未婚の貴族or高名の依頼人 20

〈 ~極東からの息吹~わたしの愛する大日本帝国コレクション~ 開催二週間と六日前、マスグレーヴ家 広間サルーン 〉



 ホームズやマイクロフト、ワトスン博士たちが、カントリーハウスの森番の娘、ジャネットに、質問という名の尋問をしている頃、マスグレーヴとマリアは、本来は夜会や舞踏会を開くはずの広間サルーンで、正式な宮廷用衣装を着て、顔面から床の絨毯と激突しそうになるテレーゼを、何度も大慌てで助けていた。


 なぜかといえば、たとえどんな高貴な貴族の令嬢であっても、三日後に開かれる王宮での初拝謁プレゼンテーション・アト・コーに出なければ、社交界に出席は許されないのである。(ちなみに男性の場合は、接見会レヴィと呼ばれる儀式だ。)


 ロンドンのウェスト・エンドでも、順番待ちの一流どころの洋装店に、マスグレーヴが特急でそろえさせたドレス一式は、ペティコート(ドレス用のスカートとほぼ同じ)、襟ぐりの深い胴衣ボディス、最高級の白いシルクに、精緻なレースの飾りがほどこされていた。そして、まるで雄のクジャクの尾羽が貧相に見えるような、4メートルもあるうしろに長く引くトレーン。白のシルクと平織りのゴーズが重なり、それは華やかで……重かった。


 明日の王宮での初拝謁プレゼンテーション・アト・コーでは、この白く輝くぎっちぎちにキツイ、重量級のドレスセットを着て拝謁し、4メートルのトレーンを捌きながら、拝謁の儀式でお辞儀カーテ―シーをしたあと、部屋を下がらねばならないのである。


 そして前出の通り、テレーゼはトレーンの裾を捌ききれず、踏みまくって……現在に至る……。


 ぽろりと、美しく結い上げた、金色の髪に刺さった羽飾りが、もう何度目か分からないくらい、床にふわりと落ちてゆく。


「……ぎゃっ!!」

「危ないっ!!」


 ふいに、再びそんな光景が繰り広げられていたところに、マイクロフトが顔を出す。


「いや、もう、あらかた聞きたいことは済んだ……おや? 王宮での初拝謁プレゼンテーション・アト・コーは、この広間サルーンが満杯になるほど、デビュタントのお嬢さんがいるのに、大丈夫かね?」

「え……」


 マリアとテレーゼは頭の中で、このを着たお嬢様が、満員電車にすし詰めになっているところを想像し、テレーゼはついに根を上げた。


「も――、こういう肉体労働は姉さんにお願い! 大丈夫よ、顔は似ているし、どうせ拝謁したあと、二度と会うことないんだから!!」

「……姉上の運動神経はいいのかね?」


 抱き上げたテレーゼを、そっと長椅子に横たえてから、マスグレーヴは振り返って、マリアにたずね、嫌な予感しかしない彼女は、ゴージャスな天井に目をやりながら、少し間をおいて口を開いた。

 

「そ、そんなに――妹と変わりはな……!」


「僕が負けるほど運動神経はいいよ! 柔術で僕は彼女に勝ったことがない。極東の女性は武芸の嗜みがあるのが、上流階級では普通だからね!」


『だ――!! いらんときに顔出すな!!』


「妹と変わりはないですよ? きゃはっ!」


 そんなことを言って、の苦行から、のがれようとしたマリアは、ちらりと恨みがましく、顔を出したホームズに視線をやってから、唇を一瞬かみしめ、「では交代で!」礼儀に関しては容赦ないマスグレーヴにそう言われ、今度は自分がこれを着て、後ずさり……。


 あ――なんだか、わたしの方がやることが多い!


 なんて思ったが、運動神経を置き忘れて生まれたようなテレーゼには、無理だと内心分かっていたので、すごすごと部屋に戻り、小間使いレディーズメイドのマーガレットをはじめ、数人のメイドの総がかりで衣装を着替え、呼んでいたお針子にドレスの丈を少しだけ調整してもらうと、もうこうなっては時間がないと、無理やりマスグレーヴが呼んだ、のトレーン捌きや、デビュタントの令嬢専門の講師を相手に、流石の運動神経で、無事、数時間後には、後ずさりどころか、自由自在に部屋の中を優雅に歩き回り、ダンスまで楽勝でこなしていた。


『こんな本格的じゃなくてもよくない? あと、自分の良過ぎる運動神経が憎い!』


「素晴らしい! 実に素晴らしいレディです! さすがはマスグレーヴ卿のご婚約者! 初めてとは思えない! 一度教えただけで、すぐにこれほどになられるとは!」


 講師が感激しながら、彼女の手を取って踊るのを見て、マスグレーヴは一安心し、自分の儀礼用の装いの確認と、先着順の有象無象の令嬢とは違い、一足飛びに優先で謁見できる『アントレー』と呼ばれる、いわゆる『エクスプレスパス』の手続きをしに姿を消す。


 マイクロフトとワトスン博士は、なんとなく面白そうな顔でホームズを眺め、ホームズはといえば、「……運動神経だけはいいな」などと言って、用意があるからと姿を消していた。

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