冒険の始まり 2
『ほ、本物のレジナルド・マスグレーヴだ! マスグレーヴ家の儀式!! もう宝物は見つかった?!』
「うわ―、いきなり、興味津々!!」
ホームズに連れてこられたマリアは、ベーカー街221Bの客間に続くホームズの寝室の、扉の隙間から、リビングにある毛皮の敷物の前にある長椅子に腰を掛けている、神経質そうな紳士をのぞき見していた。
「そんなことしているヒマはありませんよ!」
「は、は――い」
超のつく小声でハドソン夫人に、うしろから声をかけられたマリアは、そういえばそうだったと、なぞの鳥かご(バッスルドレスを支えているフレーム)を慌ててはいて、ドレスを着るのを手伝ってもらった。
この時代のドレスを慣れていない自分が一人で着るのは無理だったんである。
髪型は、つけ毛が全盛の時代だったので、ホームズが好きなものを使えと言うので、地毛に合ったものを選んで、ハドソン夫人がきれいに仕上げてくれた。
『うそ? これが私?! ウエストのコルセットが、地獄のようにきついケド! これは帰るまでに絶対痩せる!』
え? でも、男性用の変装道具一式は分かるけど、なぜに女性用まであるわけ? あの身長(180cm以上)と、どこまでも男にしか見えない顔のつくりで女装まで? いやいや、ジェンダーレスの時代に、そんなことを言っては……って、ここ、ヴィクトリア時代だよね? 同性愛は縛り首だよね?(※懲役刑です。)
なんて、ぐるぐると考えながら、とにかく仕上がった淡いサンゴ色の、首元まで詰まったサテンの上に、シフォンのプリーツを重ねたドレスは、細部まで『見よ! 服飾学校主席の腕前を!!』そう主張するように、繊細で丁寧に作り上げられていて、最後にそろいの帽子をつけた。
「か、かわいいけど、この帽子にはなんの意味が……」
頭の上の同系色の、小さな色とりどりのサテンの花のついた帽子を見て、マリアは思った。
「かわいいカッパの皿みたい……」
「……カッパ?」
支度の手伝いを終えたハドソン夫人は、とにかくこの時代に、これほどまで豪華なドレスを用意するには、一般労働者の年収の何倍するか分からないし、貴族でも富裕層にしか用意できないはずなので、このお嬢さんは、本当はかなりの身分のレディなのだと思いながら、『カッパの皿』の角度を少し変えてから、マリアの頬に両手を伸ばした。
「え?」
「さあ、最後のしあげですよ!」
〈 その頃の居間 〉
「君が社交シーズン前にロンドンまで出向くなんて、珍しいじゃないか?! とうとう独身生活に、おさらばする気になったのかね?」
「……まさか、イースターはまだだし、社交界にデビューしたてのヒヨコの隊列に囲まれるくらいなら、カントリーハウスで本でも読んでいる方がマシだ。所用と君に相談したい、ちょっとした事件があったからだ」
「はっ! たしかに! しかし、君の家柄と財力なら、どんな令嬢でも、よりどりみどりなのに、人生とはむつかしいものだねえ……」
「よけいなお世話だ……」
マスグレーヴは、社交シーズンのロンドンにきてしまうと、自分の金と家柄を狙って、「年の差なんて、なんぼのもんじゃ!」そんな年ごろの令嬢を抱える、貴族や富裕層の親御さんに、招待状を山ほど送り付けられ、大変な騒ぎになるので、イースターから始まる社交シーズンは、めったにロンドンに近付かないのである。
そんな風に顔をしかめながら言い捨てて、用意された紅茶を口にしたマスグレーヴは、メガネの奥で瞬きをした。
「コーヒーじゃないのか、君が紅茶を出すとは珍しい……おや、この茶葉はどこで購入を? いままで味わったことのない、豊かな香りと風味がする。実に爽やかで、しかも奥深い……」
「ああ、それは……」
ホームズの横で、静かにお茶を飲んでいたワトスン博士が説明しようとしたその時である。寝室につながる扉の向こうから、マリアの叫び声が聞こえたのは。
「マリア?!」
「マリアお嬢さん?!」
「マリア? いったいだれだね?」
三人が寝室に踏み込むと、涙目で床にしゃがみこんでいる、実に豪華な昼用のドレスを着て、頰を赤らめている美しいマリアがいた。
「どうしたんだね?!」
「いえ、あの、その、最後の仕上げにと思って……頬をつねっただけなのですのよ……レディのたしなみですから」
「…………」
『チークの代わりに、頬をつねるって、ヴィクトリア時代、力業すぎる!!』
ハドソン夫人に頰を思いっきりつねられたマリアは涙目でそう思った。
気を利かせたつもりだったハドソン夫人は、どうしていいか分からない、そんな顔をしていたが、マリアだってそうだった。ホームズなら投げ飛ばせばいいが、ハドソン夫人には、そうはいかない。
「ホームズ、控室くらい用意したらどうかね、まったく!! とにかく……えっと、付き添いの方は? 申し訳ない、相談にいらしていた令嬢を、こんなゴミ箱みたいな部屋に、待たせていたとは知らず……レディ、私はホームズの古い友人で、レジナルド・マスグレーヴと申します」
「は、はあ……マリア・ロレーヌと申します」
英国屈指の家柄だけあって、女嫌いではあるが、マスグレーヴも紳士であったので、レディがこんな汚い部屋に、我慢できずに悲鳴を上げたのは、自分のせいだと勘違いして、申し訳なさそうにマリアに自分を紹介しながら、彼女を支えて立ち上がらせていた。(ハドソン夫人の小声の言い訳は、聞こえていなかった。)
年頃の令嬢に対する態度ではないが、付き添いが見当たらぬ以上、しかたあるまい。
「……ゴミ箱」
「そんなに汚いかねえ?」
『私の部屋とそう変わらないけど……』
抱き起こされながらマリアはそう思ったが、沈黙は金、そんな言葉を思い出して黙っていた。ちなみにさっき名乗ったのは、父方の名字である。
実はこの時代、良家の未婚のお嬢さんが、付き添いなしに、うろうろするなんて訳はなく、たとえホームズと婚約しているとしても、一人なわけがないだろうと、彼女の装いと気品から判断したマスグレーヴは、当然、付き添いを探したのである。もちろんそんなもんいるわけなかった。
「ああ、マスグレーヴ、知られたからには紹介するよ。と、言うのも、彼女は、いま大変困った状況におられてねえ……僕もどうしたものかと、頭を悩ませていたところなんだ」
『あ、また、ウソ八百が始まるぞ……』
横で、ホームズの説明を聞きながら、ワトスン博士は、うんうんと首を、うなずき人形のように、たてに振っていたし、マリアもなんかわかんないけど、うなずいておこうと、ワトスン博士に習って、首をたてに振っていた。
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