未婚の貴族or高名の依頼人 2

 ※お話の台詞などの引用も基本的には、グラナダ吹き替えバージョンになっております。


 〜〜〜〜〜〜〜


 マリアは新聞騒動のあと、かなり困った顔で、朝食に出たスープの中に浮かんだパセリがブクブク沈むのをながめていた。


 そんな様子を見ていたワトソン博士は、彼女の気をまぎらわそうと、以前、ホームズが解決した話をはじめだし、彼女はおとなしく拝聴していた。


 彼女はそれから朝食後、マスグレーヴにうながされ、執事のうしろにくっついて、先に、びっちりと本棚が並び、その中には、やはりぎっしりと本が詰まっている巨大で広い図書室に案内され、大いに驚いていた。


『ちょっ、ちょっと待って! これ個人所有の図書室なの?! 大学の図書館より広い! 超びっくり! さすがマスグレーヴ家!』


 歴史を感じさせる大きなバロック様式の豪華なマホガニーのテーブルの上には、きのうオークションで、落札されてきたらしき本やら巻物の山。


 ロンドンのやかたを預かる老齢の執事が、召使に指示を出して、椅子に腰かけたマリアの目の前に、うやうやしく、ひとつひとつ運ばせ、彼女の指示通りに、再び机の上に分類させて配置してゆく。


『だれ? 源平合戦と猿蟹合戦を、一緒にセット販売したのは?! あと、めっちゃ、買い込みましたねマスグレーヴ卿!!』


「主人は大変に楽しみにしております」

「が……がんばります」


 もちろん、マスグレーヴ家の、例の事件の執事とは別人、代々この家に仕える老執事は、ようやく我家のご当主さまにも春が! そんな風に目頭を熱くしながら、いつもは年で膝が痛い腰が痛いと、牛歩以下の歩みにも関わらず、周囲が驚くほどかいがいしくマリアの世話を焼き、付き添いの年老いたご婦人、ハドソン夫人にも、お疲れでしょうからと、なにかと親切に気をきかせていた。


 一方のホームズといえば、朝食後マリアが消えてすぐに、マスグレーヴをたずねて、“サー・ジェームズ・デマリー大佐”と名乗る人物が、慌てた顔の召使いを押しのけるような勢いでやって来て、「ああ、よかった! ホームズさん、もう話を聞いてくださいましたか?!」なんて言われていたが、「あ、忘れてた」そんな顔のマスグレーヴに、ちらっと視線をやっていた。


 マスグレーヴが、「これなんだがね……」そんな風に、めんどくさそうに胸元から取り出した手紙を素早くひったくって、「用があるから帰ったら聞くよ! くれぐれもレディ・マリアをよろしく!」そう言って姿を消していた。


 最近の一番のマイブーム、というか、ロンドンの紳士の間で大流行、トルコ式のサウナに予約をいれてあったのだ。


 分厚い何枚ものバスタオルにくるまって、サウナでのんびり水煙管を吸う癒しの空間に、ワトスン博士とふたりしてはまっているのである。(行くたびに次の予約をいれるくらい気に入っていた。)それに、いささか個人的な考えごとに集中したかった。


 残った大佐は恨めしげな顔で、もの言いたげにマスグレーヴに視線を向けていたが、彼はいつもの通り、実に貴族的な冷たい表情で、「事前に約束のない客に、私が会わないのは知っていると思うが? 礼儀をわきまえて出直したまえ」そう横柄に言い、手近にあったベルを例のごとく、鳴らしに鳴らしまくって、強引に大佐を追い出していた。


『なんか知らないけど……自分が忘れていたのに謝りもせず、相手の無作法を指摘して、追い出すってどうなんだろう……』


 その話を、あとになって図書室で聞いた、翻訳に励んでいたマリアはそう思ってから、なぜマスグレーヴが、ホームズとの付き合いが、と切れないのか理解できた気がした。


『ふたりは、どこか同じ匂いがする……』


 そして、そんな彼女が大量の本の山と、図書室で格闘している頃、サウナの蒸気で“ふにゃふにゃ”になった手紙に目を通しながら、白いバスタオルを何枚も体に巻きつけたホームズは、小声でワトスン博士と話をしていた。


「勝手に騒いでいるだけなのか、生死にかかわることなのか? さっきの大佐のことは知っているかね?」

「名前だけは知っているよ、有名人だからね。なにがあったのかは知らないが」

「この手紙が偽りではなく、我々の助けが本当に必要とされているといいねぇ……まあ、ともあれ、四時半までは、この件は忘れることにしよう」


 そう言い、ホームズは、なにか深く考え込みながら、ゆっくりと水煙管から、けむりを吸い込んでいた。

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