未婚の貴族or高名の依頼人 22

〈 あれから三週間後 ~極東からの息吹~わたしの愛する大日本帝国コレクション~ 開催日当日、閉館後の大英博物館 〉


 ガス灯で照らされる閉館後の博物館に、次々と紋章入りの馬車が乗りつけては、英国と聞いて想像する『紳士淑女』が、降り立っていた。


「あなた、今日はついにマスグレーヴ卿の婚約者に、お会いできるのですね……」


 そう言う若い奥方と寄り添っていた紳士が苦笑する。


「たしかに気になることだけれど、今日はあくまでも、コレクションの愛好会ではあるからね。あまり若いレディにばかり夢中になられては……」

「も、もちろんですわよ。今夜はおとなしく、皆様のコレクションを拝見いたします」


 白く繊細なレースと透かし模様やモールで飾られた、パリジェンヌブルーと呼ばれる、明るい青色の夜会用のドレスに身を包み、栗色の髪を美しく結い上げた奥方は、そう言いながら、「でも、今度開くお茶会に誘うくらいなら構わないだろう」と思いつつ、美しいドレスの裾を優雅にさばきながら、建物の中に消えて行った。


 ほかの招待客も、ほとんどの奥方や婚約者は、そんな雰囲気であったが、自分たちのあとに現れた人物と鉢合わせた紳士と奥方は、驚きに少し目を見張ってから、失礼のない実に丁寧な所作で挨拶をして、早々にあいさつを済ませると、かしこまった様子で中に消えた。


『例のプライオリスクール事件の、と息子のサルタイア卿』に挨拶をすませてから。


 入口で来客と挨拶を交わしていたマスグレーヴは、彼に目を止めると、マリア(に化けたテレーゼ)に腕を貸したまま、彼のところまでやって来る。


「これはこれは、お久しぶりです。閣下からのコレクションにも驚いておりましたが、まさかお越しいただけるとは」

「ああ、実に久しぶりだね。幸い今回は所用でロンドンに滞在していた上に、皆がとっておきのコレクションを持ち寄ると言うではないか。いささかマナー違反ではあるが、息子のサルタイア卿にも、本物の芸術品を見せておく良い機会だと思ってね」


『あっ! サルタイア少年! いや、青年! 元気そうでなにより! 子どもが大きくなるの早いなぁ』


 あいさつのあと、公爵とマスグレーヴ卿は、親し気に会話をしていたが、青年に目をとめて、そんなことを考えていたテレーゼは、そんなサルタイア青年が、なにやらモジモジと、うしろに隠しているらしき物に目をとめた。


「……なにかお持ちになられましたの?」


 サルタイア卿は、目の前の美しい少女と女性の間、そんな様子の、同じ年頃に見えるの美しいレディに、完全に心を奪われてしまったので、どきまぎとしてしまう。


 彼女は白を基調にしたモアレ地のドレスに、ライラック色の大きなリボンを重ねて飾った夜会用のドレスを着ている。金色の美しく結い上げられた髪には、ドレスと合わせた小さく可憐な花飾りがほどこされており、彼女を誰よりも美しく引き立てていた。


 長くほっそりとした首筋には、貴族社会でも有名なマスグレーヴ家の“真珠とダイヤであつらえられたパリュールparure”であろう、豪奢なネックレスが輝いている。イヤリングにブローチ、ブレスレット、どれも彼女のためにあつらえたかのように、良く似合っていた。


(口さえ閉じていれば)母親同様に『英国の薔薇』そんな風情のマスグレーヴ卿の婚約者に声をかけられたサルタイア青年は、ちらりと父であるホールダネス公爵に視線を向けてから、思い切った表情で、うしろに隠していた小さな桐の箱を、テレーゼの前に差し出す。


「実はひとつ無理を聞いてもらいたくてね。これなんだ」

「そちらは? 公爵のコレクションは、もう飾ってありますが?」


 マスグレーヴの問いに公爵が答える。


「いや、たいした物ではないとは思うのだが、どこか気になる“掛け軸”でね。いつか専門家に見せようとは思っていたのだが、これが今日の集まりで、卿の婚約者であるレディ・マリアならば、ご存じかもしれないと言いだしてね」

「それは実に興味深い……ああ、招かれざる客が来たようだ。とにかく中に……」


 そう言い終わるかどうか、そんなときであった。馬車のわだちの音が聞こえ、ド・メルヴィル将軍の娘、レディ・ヴァイオレット・メルビルと、将軍の代理であるグルーナー男爵が、表向きは非の打ちどころのない姿で現れたのは。


「父上、あの人たちは?」

「関わってはならん。分かったな? マスグレーヴ、君ともあろうものが何故……ああ、君の友人は……」

「ええ、友人のホームズの頼みでしてね。お目ざわりはご容赦を。レディ・マリア、サルタイア卿のお持ちになった宝物を、是非皆で検討しましょう」

「……そうですわね」


「サー・グルーナーと、レディ・メルビルがお越しです」


 まあ、どうでもいいケド……。そう思いながら、少しあとの入口付近で、執事の息子、リチャードが彼らの到着を告げていた。


『本日の獲物のご到着ね……ケケケ……』


 目の前の『英国の薔薇』が、そんなことを考えているなんて、彼女を崇拝の眼差しで見つめている純粋なサルタイア青年は、まったく気づいてはいなかった。

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