6-5 : 離散




 ◆ ◇ ◆




 撤退先――〈ぽかぽかオケラ亭〉、二階。


 バチンっ!


 それはエーミールがサイハをった音。

 彼女がサイハの手当を終えた直後のことだった。



「……メナリィとクマ社長のことで頭が一杯だったのはわかる……気持ちが抑えられなかったのも理解できる……。……でも、これだけは言わせてもらうぞ!」



 ジャケットの襟をつかみ上げて、エーミールがサイハと顔を突き合わせ。



「君は、周りが全く見えていない! 街の人たちは全員無事だったが、死者が出なかったのはただの偶然だ!」



「…………」



「何より君と! リゼットだ! 無茶むちゃをするななんて、私にそんなこと言う資格はないのだろうけれど、だからってあんな……! 死んでいたかもしれないんだぞ、君たちは!?」



「…………」



 抜けたようになっているサイハは、エーミールに揺すられるに任せるばかりで何も反応しない。



「何とか言えよ、馬鹿!」



 エーミールがサイハを突き飛ばし、キッとにらみつける。握り締めた拳が震えていた。



「……。……いっそ置き去りにしてくれればよかったんだ……」



 倒れたままで、サイハがぼそりと口を開いた。



「粋がってるだけのオレなんて、とっくの昔に野垂れ死ぬか、しょうもない夢なんて捨ててればよかったんだ……そうすれば街もメナリィも、こんなことにならずにすんだかもしれないのに……」



「……っ!」



 サイハのそんな発言に、エーミールが激昂げっこうして形相を崩す。


 バチンッ!!


 ……それはエーミールが、先よりもずっと力をめて、自分の頬をった音だった。



「……。……エーミール――」

「そんなこと言うな! 言わないでくれ、そんな……! 何で……何でこんなときに限って自分を責める!?」



 エーミールが胸元をドンとたたき、サイハへ訴えかける。

 目元には涙がにじんでいて。



「責めるなら、私を責めろよ! 私のせいなんだ……私の! ジェッツとあの秘書とは何度も対面してたんだ……それなのに、気づけなかった! 目の前に〈蒸気妖精ノーブル〉と、それを悪用していた操者ドライバがいたのに! 私の役目だったのに! 〈解体屋〉、失格だ……っ!」



余所者よそもんが、勝手に責任背負って楽になろうとしてんじゃねぇよ……」



 サイハの辛辣な言葉に、エーミールが涙を流しながら自嘲する。



「ふ、ふふ……おこがましいかい? ああ、いいよ、好きなだけ罵ってくれ。そうやって傷つけてくれないと、私は私をゆるせない……」



 涙があふれたことで抑えが効かなくなり、エーミールは壁際に座り込んで膝を抱えてしまう。



「……いろいろあったけれど、短かったけれど……それでも私はこの街とこの街の人たちのことが、好きになっていたんだ……君が怒ってくれたら、私も君たちの一員になれる気がして……気持ち悪いだろう? 自分勝手だろう? そう言ってくれ、頼むから……!」



 罵倒してくれ、軽蔑してくれと懇願するエーミールに、けれどサイハは――



「言えるかよ、そんなこと……」



 仰向あおむけになったまま、サイハは自分の目元を鷲掴わしづかみにする。くしゃくしゃの口元からは歯軋はぎしりが聞こえた。



「言え゛ね゛ぇよ……! あんたは、恩人なんだっ……オレの機械十年を、形にしてくれた……!」

 悔し涙と鼻水で、声が詰まる。

ひでぇことしたのは、オ゛レ゛だ……! 自分のことしか、見えてなかった! メナリィを、一人にさせちまった……リゼットに、あんな……!」



 傷心しきった二人が塞ぎ込んでいると。


 キィ……。

 部屋の扉が外からわずかに開かれた。



「……サイハさん、エーミールさん……」

「ケロロォン、リゼット氏の意識が、やっと……」



 ヨシューとヤーギルが、扉口に縦に並んで顔をのぞかせる。


 少年とカエルがおずおずと口にしていると、ドカッ!!


