濡らした指で白く残る泡を擦って取ると、美来はにかっと口角を上げて笑顔の練習をする。

 笑顔は自分のためではなく、美来を引き取った祖母が、他人から悪く言われるのを防ぐためのアイテムなのだ。


 わざとらしい笑顔を取り去った美来の顔は、年齢よりうんと大人びていて、ふと見せる陰りがミステリアスな雰囲気を醸し出すと言われる。

 別に老けているわけではなく、整った造作の一つである薄い目の色は、冷たいくらいに澄んでいて、感情を表すのを拒んでいるようにも見える。無表情のまま口も利かないでいると、周囲は途端に話しかけるのを躊躇してしまうほどの孤高のオーラが漂うらしい。だから、みんなが顔を見合わせるのに気づいた時は、美来はにかっと笑ってみせる。その途端に緊張感が崩れ、周囲は安心モードに切り替わるのだ。


 瞳の色と同じで、少し色素の薄い長い髪を梳きながら、今日は家庭科の調理実習があることを思い出して、美来は憂鬱になっていた。

 一年前に交わした約束を実行するために、最近理久がやたらと美来に絡んでくる。小学校六年生の時には美来だけ違うクラスになり、話がそれに及ぶのをのらりくらりと躱したけれど、信じられないことに、中学生になって四人が同じクラスになってしまった。


 幸樹や渚紗は、まだあのころの約束を果たす気満々で、新しい部活動を認可してもらうために、教師に働きかけている。そのために部員も必要で、美来がいくら調理に興味が無いと言っても、約束を盾に入部するように迫ってくるのだ。

 今日はよりにもよって家庭科の調理実習がある。しかも一グループ六人中、なぜか四人が同じ班になってしまい、今回の成果次第では、ますますあの三人の誘いを断れなくなるのではないかと美来はため息をついた。


 休みたいけれど、祖母に心配をかけたくない一心で、校則に合わせて長い髪を編んでいく。本当はバッサリ切ってしまいたい気持ちはあるのだが、いまだに知らない人に頭を触られると緊張するので、美容院に行かなくて済むように伸ばしている。

 いつもよりうだうだしていたのか、洗面所からなかなか出てこない美来を心配して、沙和子が覗きにきた。


「美来、もう出ないと、遅刻するよ」


 途端に、美来の顔ににかっと笑顔が浮かびあがる。沙和子は美来の癖を見て、少し眉を寄せると、両手で美来の頬をやさしく挟んで上下に揉みしだいた。


「家の中まで、顔を作らないの!よそ者にうるさいこんな田舎でも、美来の噂は、礼儀正しくていつもにこにこしている子供だという好評ばかりだよ。無理させていないかって、心配になってくる」


「何言ってるのおばあちゃん。笑う門には福来たるっていうじゃない。それが本当か試しているんだから、余計な心配しないでよ」


 それならいいけれどと言いながら、まだ探るような視線を向ける沙和子の身体を廊下まで押し出すと、美来は行ってきますと手を振って玄関を出た。


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