8-2 : 〝浅ぇぞ〟




 ◆ ◇ ◆




 ガシュ……、ヂリヂリ。と、葉巻に火のく静かな気配。



「――……ふぅーっ……。……あぁ、今更、改めて言う必要もなかろうが――」

 墜落現場の粉塵ふんじんのなか、ジェッツの人影が浮かび上がる。やれやれと顔をうつむけて。

「要するに、だ……。……馬鹿だろ、お前ら」



「――げほっ、げほっ! え゛ぇっほ! ごほぁ! おげぇっほ!!」



 粉塵ふんじんの中からせ返りながらい出てきたのは、他でもないサイハその人である。


〈霊石〉切れからの滑空と墜落の末、露天鉱床の大穴に滑り込んだ〈レスロー号〉。

 胴体を鉱床の斜面へガリガリとこすりつけながら不時着した先は、しくも〈蟻塚ありづか〉の目の前であった。



「俺の手で引きずり下ろす前に自滅……馬鹿と煙は高いとこが好きってのは、あれぁマジの話だったってわけだ」



「よっこいせ……――はっ、好きなだけ言えよ、関係ない」



 のそりと起き上がったサイハが、鼻で笑うジェッツをける。


 サイハの、赤茶色の瞳が光る。

 それは先日、ただ怒りに任せて殴り込みをかけたときの乱れた表情とは、まるで別人。



「オレは今、最高に燃えてんだ……今なら、何だってできる」



 踏みだす足取りは堂々。

 二日前とは全く違う、サイハの気迫。

 研ぎ澄まされた刀のような。


〝あるいは、多少なりとこの俺を手こずらせるか〟……そのただならなさに、ジェッツが表情を険しくしていると。



「――……オイ……オイッ! サイハ! アタシを置いてッてンじャねェ!」



 リゼットのとげのある声が、サイハを呼び止めた。



「どうしたリゼット、早く来いよ。やっこさん待ってるぜ?」



「うるッせェ! ケツがハマッて抜けねェンだヨ! どーにかしろタコ!」



 ヒトの姿に戻ったリゼットが、〈レスロー号〉の後部座席からわめいた。

 胴体着陸の衝撃で、座席に尻が挟まってしまったようである。



「……えぇ……かぁーっ! 何だよせっかくかっこよく決まってたのに! まらんなぁもぉ!」



 それまで威風凜然いふうりんぜんと構えていたサイハが、くるりとジェッツに背を向けた。

〈レスロー号〉の元へ引き返し、リゼットの腕をうんしょうんしょと引っぱる。



「…………」



 ほったらかしにされたジェッツの前で、サイハとリゼットの汚い言葉が飛び交う。

 しまいにはシートからすっぽ抜けたリゼットがサイハを押し倒してすっ転ぶものだから、もうその場の雰囲気はぶち壊しだった。



「…………ふざけに来たのかお前ら、ええ?」



 ジェッツの口元が、思わずわなわなと震える。



「あててて……何でこうなんだよ、オレたちいっつも……」

「アァ、クソが……アタシもイカす登場でキメ顔したかッたのに……」



 尻だ腰だをさすりながら、サイハとリゼットがよろよろと立ち上がる。


 そして、ブンッと。


 息もぴったりに振り抜かれたサイハの拳とリゼットの蹴りが、舞っていた砂埃すなぼこりを吹き飛ばし。



「「――……よぉ、ヘビ野郎。テメェの悪巧み、お礼参りついでにぶっ潰しに来たぜ」」



 ビシリと、空気が鋭くとがった。



「…………」



 サイハの手に何か意味ありげな手帳が握られているのを認めて、ジェッツが舌打ちを漏らした。


 ギロリと視線を横へやる。


 その視線の先には、スクラップと化した〈ハミングドール〉に背中を預けて倒れ込んでいるエーミールと、その場へ駆けつけるメナリィの姿があった。



「……。……なるほど、エーミールの置き土産、と。そういうことか。参るなこれは、本当に参る……〈蒸気妖精ノーブル〉ってやつは、その存在も権能も超絶重要機密だ。機密は厳守されなくてはならん……――お前ら全員、口封じする必要があるようだ」