 突然、扉がたたき開けられた。



「…………」



 無言で、リゼットがそこに立っていた。


 左腕を首にり、頭部と右目には包帯を巻いている。

 身体からだ中にもガーゼと包帯が当てられていて、そのすべてに血がにじんでいた。

 脚を引きずって歩く姿が痛々しい。


 リゼットが目だけをギョロリとやって、サイハを見下ろす。

 その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。



「……リ゛ゼッド……」



 サイハが嗚咽おえつみ殺しながら、彼女の名を呼ぶ。



「……。…………。………………無様だナ……」



 そうとだけこぼしたリゼットの声は、氷のように冷たかった。



「うっ……う゛っ……!」



 それ以上、サイハは何も言えなかった。


 リゼットに髪を鷲掴わしづかまれて、ベッドから床へ転げ落とされても……もう、何も言えなかった。



「……。…………。………………こンなのが……」



 ゴスッ。


 リゼットが、サイハを蹴りつけて。



「こンなのが……こンなのがッ!! こンなのがアタシの操者ドライバだァ?! クソみたいなツラしやがッて! ボコボコにやられやがッて!! アタシを……アタシをッ、ひどい目に遭わせやがッて!! 気に入らねェ……気に入らねェンだよ! バカ、バァカ……バアァーッカ!!」



 ゴスッ、ゴスゴスッ!


 そうして何度も、何度も何度も、リゼットはサイハを蹴りつけた。


 敗北、屈辱、苦痛、恐怖、後悔……ぐちゃぐちゃになった気持ちを、彼女はそうすることでしか表すことができなかった。



「認めねェ、認めねェぞ! テメェみたいなクソヤロー、アタシは、絶対――ウッ……!」



 急な立ちくらみにリゼットが尻餅をつく。

 傷口が開いて、包帯に赤い染みがじわりと広がった。



「! ……リゼ――」



 悲壮な表情のサイハが、思わず手を伸ばす。


 けれど。



「アタシに触ンなッ!!」

 リゼットが右腕をぶん回し、サイハの手を払い飛ばして。

「同情なンてしてンじャねェ! 乱暴したクセに! アタシのこと、使いこなす気もないクセに!!」



 リゼットのその態度はまるで、虐げられるばかりで人の手のぬくもりを知らずに育った、野良猫のようだった。


 しん……と、室内がかなしい沈黙に満たされる。



「……。……勘違いしてンじャねェぞ……アタシは、テメェにコイツをくれてやりに来たダケだ」



 そう口にした直後、リゼットがサイハの顔面を握り拳で殴り飛ばした。



「っ……」



 脳震盪しんとうを起こしたサイハが、床に伸びる。



「……。…………。…………テメェとなンて、もう二度とゴメンだ……」



 そう捨て台詞ぜりふを吐いて。


 リゼットは、脚を引きずりながら出て行った。


 エーミールもヨシューもヤーギルも、誰も彼女を呼び止められなかった。


 声一つ、出せなかった。


 すんすんと、堪えきれずにヨシューが泣く。

 カエルヤーギルが心配そうに、少年の頭を撫でる。



「――……私も……もう、ここにはいられないか……」

 一体どれだけの時間がったか。まぶたを泣き腫らしたエーミールがよろりと立ち上がり。

「ヤーギル、おいで……」



「……ケロロォン……」



 ヤーギルがぴょこぴょこと身体を揺らしてエーミールのそばに寄る。

 カエルの彼まで涙を流していて、タキシードの胸ポケットからハンカチーフを取り出して、「びぃー!」とはなをかんだ。



「……サイハ……私たちは、出会わないほうが良かったのかもしれないけれど……それでも私は君たちのこと、嫌いじゃなかったよ」



「…………」



 エーミールの別れの言葉にサイハは背を向けたまま、口を閉ざす。


 バサリ。

 ロングコートが翻った。



「……。…………。…………さよなら」



 エーミールが最後に浮かべた微笑ほほえみは、はかなかった。



「ケロケロロォン……皆様、どうか御達者で……」



 鼻水まみれのハンカチーフをヒラヒラとやって、ヤーギルが主人に続いて倉庫を出て行く。


 チャリン……。

 最後に、空薬莢やっきょうのロケットの揺れた音がして……。


 扉が、固く閉ざされた。






 この場には、サイハとヨシューだけが残って……――





 そしてこれまでの出会いのすべては、ここに精算された。

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