第3話 秋の日

 秋になった。学校では面談が行われた。暁夫も当然行った。しかし恐るべきことに、彼は何の対策も講じなかった。親子の対話らしいものを一度もしないまま、遂に面談に臨んだのである。そしてその面談の場でこの親子は初めて、二者の間に大きな隔たりがあることに気付いたのだ。直接のきっかけとしては、母親が「先生、この成績で医学部に行けるんでしょうか」と言ったことである。この時初めて、あの返答の意味が暁夫に通じた。即ち、「京大、阪大に行かなくて良い」という言葉は「医学部に行くのが前提で」という注釈付きでのことだったのだ。

 母親が自分に対し不相応な期待、いや要求を押し付けていることを暁夫は分かっていた。そして母親自身はその自覚が無く、むしろ全ては息子のためと思って親心からやっていると思っていることも分かっていた。しかし医学部という道は彼の想定を超えるものであった。母親の口からそれを示唆する言葉が発されたことは一度も無かったからだ。担任も余りの驚きで言葉を発せなかった。


 そして帰宅した直後、母親はあの言葉を投げつけたのである。どん、という音が近隣にも聞こえるほど烈しく壁を叩いて言ったのである。それから数時間に亘って、暁夫は有難い講話を聞かねばならなかった。即ち、母親は彼が幼少の頃より、医者になることがどれほど素晴らしいことか彼に繰り返し教えてきたこと、彼自身も医者になると宣言していたこと、それを今になってその意を翻したこと、しかも玄海大学などというレヴェルの低い大学を目指していること、その程度の大学で県内のどこに就職するつもりかということ――を、水も飲まず午前三時過ぎまで聞かされたのである。無論彼も初めのうちは、論理の通っていない点については悉く正確に反論した。だがその結果得たものは、途轍もない疲労と、論理の通じない者との相互理解を試みることは不毛であるという発見のみであった。これらの収穫により、彼は神経を鈍化させるという手段を用いるようになった。例を挙げてみれば、「医者にならないなら……工学部に行くなら、せめて東工大くらい行って当然でしょ」と言われれば、常人が彼の立場であれば「いや君医学部も東工大も出てないだろう」と考えるだろう。「何を以てそれを言う資格があると思うのか」とも考えるだろう。しかし彼はそうは考えなかった。正確には、何も考えなかった。今聞こえているのは、風や自動車の音と同じく只の雑音だ。言語ではない。従って理解できない。そう思い込むようにしたのだ。もしそうしなければ、彼は母親の言葉を言語として認識してしまい、その論理の破綻が余りにも酷いために、精神は持ち堪えることができなかったであろう。


 騒ぎはこの一夜だけでは終わらなかった。翌日からも、同じことが毎晩繰り返されたのである。根本的には、暁夫が自らの意思で医者の素晴らしさを知り医学部の受験を決意するまで、この家族会議は終わらないのである。

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