第6話 美来と仲間たち

 美来が通う中学校は小学校の隣に並んで建っていて、歩いて二十分ほどの距離にある。分厚い教科書を入れた重たいバッグを肩にかけなおし、門を出ようとしたときに、目の前に立っている渚紗が、まぶしいくらいの本物の笑顔で美来に声をかけた。


「おはよう、美来!丁度よかった。遅いから呼び鈴を押そうと思ってたの」


「渚紗は朝から元気よね。JCにもなると朝が堪えるのよね」


「何を年寄りじみたこと言ってるのよ。美来はかわいいんだから、いつもおばあちゃんと話しているみたいな口調で話せば、男の子にもてるのに……」


「可愛いなんて思われたくないし、自分でこれっぽっちも可愛いと思っていないから無理!男の子なんて必要ないもん。私は勉強をしっかりして、良い会社に入って、バリバリ仕事をして、男に頼らず一人で生きていくのが夢なのよ」


「変な冗談言わないでよ。おいしい料理が作れるようになって、幸せな家庭を持つと言ってたのは誰?」


「誰じゃったかのう?渚紗も私も年を取ってボケたかのう」


「もう!ごまかさないでよ」


 渚紗に背中をバシッと叩かれて、美来がよろめくふりで早足に歩き出すと、渚紗が逃げるなと言いながら競歩のように腕を大げさに振って、大股で歩いて追いかけてくる。


「渚紗の恰好、この間一緒に見た古い映画の悪役みたい。何だっけ?黒づくめでサングラスをかけた殺人サイボーグ」


「ターミネーター⁉……って、美来、笑わせないでよ。脇腹が痛いわ」


「♪ダダン・ダン・ダダン♩ ♪ダダン・ダン・ダダン♩」


「やめてってば。アハッアハハハハ……」


 立ち止まって身体を折り曲げて笑う渚紗につられて、美来までが笑い出すと、その後ろから聞き慣れた声がした。


「お前ら、朝から元気だね」


「あっ、ストーカーだ!」


「誰がストーカーだ⁉ 美来、それはないんじゃないか?」


 理久がむくれて唇を前に突き出したのを見て、渚紗が少し収まりかけた笑いを復活させたので、理久も堪えていた笑いをこぼす。


「三人とも何笑ってるんだ?僕も入れてくれよ」


 いつの間にかそばに来て自転車を降りた幸樹が、おはようと言いながら、三人に加わった。


「おう!幸樹。聞いてくれよ。美来が俺のことストーカーって言うんだぜ。酷いと思わないか?」


「それは、ちょっと……」


 幸樹が理久の肩を持つかと思いきや、当たってるかもと続ける。理久が軽く蹴りを入れてから、自転車から手を放せない幸樹の後ろに回り、こいつめと言いながら首に腕を回し、締め上げるふりをしてみんなを笑わせた。


「なぁ、俺たち中学生になったら、洋風総菜のテイクアウト店を作るって約束したじゃないか。押し付けたのなら俺が悪いけれど、美来が先に俺に料理を教えてくれって頼んだんじゃないか。美来は女なんだし、いずれ結婚して料理を作るんだから、練習だと思って参加してくれよ」


 理久が美来の横に来て、ねっ?と覗き込んでくる。

 他の女の子なら、この爽やかな笑顔にほだされて頷くのだろうなと思いながら、美来は否定の意味を込めて、理久のおでこに指でデコピンを食らわせてやった。


「あんた、めげなさすぎ。だいたいさ、女だからって理由で、料理が得意だとか好きだとか考えること自体がイケてない。時代錯誤っていうか、封建的な田舎の男の見方にドン引きするわ」


「じ、時代錯誤?」


 絶句する理久の肩をポンと叩き、幸樹が付け加える。


「いや、もう一つの方が大事。封建的な田舎の男の見方だってさ。もう、諦めたら?」


「嫌だ!俺のモットーは押してもダメなら押し倒せなんだ。じゃあさ、今日の調理実習で料理がうまくできたらちょっと考えてくれよ。他のグループと少し差をつけて、見た目も味も良いものにするからさ。料理することの楽しさや、味わう素晴らしさを感じて欲しいんだ」


 ねっ?と再び覗きこんだ理久の顔は真剣だった。幸樹も頼むと頭を下げるし、渚紗もお願いと言いながら、美来の腕に縋ってくる。美来はそれ以上憎まれ口を叩くことができず、分かったと頷くしかなかった。


「私、先に教室行くから、三人で調理の作戦でも立てながら来てね。じゃあ、あとで」


 三人に手を振って先に歩き出した美来の後ろで、理久がガッツポーズをしたことを、美来は知らなかった。


 美来が教室に入ると、調理実習の話題があちらこちらから聞こえてきて、教室がざわついていた。

 普段からご飯を作っている女子なら、調理実習があるからと言って取り立てて騒ぐほどのことでもないし、女子の場合は結婚すれば、料理はほぼ一生の仕事になるから、その時は考えるのも嫌になるのだろう。

