未婚の貴族or高名の依頼人 13

 深夜にも関わらず、時期ご当主夫人のそばにいるメイド、奥様付きの小間使いレディーズメイドの好みを、付き添いの夫人、つまりハドスン夫人に微に入り細に入りうかがっていた家政婦長ハウスキーパーは、おしゃれと評判の、このやかたのメイド服の中でも、メイドを束ねる彼女だけに許された、あらゆる重要な部屋に出入りするための鍵束シャトレーン(と言っても、この時代には、権威の象徴であるアクセサリーでもあった。)を腰にかけ、他のメイドとは違う上質のリネンでできた、一目で彼女の地位が分かるメイドの頂点、家政婦長ハウスキーパーの服装のまま、やかたにいるメイドたちの中から、数名のレディ・マリアよりも年下か、もしくは同年代、そして自分に従順で、気が利いて器用な少女を、小間使いレディーズメイドの候補として、名簿を机に置いて検討していた。


 遠い極東から付き添って来た、本来の小間使いレディーズメイドが入院中とのことなので、当然、その小間使いレディーズメイドは、経験が豊富な人物であろうから、それまでは、自分が面倒を見ながら、できるだけ、次期奥さまがくつろげる環境に、周囲を整えて差し上げるようにとの、執事の意向だった。


「奥さまと同年代くらいに若くて、気働きができて器用で経験が豊富……そんな子がいたかしら……エイミー、マーガレット、シャーロット……この辺りは、一応及第点だけれど、お仕度の手伝いとなると、今までここには女主人がいなかったから……」

「ご当主さまの、母上の小間使いレディーズメイドは、どうなさったの?」


 ハドソン夫人の声に、家政婦長ハウスキーパーは、顔を大いにしかめていた。


 もともと、女主人に直接使える小間使いレディーズメイドと、やかたのメイドを束ねる家政婦長ハウスキーパーは、立ち位置も、ほぼ同等、なにかと衝突することが多い。


 そんな訳で、このやかたの前女主人の葬儀のあと、早々に小間使いレディーズメイドたちは、彼女に散々文句を言い、年金なんかを手に、それぞれの田舎に帰っていた。


(ジャネットが現れたとき、この悩みごとと、思い出した昔の恨みごとで、イライラしていた彼女は、余計に機嫌が悪かったのである。)


「……とりあえずマーガレットを小間使いレディーズメイドとしてつけましょう。あの子はとても器用で、外出日には、仲間うちで評判になるくらい器用に髪を飾って結ってあげているみたいですし、明るい素直な子ですから。もし、いたらなければ申し訳ありませんが、他のふたりを足して急場をしのぎ、どこからか紹介していただき……」

「いえいえ、急な話ですもの。レディは優しい方ですから、なんとかなると思いますわ」


 付き添いの夫人の優しい言葉に、家政婦長ハウスキーパーが、ほっと胸を撫ぜおろし、こんな真夜中まで申し訳ないと、大慌てで、客間に案内しようとした頃である。


 やかたを取り巻く無能な警察の間から、立派な馬車が一台見えたのは。


 長年の経験から、馬車の紋章で客人を判断した家政婦長ハウスキーパーの顔色が変わり、数本下がっている中の、メイドたちの部屋につながっている呼び鈴のひもを、力強く一気に引いた。


 そうしてホームズが、例の『どでかトランク』を持ってやかたに入り、人払いをしたのちに、マスグレーヴに、あったような、なかったような話を、兄のマイクロフトからの電報のことも思い出しながら、並行作業で話をし、姉妹が再開の抱擁をしているころには、メイドたちに起こるであろう指示に対する準備は、すっかりなにもかも、(たとえば、ジャネットなんかは、一階のキッチンで沸かした湯を、三階の客間にあるバスルームに運ぶ手伝いをさせられていた。)始まっていたのである。


「なん……で、わたしがっ!!」


 使用人専用の階段を、ぶつくさ言いながら、何往復もしていたジャネットだったが、何回目かの往復のときに、キッチンにお茶一式を用意してもらうようにと、伝言を持ってやって来ていたシャーロット、つまりシャーリーが、他のメイドに、「聞いて聞いて! マーガレットは小間使いレディーズメイドに昇進するらしいわよ!!」そんな、うわさをしているのを耳にして……当然、ぶち切れていた。


「はあっ?! あんな、子供になにができるってわけ?! ちょっと髪を結い上げるのがうまいくらいじゃない!」

「……なんで、じゃまなあんたがまだいるのよ? は? 汽車に遅れた? 田舎者なんだから!」


 別のメイドたちも、追い打ちをかける。


「無駄口叩いてないで、早くお湯を運びなさいよ。マーガレットに泊めてもらうくせに、なに、いばってんのよ?!」

「いやなら、どっか、安宿でも泊めてもらえばー? それか、男でもひっかけ……あ、あんたなんか、ひっかけようとしても、男がひっかかんないか? ごめんごめん!」

「やめときなさいよ、かわいそうじゃない! こんな、メイド必須のお辞儀も、まともにできない子なのよ?」


 笑い声がキッチンに広がる。できるメイドの集団は、実は、かなり気の強い性格の女がそろっていた……。ジャネットがロンドンに来るなり父親の立場をかさに着て、いばりちらした仕返しは倍以上になって、いまここに返って来ていたのである。


「なっ! なんですって!! わたしのせいじゃないわ! 汽車が遅れたのよ! それに、あんたたちに、わたしの魅力が分るもんですか! わたしは、ちょっとおしゃべりするだけで、金貨がもらえるんですからね!……きゃっ! いたっ……!」


