未婚の貴族or高名の依頼人 21

〈 あれから三週間後 ~極東からの息吹~わたしの愛する大日本帝国コレクション~ 開催日当日の朝 〉


 無事に社交界デビュー? の資格を獲得したマリアは、身代わり役のテレーゼに「危ないことしちゃだめよ」そう念を押すと、大きな花束を持って顔を隠し、「死にかけのレストレード警部のお見舞いに行ってくるよ!」そう言って馬車に乗り込んだホームズと一緒に、記者に取り囲まれたマスクレーヴのやかたを出て、ベーカー街にいったん戻り、例のメイド服に着替えた。


 紅茶を運んだいつもの部屋には、ホームズとワトスン博士、そしてなぜか知らないけれど、回復したばかりなのに、マリアの淹れた紅茶を飲みながら、マスグレーヴ家から持ってきた極上のクッキーを、「病院食はこりごり」などと言いながら、ぼりぼり食べているレストレード警部の四人で、例のイーゼルにかかった黒板を囲んで、最終的な打ち合わせをしだす。


 それから数刻後、案の定、不法侵入計画の中身を知った警部は、頭を抱えながら当然のセリフを叫んでいた。


「先生! それは不法行為ですぞ!」


 警部は、こんな風にもちろん反対はしたが、「この事件の手柄は全部君のものにしていいのだよ? 国家的な犯罪が絡む大きな事件だよ?」などという、いつもの悪魔のささやきに負けて、「う――ん、マスグレーヴ家にもかかわる大事件ですし、もともと証拠がないだけで、何十回吊るされても仕方ない男を捕まえるチャンス……わかりました! 正義を守り、このロンドンを間の手から守るのはスコットランドヤードの義務!」


 な――んて、いつものごとく、ホームズにころりと転がされ、では密かに警官の手配を……と言いながら、待ち合わせ場所を決めると、残りのクッキーを持って、姿を消していた。


『レストレード警部、まんま! 見た目も中身もドラマのまんま! ちょっと甘党だケド!』


 警部に残りのクッキーを所望されたマリアは、残りを適当な紙袋に包んで手渡しながら、そんなことを考え、少しだけグルーナー男爵も見てみたかった……と思っていた。


『たしか有名な画家に描かせた肖像画、ヴァイオレットが絶賛していたヤツは盛って描いてあったけど、やかたに忍び込んだときに、見られるかもしれない……イケメン何割増しなのかはわかんないけど』


「……マリア? マリア?」

「マリア嬢?」


「へ、へいっ!!」


 マリアはイケメン設定の、本物のグルーナー男爵の顔を想像していて、うっかりお代わりの紅茶を、カップから溢れさせていたのである。


「テーブルクロスが! 絨毯が!!」

「そんなもの置いておけば、ハドスン夫人がなんとかするよ!」

「紅茶はシミが取れにくいんですよ?!」


 絨毯はてきとうに水気を取れば、不幸中の幸いにも、色目的に目立たなかったので、白いテーブルクロスを洗濯用のたらいに放り込み『例の扉』の向こうに「クリーニング屋さんに出してください」そうメモをつけて、マリアは、そっと置き逃げしておいた。



〈 その日の夜、グルーナー男爵の邸宅付近 〉


 すっかり日も落ち街頭の灯りがともる頃、一台の馬車が、ケンジントン近くのヴァーノン・ロッジにある男爵の大邸宅の前までくると、故障でもしたのか急に音を立てて止まる。


 カーテンのかかった馬車の中から降りて来たのは、例のメイド服を着たマリアである。


 男爵のやかたは通いのメイド以外、住み込みは、例の危ない執事だけだと調べてあり、彼女は邸宅に侵入するべく「近くで馬車が立ち往生してしまい、浮浪者に奥さまが囲まれて、難儀しております……お助けお助け……」などと言って、入り口のを引き受けていたのである。


(あとから騒ぎを聞きつけてやって来たレストレードと警官が、執事を交えて扉のあたりで、なんだかんだ時間稼ぎをしている間に、ホームズたちがこっそりと侵入する手配であった。)


『でもさ、ひょっとして、まさか女が武術の心得があるなんて、思いもよらない時代だから、油断しきっているのでは?』


 そう思ったと同時に、マリアはいやな顔をして出て来た執事に足払いをして転がし、ちゃっちゃと三角締めで気絶させて、内心『ふふん!』などと、調子に乗っていると、なぜかいたらしき、本来ならばホームズを襲って、大けがをさせる予定だった、奥から出て来た例のふたり組が現れる。


 が、その光景に唖然としてから、やはりマリアを犯人から除外して、周囲に屈強な男たちを探し出したふたりに、こっそりと忍び寄ると、彼女は続いて怒涛の連続技で、庭の植え込みに叩き込んで、ふたりを気絶させてから、門の外に控えていた警部を呼んだのであった。


「これは一体どう受け止めたらいいのか……ホームズ先生……は、もう行ったか……レディ・マリア、あのですな……」

「えーっと、助けを求めたメイドに暴行を働こうとしているところを、偶然通りかかったレストレード警部が仕留めた……とかどうでしょう? 警部のお手柄……ということで?」


 警部は、ちらっとそんなことを言うマリアを見ると、素早くいろいろなことを考えて、咳ばらいをしてから口を開いた。


「……まあ、そうするしかないでしょうな」


 か弱い(と、見える)マリアが大の男三人を、あっという間に仕留めたなんて、あとから来て、実際に見ていたレストレード警部だって、信じられなかったので、どう考えても周囲に説明できる自信もなかったのである。


 彼は、またとんでもなくおかしな事件に巻き込まれたと確信しながら、小声で外に巡回のふりをして待機していた警官を呼ぶと、「婦女暴行未遂でヤードに放り込んでおけ」そう指示をし、マリアと一緒に、先に邸宅に入り込んでいるであろうホームズたちのあとを、ソロソロと追った。


「変な事件に巻き込んでしまって、すみません……」

「……今更ですよ。あの先生に出会って以来、世の中は、なにが起きてもおかしくはないのだと、私は知っていますからね」


 ふたりとふたり、つまり合計四人の姿は、大きな邸宅に吸い込まれていたのである。

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