未婚の貴族or高名の依頼人 24

【前説/エジプシャン・ホール】


 ロンドンの繁華街ピカデリーには、元宝石商のウィリアム・ブロックによって、1809年に建てられ、以後100年に渡り人気を博し、エジプシャン・ホールと呼ばれた奇抜な展覧会場があり、そこには、彼が収集していた15000点にもなろうかという博物コレクションや、古武具コレクションが展示されていた。


 また、ホールでは、ありとあらゆる見世物の興行も、入れ替わり立ち代わり行われ、人気のスポットであったが、1890年代にはその人気にもかなり陰りが見え、商売替えも検討されていた。


~~~~~~


〈 グルーナー男爵のやかた 1階 〉


『手帳あった!!』


 ホームズたちが、二階を捜索し終えるころ、マリアとレストレード警部は、グルーナー男爵の書斎を、あさっていた。


『……なんか、この部屋にはわたしと家内しか立ち入りを許していない! とか、なんとか言っていた文書箱から手紙を盗まれた人が、まぬけたことを言っていた事件があったけど、わりあいグルーナー男爵も、その系統なんだろうか?』


 マリアはそんなことを思いながら、茶色いカギのかかった手帳を、両手でしっかり握りしめてから、エプロンの下にぶら下げた小物を入れる袋にしまう。それから、警部と一緒に今度は『ティーセット』を探すが、こちらが見当たらない。


「なくなったのは1客だけで?」

「……たぶん12客セットです」

「ふむ、それならば、隠す場所もあまりないように思えるが……他の部屋も探して……」


 警部がそう言いかけたときである。2階から駆け下りる二人分の足音がして、書斎の中に、ホームズとワトスン博士が現れたのは。


「これは先生! ずいぶんと早いお戻りで。成果はありましたかな?」


 レストレードの問いに、ホームズは一瞬いつものように、唇を笑顔の形に引き上げて、黒い手袋をはめた両手を前であわせながら返事をする。


「まあね。それよりも手帳とティーセットはどうなったのかね? 優秀なスコットランドヤードの警部殿ならば、もう見つけているかと思ったのだが、どうやらまだ見つからんようだねぇ……」

「…………」


『うわぁ……ほんと、人の神経を逆なでするのが上手いと言うか、なんと言うか…

 …』


 マリアはそんなことを思いながら、ちょっとかわいそうになったので、口をはさむ。


「て、手帳! 手帳は警部が見つけてくれました! ほら!」

「ふむ。それならあとはティーセットか……」


 エプロンをまくり上げて、手帳を袋から取り出し、マリアがホームズに手渡すと、彼は警部に疑り深い目を一瞬向けたが、「……なんだか、また、腹の具合が……」なんて言い出した彼をワトスン博士に任せ、マリアをつれて、待たせていた馬車に乗り込むと、ステッキで乱暴に天井を突いて、出発の合図をした。


「エジプシャン・ホールへ!!」


「おいホームズ! われわれは、どうやって帰るんだ?!」

「辻馬車でも拾ってくれたまえ!! ようやく捕まえた尻尾が逃げてしまう! 急がねばならんのだよ!」


 こんな夜中に辻馬車なんて、そうそうあるかい! ワトソン博士は、そう内心で毒づきながら、本格的に具合が悪くなってきた様子の警部を励まし、辻馬車を探しながら、肩を貸して歩きはじめていた。



〈 その頃の大英博物館 〉


「はじめましてメルヴィル嬢……えっと、たしかこちらは……ごめんなさい、お名前が出て来なくて。確かお母さまの葬儀で、てっきりオーストリアに出発なさったのかと、思っておりましたけれど?」

「……婚約者のグルーナー男爵、れっきとした貴族ですわ。あと、お母さまの件は誤報でしたの。招待客の名前を覚えられない婚約者なんて、マスグレーヴ卿も、この先ご苦労が絶えませんわね」

「あら、ご招待したのは、たしか貴女のお父さまのド・メルヴィル将軍と伺っておりましたけれど? 極東育ちのわたくしですら、お父さまのご苦労……お察しいたしますわ……ほほほ……」

「〜〜〜〜!」


 コブラ対マングース……いや、実際のところヴァイオレットは、蛇ににらまれたカエルであった。


 しかしながら、これまで同性の中では、誰にも言い負けたことのない彼女は、生まれて初めて自分より口が立つ上に若く美しく、しかも地位のある婚約者を持つマリア(テレーゼ)に出会い、負けず嫌いに火がついて、奥歯を噛み締めてから、反撃に出ていた。


 その視線だけで石にしてしまうような、メドゥーサのような彼女の恐ろしい視線は、マリアならば、いささかひるんだに違いなかったが、もちろんテレーゼはどこ吹く風で、なにを言っても倍返しといったセリフを、実に上品な姿から繰り出していたし、グルーナー男爵は男爵で「あらためて、ご挨拶いたします。わたくし……」などと、自分を売り込もうと必死であった。


『……適材適所……』


 屋敷から派遣されていた使用人たちを取り仕切っていた、そんな様子を見ていないようで、しっかり把握していた執事は、テレーゼの横にいる主人や、ホールダネス公爵が、実に貴族的な無表情で礼節を保った表情で、聞こえなかったふりをし、たわいもないやり取りをしながらも、しっかりふたりの会話を聞き取って、必死で笑いをこらえているのが分かったし、テレーゼの美しさに見とれていた公爵の息子のサルタイヤ卿は、父親にしっかり勉強をするようにと言われ、フロアに展示された美術品を、それぞれの所有者に説明されながら、さも感心しているような様子でながめつつ、チラチラと遠くから彼女を心配そうに見ていた。


 いわゆる父親世代からの、ヴァイオレットの評判のよさとは違い、彼を含んだ青年貴族の間で彼女が有名なのは、その恐ろしいほどの気の強さだったのであったのである。

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