1-5 : 〝ロマン〟

「っ!?」



 それは咄嗟とっさの反応だった。


 頭で考えるより先に、サイハが横へ飛び退いた。



 ドゴンッ!

 地面を強打する大音響が、球状空間に反射して耳をろうす。



「……アでエ? なンでわかたオめエ?」



 声が聞こえた。

 フゴフゴと、豚が鼻を鳴らすような呼吸音。


 ランタンの反射光に浮かび上がったのは、坑道作業用の粉塵ふんじんマスクに半円形のゴーグルをかけた大男だった。

 達磨だるまのようにでっぷりとした体型が、異様に大きな影を落としている。


 一拍も二拍も置いて、何が起きたかようやく理解の追いついたサイハが語気を強めた。



「バっっ……っカじゃねぇの!? おいふざけんなよ豚マスクこらぁ! んなもん食らったらミンチじゃすまねぇだろが?!」



 マスク男がジャゴリと持ち上げたのは、子供の背丈ほどはあろうかという大槌おおつちだった。

 凹凸を設けた打撃面に、硬質鉱物をずらりと並べたそれは、岩をたたき割るための破砕槌。


 間違っても人間相手に振り上げてよいものではない。ましてやそれを躊躇ちゅうちょなく振り下ろしさえした大男は、つまりはサイハにとって敵対者ということ。


〈PDマテリアル〉の番犬。

 露天鉱床に忍び込もうとするやからへの対処にと雇われた、用心棒。


 汽笛守きてきもりが言っていたとおり、近頃は獄卒ならぬならず者卒が睨みを利かせていると小耳に挟んではいたが、まさかこんな露骨にヤバい奴まで飼われているとはサイハも聞いていない。



「こ・こ・は! 鉱脈都っ市! 石ころ掘るのが仕事の街だ! 戦場じゃねぇんだぞ豚マスク! 脂肪しか詰まってなさそうな頭でもそれぐらい、わ・か・れ!! 殺す気かっ!」



 サイハの猛烈な抗議に、しかし大男ははてなと首を傾けるばかり。

 激烈な重量であろう破砕槌を左腕一本で肩へ担ぐと、不気味なマスクの奥からフゴフゴと鼻息が漏れる。



「オで、『モグラは潰してイイ』て、イわれた。オやぶんに。オやぶんのオやぶん、オこてる」



 えらく頭も舌も回らない大男の言っていることを理解するのに、サイハのほうも時間を要した。



「……っ」

 そして知る。何が起きたか。


 先の〈蟻塚ありづか〉での盗み聞きがバレていたのだ。


〝親分〟とは、恐らくあの秘書の男のこと。ならば〝親分の親分〟とは〈PDマテリアル〉CEO――そう理解するならば、綺麗きれいに説明が通る状況であった。



「ふぅーっん、そういうことかよ……やってくれるじゃねぇか最大手様。そういうことならオレも手が出るぜ、正当防衛だ。……だけど、あと一個わかんねぇなぁ……」



 下ろしたバックパックに手を突っ込んでガサゴソやりながら、サイハが大男をにらむ。


 短い金髪を怒りに一層逆立てて、野良犬を連想させていた風貌は今や牙をおおかみのそれ。



「……ヨシューを。オレの可愛かわいい弟分を、どこやった? 腐れデブッチョ」



 フゴフゴ……フゴフゴ。

 それはどうやら笑い声だったらしい。



「アア……アの坊主かァ? そウイやさっきから、こイつぜンぜン動かなイ」



 大男の半円形のゴーグルが、自らの右腕のほうを向く。


 太枝のような二の腕から、短パンと細い脚が垂れ下がっているのが見えた。



「…………」

 フッ。と。次の瞬間。


 無言のうちに踏み込んだサイハが、大男と至近距離から顔を突き合わせていた。



「――ヨシューが起きたら泣いてびろ、贅肉ぜいにくマスク」



 見開かれた赤土色の瞳には、怒りを通り越してただ放ったランタンの光だけが映り込む。


 ゴガッ!

