未婚の貴族or高名の依頼人 23

 それにしても、このヴィクトリア時代のッスルドレス、ッスルドレス? って、なんであんなにうしろが出っ張っているんだろう? 荷物のひとつやふたつ乗りそうじゃない? メイドの服はそれほどじゃないよね? こっちの方が動きやすいのに?


 マリアは、沈痛な表情のワトスン博士、ポケットに入れていたらしき紙袋から、クッキーを取り出して食べているレストレード警部、そして、自分に説教をしているホームズに囲まれながら、運動部、どなられ慣れ過ぎあるあるで、しごく申し訳なさそうな顔で、そんな風に、まったく関係のないことを考えていたが、彼女の表情を真に受けて、ひどく気の毒に思ったワトスン博士が「まあまあ、いいじゃないか、どのみちなんとかしなきゃならんはずだったし……」そんなことを言ってとりなすし、すっかりクッキーを平らげて、手持ち無沙汰になった警部も「説教はあとにして、先にほら、の方を……」などと、もっともなことを言い出したので、しぶしぶ矛先をおさめる。


「とにかく、二度と勝手なことはせんように!」

「へ、へいっ!」


 元気よく返事をしたマリアは、さっさとこの場を逃れようと、警部と一緒に、手帳とティーカップを探しに、やかたの奥へと、扉をくぐり消えてゆく。


「ケガでもしたらどうするんだ……まったく……」

「まあまあ、いつもは君が手加減しているからだけれど、今日もなんにもなかったから、よしとしようや……」

「知っていたのかね?」

「まあね。確かにあのお嬢さんは腕がたつ。それに彼女のいる世界では、紳士と淑女の付き合い方や認識、対応も違うんだろうよ。けれど、けれどもだ、我々はこの世界に住む紳士だ。こちらの流儀は譲れんよ。そうだろう? だからこそ君は、あのお嬢さんに首を折られても手出しはしない。それに彼女は君にとって、特別な貴婦人なのだから。違うかい?」

「…………大きな借りがあるからね」


『カシャ――ン』


 そう呟いたホームズは、一階の窓ガラスを、いかにも物取りがそこから入ったかのように、適当に割ってから、ふたりのあとに続き、あえて、それ以上は問わないワトスン博士と一緒に、開いたままの扉から中に入ると、慎重に内側から扉をしめてカギをかけ、飾ってある高価な、しかしながらいかにも由緒のなさげな品々を、ぐるりと見まわしてから、二階に続く階段を上ってゆく。


 あとから黒い影が、植え込みから立ち上がり、門から走り出したことには、まだ誰も気づいていなかった。



〈 一階フロア/陶磁器の間 〉


「お嬢さまの“ティーカップ”はありますかな?」

「……あ? ええ――っと、いま探しているのですが……数が多過ぎて……」


『うちのママみたいに店を開くわけでもなし、こんなにティーカップ集めてどうするんだろう? 壺とか? コレクターってわかんない!』


 マリアは、見つからない“ティーカップ”と、怒り狂ったママの顔を思い浮かべ、少し体をふるわせてから、そういえば、いまのわたしはメイドだったと、警部の“お嬢さま”という言葉に立場を思い出し、頭の上に乗っているヒラヒラのついた大きなドアノブのような、白いヘアキャップを触る。


“カッパの皿”と“ドアノブ”……どっちもどっちかな? おしゃれに興味のない彼女は、他人の知らない恐ろしい表情の母を、思い出すのを拒否するかのように、わざとそんなことを考ていると、そこにレストレード警部が声をかけた。


「ふむ、いくら、見え張り成金とはいえ、盗んだ盗品を堂々とコレクションには飾らんと思うんだがね? 先に手帳を探してはどうかな? 大切なモノは、だいたいまとめて隠しているだろうし……」

「それですね!! さすが警部!! 書斎!! 先に書斎を探しましょう!!」

「いやいや、これでも何十、何百と場数を踏んでいるプロだよ君?」


『いっつもホームズに、にされているけれど、レストレード警部、実はまとも! てか、わたしが間抜け!!』


 マリアは、まんざらでもなさそうなレストレード警部と連れ立って、間取り的に、おそらくは書斎であろう場所に向かって、ふたりでそろそろと進みだした。



〈 ホームズたちがいる二階フロア 〉


 とある部屋で灯りをつける。浮かび上がったのは、流行りの柄模様の壁に、有名な画家の描いた、現代風の小さな人物が何人か描き込まれた大きな風景画。最近流行している作家がデザインしたらしきタペストリー。


 天井にはどこの宮殿かと見間違うようなシャンデリア。ゴブラン織りの分厚い布にぐるりと囲まれている天蓋つきの真新しい特注であろうベッド。


 ほかに数部屋あった寝室と同じく、つまるところ、彼の歴史のなさが隠しきれていない、カギのかかった豪華な寝室の扉を、ホームズは呪文も唱えずに、魔法のようにカチリと小さな音を立てて開けて入り込む。


 彼らは二階より上にある部屋を、すみずみまで同じようにのぞきまわって、最後にここ、おそらくはグルーナー男爵の寝室に、たどり着いていた。


 ほかの寝室と同じようで違うのは、時間に追われる相場師らしく、ベッドのそばにライティングデスクならぬ、書斎同様の巨大なデスクと、書斎のように一画を書棚が占めているくらいだろうか?


