未婚の貴族or高名の依頼人 12

〈 時系列はポーキーとキティが襲われた日の深夜、レストレードがシードケーキを頬張っていたころに戻る 〉


 ジャネットは、使用人用の区画にある専用の裏階段を上りながら、屋根裏部屋にあるメイドたちの部屋へと向かう。


 まだ十五歳の新入りのメイド、マーガレットは、迷惑そうな表情を隠そうともせずに、ジャネットを案内していた。


 カントリーハウスの森番、つまり使用人の中では割合に恵まれた、という地位にあり、自分の小さな家すら敷地内に持つことを許されている父親を持つジャネットは、他のメイドたちを見下す態度を隠そうとしたこともなかったし、なんならば、このロンドンにある、このやかたのすべてのメイドを指揮する家政婦長ハウスキーパーにも敬語すら使わずに、大いに顔をしかめられていたが、本人はまったく気にしていなかった。


「こんな時間まで、一体全体なにをしていたのかしら? どうせ田舎者らしく、ロンドン見物でもしていたんでしょうけれど。いま、このやかたにはご当主さまのご婚約者がいらっしゃるので、忙しくてあなたなんかに、かまっているヒマはないのよ? 分かっているでしょうが、ロンドンを発つまでは、他のメイドたち同様に働いてもらいますからね!」


 深夜にも関わらず、自分の部屋でまだ制服姿のまま、レディの付き添いの夫人と、なにか打ち合わせをしていた様子の、先ほど挨拶に行った家政婦長ハウスキーパーの声は真冬の風よりも冷たかったが、ジャネットはそんな言葉を右から左に聞き流す。


 そうして、「今日もらった金貨で、明日は買い物に行こう。なにを買おうかな?」なんてことを考えながら階段を上っていた。


「こんな狭い部屋で、よく暮らしているわねぇ……」


 ほかのやかたに比べれば、広くて清潔なマスグレーヴ家の屋根裏部屋に、そんな感想を述べながら服を脱ごうとしていると、メイドのすべての部屋につながっている、家政婦長ハウスキーパーの部屋への集合を告げる呼び鈴が鳴り響き、深夜にも関わらず、消防士顔負けのスピードで身支度をととのえたすべてのメイドたちは、階段を駆け下りてゆく。


 このやかたは、他のどこよりも待遇が良いと評判であるが、その分、彼女たちに求められるレベルも、どこよりも高かった。


(※ちなみに制服代は、自腹が原則のヴィクトリア時代にあって、この家は、レベルの高いメイドには、あとでの返金にはなるものの、制服が特別に無償で供与されるので、新入りのマーガレットも、それは熱心に、仕事に取り組んでいた。)


「なにしているの?! あんたも早く来なさいよ!!」


 マーガレットも疲れてはいたが、自分の着ているメイド服は、ロンドンでも、一二を争うと言われる、しゃれたデザインだ。


 かたや、目の前のジャネットといえば、態度とはうらはらに、まだ見習いの下働きよりも、更に田舎臭い服装だったので、いい気味だと思いつつ、そう言いながら、ジャネットを引っ張るようにして、再び家政婦長ハウスキーパーの部屋に戻る。


「それにしても、こんな真夜中にどうしたのかしら?」


 そうマーガレットは思ったが、家政婦長ハウスキーパーの部屋には、すでにベテランのメイドたちが、整然と列をなしていたので、コソコソと列の隅に並び、ジャネットは、ジャネットで、言いつけられた仕事に、憤慨していた。



〈 玄関ホール 〉


 家政婦長ハウスキーパーがメイドたちの点呼を取って、これからの予定を説明しているころ、深夜の玄関ホールには、ホームズ兄弟とワトスン博士、そして御者コーチマン馬丁グルームがなんとか運び込んだ、やたらと大きなトランクがひとつ。