 けれど学生のうちは、男女の共同作業ということもあり、まるでおままごとか、キャンプの飯盒炊爨のようにワクワクする行事らしい。


 女の子の中には、家で包丁を使う練習をしたり、お味噌汁の作り方を教わったりと準備に余念が無い子もいるそうだ。たいていそういう子は、好きな男の子に自分の女子力が高いところを見せて、点数を稼ぎたいがために努力するらしい。

 放課になる毎に女子トークはヒートして、あれができる、これができないと料理のことばかりになり、美来はうんざりしながら教室を出て、廊下の窓から中庭を覗いた。


 すると目の端に濃紺のブレザーが近づくのが見えた。美来は心の中であっちへ行けと念じてみたが、残念なことに幸樹がすぐ隣の窓枠に両肘をついて、美来と同じように中庭を見下ろす。

 幸樹は小学校の卒業間近まで、所属していた少年野球チームの練習に参加していたため、まだ陽の光が柔らかい四月中旬にしては陽に焼けた健康そうな肌の色をしていた。彫の深い顔と相まって南国の血が混じっているようにも見える。

 幸樹の少し厚めの唇が動き、声変わりして低くなった声が美来の耳をかすめた。


「美来はどうして、料理が嫌いになったんだ?六年生の時は、僕たちと一緒に、理久のお父さんのレストランを見学しに行ったこともあったのに、急に途中から料理の話題を避けるようになっただろ?なんか理由があるのか?」


 美来はハッとして幸樹の顔を見たが、幸樹の視線は殺風景な中庭から動かない。

 まるで興味が無いような態度を装いながら、その実、呼吸ひとつとっても肩が上下していないところを見ると、美来の答えに全神経を集中させているらしい。


「放っておいて!」


「嫌だって言ったら?」


 肘は相変わらず窓枠についているが、顔だけを美来に向けて、答えるまで待つ姿勢を見せる。美来は幸樹から視線を外し、幸樹が納得しそうな理由をあれこれ考えてから口を開いた。


「気おくれしちゃったっていうかさ……ただのレストランだと思っていたのに、有名人やお金持ちが押し掛ける予約制のレストランだって分かって、びっくりしたのよ。丁度見学しに行ったときに、雑誌の取材も来てたでしょう?それですぐ私たちは追い出されて、場違いだって感じたもの。幸樹はあの取材記事が載った雑誌読んだ?」


「ああ、確か……【フランスの一流レストランで修業したシェフ成瀬がプロデュースする食への賛歌!】って大げさなタイトルがついていたな。契約農家から直接仕入れる無農薬の新鮮野菜や、この地方の地鶏や豚など、田舎の恵みをふんだんに生かして作った絶品料理!みたいな内容だったと思う」


「そう、その通り!そんなところに自分が作ったサイドメニューを置くなんてとんでもないって思ったの」


「それなら、中学生の試作品として売るから大丈夫だよ。面白がって味見をする人がいるだろうし、おいしかったら需要が増えるだろう?もちろんそれを狙ってるんだけれど。僕たちだって最初からうまくいくなんて思っていないよ」


 美来は腕組みをしながら視線を泳がせ、どういう理由なら美来が抜けることに幸樹が納得してくれるだろうかと必死で考えた。

 その間、美来が頭の中であれこれ画策している様子を、幸樹が観察していることなんて気が付く余裕もなく、自分の弱い立場を全面に押し出して幸樹の同情を買うことにする。


「例え失敗しても、渚紗の場合は、おばあちゃんが無農薬野菜を提供している農家の一人だから、大人たちから強く言われることはないと思う。理久の場合は、お父さんがお客さんたちに対して、息子が未熟者ですみませんと謝れば笑いで済ませられそうだし、幸樹のお父さんの建設会社は、この町の役場や学校まで造っちゃうような大手だから、幸樹が悪く言われるわけがないのよ。でも、私はどうなると思う?」


「よそ者だから、風当たりが厳しくなるのを心配しているのか?そんなことは僕たちが言わせないし、成功するように努力するよ」


「幸樹は大人に守られて大切に育てられたから、そう言えるんだよ。弱みを見せたら、とことんそこに食いつかれて傷つけられる経験をしてないから……」


 幸樹が何かを言いかけて口をつぐんだのを見て、美来はこの話は終わったとばかりに、教室の方へと身体の向きを変えた。ところが、教室の出入り口に、渚紗が心配そうに立っているのを見て、今の話を聞いてしまったのだろうかと立ち止まって様子を見る。

 余計な心配はかけたくないので、笑顔で話しかけようとしたとき、渚紗の視線が自分を通り越して、幸樹を見ていることに気が付いた。

 男の子とか、女の子とか、性別を気にしないでいられた時代が終わってしまったのかと、少し寂しく感じながら、美来は渚紗の横をすり抜けて教室に入っていった。

 

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