 そう言いながら、隠していた金貨を、みんなに見せびらかそうとしたところ、急にジャネットの体に激痛が走る。いつのまにか、やって来ていた老執事、ウィルソンのしぐさに反応した、息子のリチャードが、彼女の両手を素早くうしろに拘束し、彼女の懇願する瞳と、少し媚態を含んだしぐさにも反応せず、レンガでできた壁に彼女を勢いよく押しつけたからだ。


 壁に押しつけられた顔の横から、ウィルソンの声が、ジャネットの耳に入って来た。首からかけていた、例の金貨の入った小さな袋も取り上げられる。


「値打ちのない女が、ちょっとおしゃべりするだけで、なぜ、この金貨が手に入る? 値打ちのある場所に不相応に出入りしているからだろう? WhenいつWhereどこでWhatなにをHowどのように話した? 当家にこのような質の悪い使用人がいたとは……カントリーハウスのしつけまで、わたしが出向かねばならないようだ……」


 執事はため息をつくと、冷たい声を続けて発した。


「リチャード、ことが決まるまで空きのあるメイドの部屋にこの女を閉じ込めておくように。あと、朝になったらすぐに、カントリーハウスに電報を打ちなさい」

「はい……」

「どういうこと?!」


 老執事は薄く笑う。


「これからの君の都合の悪い返答によれば、いや、ウソを混ぜた誠実な答えであっても、どの道、君の家族にもカントリーハウスから去ってもらわねばならんよ……金で主人を売る。最も恥ずべき行いだと家族に詫びながら、おのれの犯した恥と罪を生涯をかけて学びなさい……」

「執事さま……!!」


 他のできるメイドたちは、久しぶりに見た執事の静かな迫力に、何事もなかったかのように、無言で自分の仕事に集中し始め、彼は、ご当主さまのところへ行く間、準備万端ぬかりないようにと、真っ青な顔で駆けつけた家政婦長ハウスキーパーに、念を押すよう言いつけ、二、三の指示をだしてから、何事もなかったように、キッチンから姿を消した。


~~~~~~


〈 その頃のホームズたち 〉


 マリアは、とにかく何が何だか分からないまま、テレーゼにワトスン博士が、部屋にあったブランデーを差し出すので、ふたりで長椅子に座ると、テレーゼを抱き寄せて少しだけ飲ませながら、とめどなく自分のご高説を話し始めたホームズに、平たい目を向けると、こんなことを思っていた。


『やだもう! また、変な演説(推理)が始まってる!! こんどはなに?! こんなシーン、ドラマになかったわよ?!』


 テレーゼの方に手を回したまま眉をよせ、辛そうな顔でもう片方の手で口元を覆ったマリアは実際のところ、また始まったホームズの『嘘八百』と、聞いたことも見たこともない、知らない話の推理内容を必死で覚えていたが、控えめなノックの音にマスグレーヴが反応して近づいた扉のあたりで誰かと話をしているのに気づくと、ふと目をやった。


 戻って来た彼は、実にくだらない……。そんな様子で、長椅子の近くにあった、白蝶貝の細工が施された、優美な白い丸テーブルに小さな袋を投げ出す。


 その拍子に袋の中から金貨が飛び出して、足元まで転がって来て、なんの気なしに、マリアが拾い上げたその『ソブリン金貨』に、いままで酸欠でぼんやりしていたテレーゼが反応し、目を見開いて、文字通りひったくると大声で叫ぶ。


「これ、ニセ金貨じゃない!!」

「……なぜ分かるのかね?」


 ホームズは、袋から取り出した別の金貨を眺めながらそう言った。


「見れば分かるわよ! あのね、この国の金貨取扱所、つまり、王立造幣局The Royal Mintの長官は、その昔、ニュートンさまが務めていたわけ! 知ってる?! 推定IQ190ニュートンさまよ! 素敵過ぎない?! その彼が精魂込めて偽造防止にデザインした数式を利用した模様や仕掛けが、金貨のあちこちにはあるわけ! この金貨の本物には、数学的な美しさが内包されているのよ、本物ならね、言ってる意味わかる?」


「つまり、これは……数学的に美しくない。ゆえに偽物というわけかね? よくできているがね?」

「こんなのダメダメ、酷すぎるわ! ニュートンさまに失礼よ! いまの長官、痛いほど無能でしょ?! そうでしょ?! この金貨を流通させているのを見れば、会わなくても分かるわよ!」

「テレーゼ……」


 思わず素をさらけ出してしまっていたテレーゼだったが、その内容の重大さに、彼女のおかしさには、だれも気づいていないとみたマリアは、さっさと彼女を上の階にある客間のお風呂に、ハドソン夫人に付き添いと案内をまかせる。(しかしながら、マイクロフトは、うしろを向いて、笑いをかみ殺していた。)


 そのあと、マリアを含め残った数人は、明け方まで、グルーナー男爵の結婚による社交界入りを阻止するだけではすまなくなる。事件がそんな様相を見せて来たことに、深刻な顔をしていたし、ホームズは、なん通りかの推理の仮説のうちのひとつが『大当たり』だったことに、満足した表情をしていた。


 それから彼は、パイプに火をつけようとして、執事に喫煙室に連行される。煙草を吸いたかったワトスン博士と、マイクロフトも、自主的についてゆくと、やっと、気の向くままに、紫煙をくゆらせていた。


 やがて窓から差し込みだした光が輝いているころ、喫煙室で無理やり、三人が軽食を食べていると、扉がノックされ、スコットランドヤードからのメモが、ワトスン博士に手渡される。


「……レストレードが食あたりらしい……」

「拾い食いでもしたのかね?」


 そんなわけで、ワトスン博士は、スコットランドヤードに呼ばれて、レストレードを診察に行った。例の光るマーガリンのせいである。



~~~~~~


※金貨のくだりは、このお話の中の設定程度で、ゆるくご覧ください。

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