 ふぅーっと紫煙を吐き出すと、ジェッツは足元に落とした葉巻を革靴で執拗しつように踏みにじる。



「まぁ、それとは別に――極めて個人的な理由で、だ。サイハよぉ、お前だけはどう転んでも、ぶっ殺すの確定なわけだが」



「ハハッ! よくしゃべ操者ドライバだな、オマエ! ……ヤニくせェから黙れヨ、鼻がイっちまう」



 そうみついたのはリゼットである。



「よォ、ルグントォ……この前はよくもアタシのフレーム、ひン曲げてくれたなコラァ……。一発ブチ込み返しに来てやッたゼェ……」



「ふむ……〈粉砕公〉。はい、ええ、先日は大変お世話になりました」

 リゼットの売り言葉に対して、日時計ルグントのほうはといえば相変わらず秘書然とした受け答えで。

「しかし、そうですね……世の中ギブアンドテイクです。私が貴女あなたにやられた分を、お返ししたにすぎないのですが」



「お相子なンて知るかヨ。アタシ、殴られたら殴り返さねェと気がすまねェ性格タチなの」



 痛み分けの正当性を説くルグントに対して、リゼットの主張は暴君のそれである。



「CEO、困りました。このお二方、少々、いえ、かなり……馬鹿でいらっしゃいます」



「全くだ……全くそろいもそろって、この街の奴らは馬鹿ばっかりだ」



 ゴキリと首を鳴らすジェッツは、とっくにこの場を見限った表情で。不快感もあらわに、懐中時計を見やる。



「……十六分、、、。あとたったそれだけで皆既日食だ。ルグントの権能で大深度〈鬼泥岩きでいがん層〉をこじ開けて、オレは〈霊石〉の大鉱脈を手に入れる。ゴールドラッシュ時代の到来だ。なぜそれを素直に祝ってくれないのかねぇ……」



「とち狂ったこと言ってんなよ、ジェッツ……そんなことしたら、街はどうなる……。メナリィを連れ戻して、お前の顔面に今度こそ一発たたき込んでやれればそれでいいって。そう思ってたけどよぉ……どうもこいつは、そんな簡単な話じゃ終わってくれなさそうだな」



 サイハが非難するジェッツの目は、金と権力しか信じられなくなった非道の目――〈鉱脈都市レスロー〉全住民をにえとして、巨億の富へとつながる門を開かんとする、修羅の目であった。



「……ふんっ、街が一つ消える程度、些末さまつことだろう……。それが許せんというならどうする? 説法でもするか? お前が? 俺に? つまらん冗談だ、クソほども笑えん」



「笑えねぇのは、お前のやろうとしてることだろが……!」



「当然だろう、これは真剣なビジネスだ。笑われるなんて心外きわまる」



 やれやれ、これだから若造は……と、ジェッツが肩をすくめてめ息を吐く。あぁやだやだと。



「ぐっ……血も、涙も……人の心もないのか、貴様ぁ……!」



 先の戦闘での負傷で力が入らないでいるエーミールが、額から流れる血で片目を塞がれながら叫ぶ。



「人の心? そんなものはとうの昔に捨てた。あれはそうだな、燃えないゴミの日だったろうかね」



 この期に及んでいまだに冗談めかした物言いのジェッツ。サイハもエーミールもメナリィも、その男の瞳に真実何の感情も揺れていないことを認めて、ゾッと背筋に寒気が走った。


 ただサイハの隣、リゼットだけが、面白くもなさそうに舌打ちしていた。


 そこでふっと、ジェッツが破顔してみせた。



「……だがまぁ、非人道的と非難されると反論できないのは認めよう。もっとも俺にはもう、その言葉の意味は理解できても、それの何がいけないのかがさっぱりわからないわけだが」