 なにげない様子で、ホームズは書棚に並ぶ本の背表紙をながめたり、本を取り出して中身にちらりと目を通したりしていた。


「それにしてもワトソン君、どこも、なにもかも、彼の強烈なと、悪癖と呼ぶには度が過ぎた趣味が、ひとつひとつに散りばめられた部屋だねぇ……」

「しごく上品に言えばそうだが、わたしは彼の強烈な“欲望のやかた”に、うすら寒ささえ覚えるよ」


 ホームズの意味深な視線に、ワトソン博士も、はっと気づいてそう答える。視線の先にあった風景画の中に描かれた小さな人物は、よくよく見ると、すべて彼の手にかかって死亡した元夫人たち……。


「ヴァイオレット嬢に、君の半分でも勘が働けばねぇ。そうであれば、ここに住むクジャクの尾羽には猛毒があると、すぐにでも理解できただろうに。おっと、あったぞ」


「なにが?」

「彼には憧れのちょっとした仕掛けさ……お気に入りなんだろう。おそらくね……」


 ワトスンも書棚を見てみたが、さっぱり分からない。自分好みに装丁を特別にあつらえたのであろう。色、サイズ共に、実に綺麗に並んでいる書棚であった。自分も一冊取り出してみる。


『多肉植物の密封育成方法 3』


 茶色の皮の装丁に、美しい植物模様で縁どられた金の文字が、そう印字されていてある。パラパラとめくって、驚きに目を見張った。


『~アヘンチンキ、その中毒性と害悪について~』


 その書籍は、ワトスンが属する医学会でも取り上げられ、検討されている論文の載った本であった。驚いて他の本も手に取ると、見事に中身はいわゆる『殺人』に関する本で、とても医学関係者でも、推理作家志望でもない者が、やみくもに集めた風ではなく、ワトスン博士は、彼が偏執的に『殺人』にこだわっている証拠を、目の前に突きつけられた思いがし、これ以上の被害を出すわけにはいかないと、ぎゅっと目をとじる。そして思った。


「これだけあれば、“ブラックウイッチマガジン”があって、おかしくないんだがねぇ……」

「正しい発想だねワトソン君。サイズが合わんが、これだけ偏った蔵書の中に、アレがないのは不思議な話だ」


 そう答えたホームズの鋭い視線が、巨大な書棚の隅々に向けられてゆく。


 ちなみに『ブラックウイッチマガジン』とは、医学的なネタを扱う機関紙というではあるが、『黒き魔女ブラックウイッチ』というタイトル通り、どちらかと言えば、医学的であることよりも、いかにも胡散臭い、魔術的、呪詛的な一般受けしそうなネタを集めて、大衆向けに発行されている雑誌で、信ぴょう性があるなしにも関わらず、結構な人気と発行部数を誇る雑誌であった。(まれに先走り過ぎた真実があるので、ワトソン博士も一応、定期購読はしている。)


 ワトスン博士は、少し首を傾げて、口元にこぶしをやって考えてから口を開いた。


「あれはサイズが大きいから、この本棚には並べられんだろう。奥行きもあるし。まあ、横に向けて突っ込めば別だが、いかにも見栄えが悪い。並べるのは、あきらめたんだろ? かなりのこだわりをもって、このやかたに住んでいるようだし、まあ、図書館へ行けば用は足りる。ホームズ?」

「……なあ、ワトスン君、君はもう少し深く考えるクセをつけた方がいい。金のある男が容易に手に入るものを、わざわざ図書館に借りに行くかね? それにほら、マスグレーヴも熱心な読書家だが、彼の図書館に乱れがあったかね? よく思い出したまえ、彼も大量のサイズの合わない画集やら、巻物を持っているだろう?」

「そうだね……倉庫にでもしている部屋があるのでは?」

「それは読みたくなったときに、めんどうだろう?」


 ホームズの言葉に、首を傾けたままワトスン博士は、マスグレーヴ家の図書館を思い出す。整然と並んだ大量の本に、乱れなど一切なかった。そこに、耳になじんだよく通る、張り上げられた声が聞こえる。


「さあ、ご注目! 一糸乱れなき本棚の収納法を!」


 ホームズはそう言いながら、ベッドの側にあるデスクから持ってきたらしき、豪華なナポレオン様式の金の縁飾り、黒革の張られた椅子に、土足でひょいと乗ると、本棚のはるか上部、天井に近いあたりに目をやって、一瞬、同じように本の列(に見える)木の扉に手をかけ、本の列に似せたフタは開き、魔法のようにパカリと四角い空間が現れる。


 中には、書棚にあわないサイズの大き過ぎる本や雑誌。そして、しばらくゴソゴソ彼の腕は中を探っていたが……やがて、空間の中から出て来た、伸ばされた長い指先には、キラリと光るなにかが挟まっていた。


「おい、ホームズ!」

「ああ、これが、まさしく我々が探していたカギだろうよ! 今回はヤツのはまり過ぎた、四角四面な貴族趣味が裏目に出たな! それに脇が甘く少々造りが雑だった。我々のような手だれの盗人ぬすっとの目はごまかせんよ! さあ行こう!」

「どこへ?!」


 小さな鈍い光を手に握ったまま、いま踏み台にしていた椅子を、きれいに拭きとり、慎重にもとに戻していたホームズが振り返る。


「カギ穴のところだよ! アテはある。君は僕のカギについての論文を読んでいないようだが、まあいいだろう。あと、一階の書斎から荷物をふたつ、引きとって帰らねば!」

「素晴らしい! 君はやはり天才だね!!」

「君はいつも大げさだ!」


 そんな返事をしながらも、階段を急いで降りるホームズの顔は、いつものように少し得意げだった。


 ガス灯に浮かび上がる、夜目にも息苦しく曇る空には、星ひとつ見えなかったけれど、その世界に生きる者たちは、それぞれに、いきいきと色づいていた。……。


 ~~~~~~~


 ※『ブラックマガジン』は架空です。元ネタは『ブラックウッズマガジン』ですが内容的には無関係です。

 

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