 サイハの右フックが大男を捉えた。


 いつの間にか、そこには拳全体を覆う金属グローブが装着されていた。

 サイハもサイハで、そんな物騒な物を常備する程度には血の気の多い男であった。


 さしもの巨漢とて、ぐらりと足にくる一打。

 それでも大男は卒倒まではしない。



「ブヒッ! オで、オでより小さイやつには一ぱつなぐらせる。おまエのイイパンチ!」



 興奮した豚のような笑い声。圧倒的な体重差を前に、脳みそを揺らし足りない。



「……はガっ?!」



 巨漢はただ〝巨漢である〟というだけで存在そのものが質量兵器である。贅肉ぜいにくの乗った巨体をぶるんと震わせると、ワガママボディのすさまじい面圧がサイハを押し返した。


 はじき飛ばされたその先は、近接戦グローブの間合いを抜けて、既に中距離破砕槌の射程。



「モグラたたき、たのしイぞ! 逃げるのちょとずつ、ぶ潰すぞ!!」



 右腕の中で気絶していたヨシューを放り捨て、大男が両手で破砕槌を真横に振った。



「!!」

 サイハが、何を思ったか素早く前に飛び出した。



「ブヒヒィ!」



 再び近接戦に持ち込もうとしたサイハの動き。それに応じて、大男の筋肉が盛り上がる。


 円弧軌道を描いていた破砕槌が、グンッと途中で内側へねじれる螺旋らせん軌道へ切り替わる。

 それは獲物を追い回すいのししのように回頭して、はっと防御態勢を取ったサイハを容赦なく殴打した。



「ぬ゛っ……ぐぎっ!?」

 周囲にびちゃりと、飛び散る血飛沫ちしぶき



 破砕槌の打撃面に並んだ硬質鉱物がサイハの肌へと食い込み、衝撃が骨と内臓を突き抜ける。


 吹き飛んだサイハは地盤の上を跳ね回り、尻を上げたうつ伏せの体勢でようやく停止した。



「あ、あ゛……! ちっ、くしょ……や゛っぱ、洒落しゃれになってねぇ゛……っ」



「わざと飛びこんでくるモグラ、はじめて。オで、アたまよくなイけど、オまエもバカ。ブヒッ」



 フゴフゴ言いながら、大男はサイハに近づいてくる。破砕槌から血が滴る。



「……馬鹿は、お前だ、ブヒブヒ達磨だるま……」



 生まれたての子鹿のようになりながら、サイハがにらむ。

 グシ、と。口に流れた血を拭い。



「あのまま、その得物振りきらせてたら……せっかくの、綺麗きれいな結晶……ぶっ壊すとこだったろうが」



 サイハの焦点は、大男ではなくその背後、美しい金属結晶に定まっていた。

 欠損も傷の一つも入っていないその表面には、今はサイハの流血だけが唯一の不純物として付着している。



「あーぁ……汚して、やんなよ、くそ……」



「??? よくわかなイことイウな、オまエ」

 辛うじて立ち上がったものの、膝から手を離せずにいるサイハの眼前に大男が対峙たいじする。

「〝アで〟、めちゃくちゃかたイ。オでもウ、何回もぶったたイたけどぶ潰せなかた。ドリルもくいもダメになるから、みンな困てる」



「はっ、何だよ……ひどいこと、してやんなよなぁ……」



 サイハが鼻で笑うと、そこから血が流れ出た。

 鉱夫たちがそろいもそろってこの美しい金属結晶に採掘機をぶつける光景を想像すると、サイハは胸が痛んだ。


 振り上げられる破砕槌の影が、サイハにすっぽりと覆いかぶさる。

 目をつむり、いっそ諦観した静かな笑い顔を浮かべ、彼は独白するようにつぶやいた。



「オレには、夢があんだよ……」



 相槌あいづちの声は、聞こえない。



「ロマンがないのは、つまんねぇ……」



 耳を傾ける者もいない。


 呆然ぼうぜんと見上げる先にあるのは、無慈悲に振り上がる、無機質の槌。



「納得もいかないままよぉ……小さく収まりたかぁ、ねぇよ、なぁ……」



 そして――ピシリと。

 一筋の、真直の亀裂の走った、金属結晶が見えた。



「……え……?」



 ピシリ、ピシリ、ピシリ。と。

 銀色の巨大結晶の表面に、細い細い亀裂が入る。


 どんなに高速で回転するドリルにも。

 蒸気で強烈に打ち出す鋭いくいにも。

 そのことごとくを刃こぼれさせて、ひたすら無傷であったその結晶に、おのずとひびが走ってゆく。


 ガコリッ……。

 それは結晶が砕け落ちた音ではなく。


 ジャコンッ。

 真っぐに走った亀裂に沿って、結晶構造の一部が滑り動いた、、、、、音だった。


 ガコリ……ジャコンッ。

 ガコリ……ジャコンッ。

 ガコリ……ジャコンッ。


 開いた結晶が、その内部へ自らを格納する、、、、


 全幅五メートルを超えていたその体積が、急速に収縮してゆく。


 そして。



 ピシュゥゥー!



 噴き上がったのは、真っ白な蒸気の奔流だった。


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