 両眉を上げ、にこりと頬をり、出来の悪い生徒に聞かせるようにゆっくりと語ってゆく。



「そんな君らに親切心で教えてやろう、たった一つのえたやり方ってやつを」

 ジェッツが、左の親指で自分の胸を突いてみせ、右手を喉元につっと横切らせる。

「そんなにこの街が大事だってなら……この俺を鬼だ悪魔だと断ずるのなら……――殺せばいい、、、、、



 そんなこともわからないのかと、ジェッツは嘲笑あざわらった。



「どうだい、馬鹿でもわかるシンプルな答え――」

「――馬鹿はお前のほうだろが」



そこへ。


 ジェッツが言い終わらぬうちに声をかぶせてきたのは、サイハだった。


 ピクリ……。

 ジェッツの頬が震える。



「……。……なぁ、なぁなぁ、なぁー? 聞き間違いか、サイハぁ? だぁれが馬鹿だって?」



「お前のことだよ、馬鹿野郎」

 ゆらと殺気を立ち上らせるジェッツを前に、サイハがひるむことなく言い重ねる。

「ジェッツ……十年だ。あの事故から十年、お前はそんなことしか考えてこなかったのかよ……〝邪魔な奴は殺せばいい〟って? ……はっ!」



 ジェッツの殺意を、今度はサイハのほうが笑い飛ばしてみせる。



「あぁ、なぁーんだ…………オレ、お前のこと化けもんだって……底の見えない覚悟を固めた、とんでもなくつえぇ奴だって、びびってたけどさぁ。そんなこと、なかったな」



 サイハはもう、恐れも強がりもしていなかった。



「……そんなだから、、、、、、、街を潰す気になんてなれるんだ。……そんなだから、、、、、、、こんなゆがんだ〈蟻塚ビル〉なんて作っちまったんだ」



 サイハが目を閉じる。

 天を見上げる。



「ジェッツ……お前の底が見えなかったのは、お前の覚悟が深すぎたからじゃない……お前自身がずっと、、、、、、、、お前から目を背けてたから、、、、、、、、、、、、。だからオレたちにも、それが見えなかっただけだったんだ」



 サイハはもう、ジェッツを見てなどいなかった。

 にらみつける意味もないと。



「レスローの人間で、あの事故に心と身体が傷つかなかった奴なんて一人もいねぇ……お前も含めて、ただの一人だって、いるもんか」



 遠く、遠く遠く。

 目を閉じたままのサイハが、ずっとずっとずっと遠くを見つめてつぶやく。



「だから……言うはずがないんだ、、、、、、、、、。心も身体も傷ついた、そのどん底から立ち上がれた奴ならよぉ……本当に強い、レスローの男ならよぉ……――『殺せばいい』なんて言葉は! 絶対にっ! 言わねぇっ!!」



 ギンッ! と。

 サイハがジェッツへ、一瞥いちべつらわせる。



「だから、『殺せばいいそれ』を笑いながら口にするお前は、十年前の傷を痛がってるだけの男だ。大切だった誰かのことを、弔ってもやれない情けない男だ。――二本の足で立ててもいない、お前こそ四つ足ついた負け犬だ!」



 それは核心を突く言葉だった。


 十年前の大崩落事故で義父を失ったサイハだからこそ、語れる言葉。


 悲しみと絶望から立ち上がったサイハの声で紡ぐからこそ、研ぎ澄まされた言葉。


 そして最後に放たれたのは、ありきたりな挑発の言葉であった。



「ジェッツ…………――――浅ぇぞ、、、お前の器、、、、



「……………………」



 ジェッツが、微動だにせずその場に立っていた。


 肩をすくめることもせず。

 論点が飛び散る話術もなく。

 鼻で笑い返す気配もなく。


 ただジェッツは、まるでサイハの言葉に金縛りにされたかのように、ピクリとも動かなかった。


 動けなかった、、、、、、



「………………………………………………………………………………………………」



 ――ブチリ……ッ。



 どこか遠くで、ジェッツは何かの切れる幻聴おとを聞いた。









「…………サイハ……………………………………………………………………死ねよ、お前」









 いま砂塵さじんの舞う頭上に、ごうと空気のうねる音。



「危ない! 逃げてっ!!」



 メナリィの悲鳴。


 サイハとリゼットが左右へ跳ぶ。


 直後、その場へと影が落ちた。

 巨大な、濃い影。


 後方にいたメナリィだからこそ視認できたのだ。

 その大きすぎる影を。

 その実体、、の迫力を。






 ズズ…………………………………………………………………………ンッッッッッ。






 砂煙を押しのけて現れた〝それ〟が、大地を揺らす。


 ルグントの、物理法則をねじ曲げる影ではなく。


 それは岩塊。


 巨大すぎる質量の塊――――〈PDマテリアル、、、、、、、本社ビル、、、、


 巨人の姿へと変貌した、〈蟻塚ありづか〉の一撃であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る