第二部 美しき楼主 稲葉諒

第33話 池本の想い 零無の想い

 毎晩のように俺と組む芸者の池本さんは、最近になり自ら歌詞を書くようになった。

 それを俺や酒井、そして内芸者として迎えられた夏村さんと組んで作曲するという作業に没頭している。

 歌は池本さんが唄う。伴奏するのは俺と酒井と夏村さん。俺の書くというか思い出す歌詞もどちらかと言えば女性が唄ってこそ映える歌ばかりだったのだ。

 そしてその作業を共にするうちに俺と池本さんとの間に、何だか言葉にできない"想い"が生まれていく。

 俺も池本さんの顔を見るのが楽しみだし、酒井や夏村さんとも組めるようになったのは嬉しい。

 だが、この胸の高鳴りに似た高揚する気持ちは池本さんに感じる。

 すると生前にもこの気持ちを感じた事のあるような"疼き"を体で感じた。もしかして、これは一種の恋愛感情だろうか……?

 池本さんもほぼ毎日組む俺に気持ちが近くなってきているのを感じている様子に見える。俺と食事を食べる時にいつも微笑ってくれる。

 でも、気持ちを悟られないように控えめに想っている……そんな感じだった。

 

 珍しく酒宴前に物思いに耽る池本さん。

 俺は三味線の調律をして、控え室にて、池本さんと酒井と夏村さんと共に酒宴の前の一呼吸をしていた。

 桜華楼の中ではとうとう、お職花魁の菖蒲あやめ花魁が伊勢谷さんに身請けされる、という話題で独占されていた。

 そして次のお職花魁には誰がなるのかを気にする女郎も当然いた。

 菖蒲花魁が身請けされるのは1週間後の日曜日。幸運にも大安吉日だった。

 吉原には梅雨の雨がまた降り出して、雨の雫が窓硝子を濡らしていく。切なく降る雨は池本さんの心にも降るのだろうか?

 桜華楼の窓から見える雨の景色は何となく俺の、そして池本さんの心を表しているのか? そう想う。

 だが、そんなしんみりとした気分を酒宴には持ち込まない。特に幇間は陽気に、ハキハキとした態度と、気配り上手が上にいく世界なのだから。

 俺は稲葉に"遊女すらも目に行かない人気者になる"。そんな気迫を見せた。稲葉諒は人の想いを見透かす名人だ。油断はけしてできない。そういう男なのだ。

 池本さんは変な気負いをする俺にこう声を掛けて安心させてくれた。


「零無さん。肩に力が入っているんじゃないですか? 力を抜いて程々に頑張りましょう? 私達、芸者衆は余裕を持たせてないと宴席で力を発揮できませんし」

「……ありがとう。池本さん」

「零無。池本さん。お前ら、最近、いい感じになってきたんじゃないか?」

「そんなことないって」

「怪しい。案外、零無さんは池本さんを好きだったりしてね~。ね〜、池さん」

「どうかしら? 今夜の曲を唄えばわかるかも知れないわよ?」


 そう。今夜の曲で池本さんが作詞した曲があるのだ。

 実は俺は見てない。

 何でも池本さん曰く、"同じ女性の夏村さんと一緒に作りたかった"らしい。

 すると控室の外が騒がしくなってきた。

 そろそろ出番だな……。

 そうして俺達芸者衆は担当する座敷へ向かった。

 今夜の担当する座敷は、菖蒲花魁の旅立ちを記念する為に伊勢谷さんが用意した酒宴だった。あの桜華の間での酒宴だった。

 そろそろ俺も菖蒲花魁は見納めかな。

 伊勢谷さんのすぐ隣には楓姐さんが彼に酌をしている。

 

「こんばんは。零無レムでございます。この度は菖蒲花魁と伊勢谷半蔵さんの門出を祝う席にお呼びいただき誠にありがとうございます」

「零無くん。君もかなりの宴をこなしてきてだんだんと貫禄が出てきたね。他の芸者衆にはない独特の"色気"を感じるよ」

「ありがとうございます」

「桜華楼の流行歌も増えたそうじゃないか。早速、私達にも聴かせてほしい」

「では……」


 曲目の打ち合わせはしてきた。

 実は1曲目が池本さんの書いた歌だったのだ。

 それは、とても不思議な旋律の、想いが歌われた唄だった。


【ハツコイ少女】


神秘でできた獣に奇跡を見る

探していたものを見つけた

喜びを今 歌に変えよう 

例えば

"あなたの側に行きたい。

ああ、このまま時が止まって欲しい" 

"いつかまた逢えるのかしら?“



季節に飲まれ 春の宵が止まる

出逢ってしまった

私達の言い訳すらも

歌に変えよう

ここにきて 

"あなたの鼓動を聴きたい"

"名前を聞きたい"

"あなたの息遣いを間近で今 聴いてみたい"



あなたの声が聴きたい

ああ 神様 私を許して

あなたの肌に触れたい

その息遣いを聴きたい



神秘は識らない 

己が奇跡だとは

後ろめたい気持ちも許されない

わがままも言い訳も

歌に変える 

お願い

"神様。どうかこのままあの人を引き止めて"

"例え会えなくても心の火は消させない"



あなたの声が聴きたい

あなたの歌が聴きたい

あなたの肌に触れたい

その鼓動を聴きたいよ


【終わり】


 池本さんはこの歌を一見、菖蒲花魁と伊勢谷半蔵に贈ったように感じた。

 でも、よく歌詞を噛み砕けば、これは"誰か"の肌に触れたい……感じたい……と取れるのではと。

 その池本さんの溢れる想いは"形"となって桜華の間で響いた。

 そして、その想いは俺に向けたものと、俺は思った。

 何故なら、彼女はその歌を唄いながら、俺に視線を向けていたから。

 言葉にするならこうかな?



 零無さん。私の気持ちを知っているなら、想いを受け止めて、私を抱いてください。

 待っていますから……早くきて……。

 

 伴奏をしながら俺は靄の向こうの誰かに、そんな想いを寄せられた事があったなと漠然と思い出していた……。

 靄の向こうの人はいつも囁いてくれていた。


 あなたが好き。

 だから、帰ってきて。

 待っているから。



 なぁ……君の名前を思い出せない。

 君は誰なんだい?

 俺は……でも池本さんの想いに応えてあげたいんだよ……。

 俺も同じなんだ……。

 あの人の肌の温度を、息遣いを、間近で聴きたい。

 許してくれ……靄の向こうの大事な人。

 俺の二度目の恋を許してくれ。

 これは偽りじゃないんだよ。

 体の中で何かが燻っているんだ。

 水揚げをしてそれがわかった。

 俺の営みは、その人の想いを共有する為の大事な儀式もの、だったのを……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る