Chapter2 変転

Chapter2-1 遺品

「はあ、はあ」

 駅から走って帰った。誰に追われるでもなく、一心不乱に帰宅した。真冬だというのに、汗でべっとりして気持ちが悪い。

 革装丁の本と、手帳を持ち帰ってしまった。これは、あくまで遺品の受け取りだ。息子のおれが受け取らず、誰がこれを手にする。


 テーブルに手帳と本を置いて、座椅子に座った。まずは手帳をめくった。日付ごとに予定だとか、記録がびっしりと刻まれていた。しかし、サッチョウとかFTGとか、専門用語が並んでいるだけで、よくわからない。

 他には時間の表示だろうか、1000という数字とB2Aという書き込みがある。会議か何か予定なのか、いずれも推測の域を出ない。


 最後まで読んだが、親父が非常に勤勉なこと以外な何もわからなかった。

 そうだ、楯山は親父が文書課に勤めていると言っていたが、これが見つかったのは地下七階の奥深く、情報室と書かれたロッカーの中だった。

 すぐにスマホで検索を始めた。防衛省 情報室、と検索をかけた。しかしそれらしいものは出てこない。情報本部、という部隊があることはわかったが、おれが見たあの部屋の規模では無いような気がする。


 親父の仕事は、そんな公にできないようなものなのだろうか。ついでに文書課も調べたが、国会の予算委員会などで防衛大臣の補助をしたり、楯山が言っていた通りに裏方業であるようだ。

 だが文書課にヒントはなさそうだ。親父や、楯山のいる部隊の隠れ蓑になっているのか。しかしこんな高校生が考え付くようなものではないだろう。


「んなバカな」

 おれは床に転がり、天井を見上げた。

『詮索されない方がいい』

 あの夜、楯山に言われた言葉が脳内でこだまする。なぜ、あんなことを言うんだ。おれはただ、家族の死の真相を知りたいだけだ。


 彼らは防衛省だ。国を護るのが仕事のはずだ。まさか、親父の死は日本という国を護る為に死んだのか。

 おれは、触れてはいけない部分にタッチしようとしているのか。だからと言いて手を引こうとは思わない。おれは、白日の元に秘密を晒そうとしているわけではない。ただ、自分の親父が知りたいだけなのだ。


 あれこれ考えたが行き止まりにぶち当たった。革装丁の本も、鍵を開けることができない。ドライバーでこじ開けようとしたが、不思議なことに頑丈でビクともしなかった。

 鍵穴は、5cmくらいの細長い凹みだった。親父の遺品に鍵はなかった。財布とスマホ、ハンカチしか持っていなかったと警察に言われた。鞄に入っていたかもしれないが、所持していなかったし、どこに行ったか見当がつかない。あの部屋にあったのかもしれない。例えば机周りとか。だがあそこにはもう入れないだろう。


 ふと、自分が汗臭いのに気づく。考えても仕方ない、おれはいつもより熱くしたシャワーでリフレッシュした。髪をドライヤーで乾かしながら、何かヒントはないか思考を張り巡らせた。




「お待たせしました、影森です」

 おれは、貰ったメモの連絡先に電話をした。親父のことを教えてくれませんか、と影森に頼み込んだ。そうすると、翌日の午後なら、と都庁近くの喫茶店で話すことになった。


「すいません、影森、さん。忙しい中ありがとうございます」

 きっと楯山と同じように、真実を話すことは無いのだろう。だが、何か掴めれば。

「いえいえ。晴翔君の頼みであれば協力は惜しみません」

 おれは早速、話を始めた。


「あの、親父はどんな仕事をしていましたか」

「……お父様、陽羽里室長は、真面目な方でした。厳しくも優しく導いて、規範に口うるさかったですが、今思えば襟を正して働くことを教えてくれたのだと思います」

 影森の目は、嘘では無いような気がする。


「私は、短い間でしたが、文書課と言う部署で……陽羽里室長の元で勤務しておりました」

「室長、ってことは偉いんですか」

「ええそうなんです。私は異動で一年くらいしか同じ部署にいませんでしたが」

 影森の語りには、どこか取り繕った何かがあった。やはり、真実で無いのだろう。しかし、何も知らないと言う感じでも無い。親父と仕事を共にしていた部分は、本当なんだろう。


 休日に何をしていたとか、職場での関係、どんなことを話したか、何か好物はあったのか、思いつく限り質問攻めにしたが、どれも当たり障りのない回答ばかりだった。

「すいません。色々聞いてしまって」

「いいんですよ」


 注文したコーヒーと注がれた水は空になった。手詰まりになった。これ以上は聞いても何も聞き出せそうにない。

「今日は、ありがとう、ございました」

 無意味に拘束し、時間を無駄にするのも申し訳ないと、少し感じた。なんだかんだあっちも仕事があるだろうし、こんな高校生とも付き合いたくないはずだ。


 伝票に手を伸ばそうとすると、「いえいえ、ここは私が」と影森に静止させられた。

「また何かあったら連絡をください。微力ながらお助けさせてください」

 そう言った後、影森は去って行った。


 丁度、夕方の新宿は行ったり来たりする人たちで溢れていた。皆、それぞれの目的地に向かっている。おれは、どこに行けばいいのか。

 とにかく家に帰ろう。誰も出迎えてくれないが、今のおれにとってはあの部屋が帰るべき場所だ。


 中央線に乗り、いつものように家路につく。普段なら、制服に身を包み学生として乗り込むが、今は違う。何者でもない、まるで根無し草のようだ。誰もおれのことを証明してくれない。唯一できることは学生として名乗ることだけだ。

 いつも通り武蔵境駅で降りて家に向かう。陽はすっかり落ち込み、一層寒くなった。


 結局、親父という人間は仕事に真面目で、人望がありそう、ということしかわからなかった。あとはかねてからシチズンの時計を愛用していることくらいか。

 まるでテーブルに荷物を広げるように、考えを広げながら歩いた。気がつくと、もうマンションの下まで来てしまった。

 そうだ、結局あの革装丁の本の鍵は解けそうにない。あの中には何があるのか。ブラックボックスを開くことができれば……。


 寒い玄関を通り、自分の部屋に帰ってきた。とりあえず、汗を流すか。

 脱衣所で服を脱ぎ、ふと鏡に映る自分に眼をやった。母さんの形見であるロザリオが首元にある。

 母さんの形見……。親父も、確か同じものを持っていたはずだ。同じアクセサリーなのか。もしかして、これが、《鍵》なのか。


 いてもたってもいられず、おれはすぐにロザリオを革装丁の本に挿した。すると、カチッと音がした。外れた、のか?

 喉から音を立てて、固唾を飲んだ。表紙を開くと最初のページには「たそがれ」と書いてあった。手書きのひらがなで、優しい感じの文字だった。


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