 出迎えたのは、いつ何時も、ぴたりとしたお仕着せの、しかしながら、うさんくさい顔の老執事、そして、フットマンと呼ばれる男の使用人たちが数名。


 執事の息子にすまなさそうに起こされて、ガウンを羽織ったマスグレーヴが、『応接間/ドローイング・ルーム』に現れたのは、それからずいぶん時間がたったころであった。


「お嬢さま、お嬢さま……」


 その頃のマリアと言えば、家政婦長ハウスキーパーを連れたハドスン夫人にそっと揺すられて、ぱちりと目を開けて『もう朝?!』などと焦ったが、時計を見て真夜中であると気づき、今度は目をパチパチさせてハドスン夫人を見ていた。うしろにはメイドが数名。


「……ホームズ先生が、どうしても、いらしていただきたいと……」

「あー、はい……」


『今度は何があった? え? ちょっと待って、ひょっとして、もう男爵の手下に襲われた?!』


 マリアは、「早く帰ろう、さっさと帰ろう」そんなことを考えていたのもすっかり忘れ、ベッドから文字通り飛び上がって起きると、身支度もそこそこに用意されたガウンを羽織り、「まるで妖精のお姫さまみたい……」メイドたちがそんな言葉を交わしているのにも気づかず、大慌てでハドスン夫人について、寝室から飛び出して行った。


 紫檀に複雑な彫刻をほどこされた螺旋階段を駆け下りて、右と左で驚いている使用人たちを気にもせず、応接間に駆け込む。

 うしろで静かに扉が閉められたのには気づかなかった。


「大丈夫ですか?!」


『全然大丈夫じゃない……と思うわ……』


「え……?」


 マリアは耳を疑った。そして目の前には妙に上機嫌なホームズと、ワトスン博士。あと昼間、マスグレーヴといきなりな話を軽々と合わせてくれたマイクロフト・ホームズ。訳が分からない、そんな顔のマスグレーヴ。それと……大きなトランクがひとつ。


 そう、いま、「全然大丈夫じゃない……と思うわ……」とトランク。


 なぜかいるはずの使用人たちは、誰もいない。執事さんすらいない……嫌な予感しかしない。


「えっと……その、それは……」


 マリアは見覚えのある、大きなトランクを指さした。


 これは普通のがいいと言ったのに、「こっちがいいわよ! 奮発したわ!」なんて言ってママが買って来た、高校の修学旅行で学年全員のネタ? になった、超デカいヴィクトリアンな、見覚えのあり過ぎるトランクだ。


 そして、なんだか、うれしそうで、ろくなことを考えていなさそうなホームズが、カチャカチャ、ベルトを外しながら、芝居がかった口調で叫ぶ。


「さあ、みなさん、何が出てくるかご注目!!」


 そんなホームズの声に、昔懐かしいドラムロールが聞こえた気がしたような、しなかったような……。


 開けられたトランクからは……案の定、妹のテレーゼが、沈痛な表情のマリアの前に、ゴロゴロ床に転がりだしたのであった。


「レディ・マリア! おまたせしてすまなかった! 心配なさっていた、妹君です!」

「……え?! ええっと…………」


「お姉さま!!」


 なにか言う前に走り寄って来たテレーゼは、固まっているマリアに抱き着くと、耳元でこっそり、「できとうに話を合わせて! 姉さんの命が危ないんですって! あと、絶対アイツあとで、ぶっ飛ばす!! 蹴り飛ばす!! 姉さんも一緒に、やっつけちゃってよ!!」なんてささやいていた。


「テレーゼ……あなたの命の方が心配よ……」


 やっぱり早く家に帰ればよかった……てか、命の危険ってなに???


 抱き合った二人の美しい再開は、事情を知らない者が見れば、まるで一幅の絵のようであったが、あとで事情を知ったマリアは、ホームズに小声で、「キティのためだから、もう、やれるだけやるけど……あとで覚えているように……」そんな、地獄の底から出たような声を、彼の側で発しながら、ちょっとでも、かっこいいなんて思った自分を、大いに反省していた。

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