第32話 桜華楼の流行歌

 最近、桜華楼に揚がる客の楽しみになっているのは、池本と零無による流行歌だった。

 どこの妓楼でもされていないその流行歌の話は広まり、一度でもいいからこの耳で聴きたいから揚がるという客が多くなってきた。

 そして妓楼の立場も、だんだんと時代に合わせて変化を余儀なくされる。

 そう。床入りして男女の疑似恋愛から、芸者を呼び芸を純粋に楽しむ場所という認識がされてきていたのだ。

 これは女郎屋を生業にしている桜華楼としてかなり悩ましい問題だった。

 揚がる客が増えるのはいい事である。しかし、それに伴い上客と呼べる客が少なくなってきている。

 新規の客の大半は、桜華楼でしか聞けない流行歌を目当てに揚がる。

 その流行歌は、辛い浮世を生きる者達の心の叫びを体現しているので何度でも聞きたくなる、そんな歌詞の流行歌ばかりだった。

 池本と零無はいつしか桜華楼にて公認の流行歌を歌う一組の表現者アーティストとして認識されるようになる。

 そして桜華楼は芸者衆の最後のテコ入れに夏村を内芸者として迎える事で、外の見番登録している芸者に毎回頼む手間を省く事がほぼできるようになったと言える。

 立て続けに客で問題を抱えている桜華楼は引手茶屋の桜花の里や今戸橋の桜花の郷でもよく客を吟味するように、との通達を徹底させる。

 外見上の姿では上客なのか、そうでは無いのか見分けはできないようになった。実際問題、桜花の里を通した客ですらあのような下衆な極みがやってきたのだ。

 吉原の大見世となった桜華楼は、最早、一見さんお断りの見世となった。

 だが客としては納得できない。

 自分達は、内芸者の流行歌を聴いて宴席を楽しみたいのに、一見さんお断りでは気軽に聞きにいくこともできないではないか。

 桜華楼の楼主、稲葉諒はこのジレンマに今、頭を悩ます日々を送っていた。

 

 今宵もとある座敷にて、池本と零無の流行歌が流れている。

 尺八や三味線や琴を伴奏に、あまり聞かない目新しい流行歌が流れている。

 そのほとんどは零無が記憶の底から拾ってきた歌だという。

 歌詞は前向きで優しく心に触れるようなものや浮世の辛さを歌うような曲もある。

 それに立ち向かえる勇気を貰える歌も唄われるし、こういう雰囲気は桜華楼独特の流行りとして、客は受け取っていた。

 

 ようやくまた桜華楼に遊びに行く余裕ができた伊勢谷半蔵は、自分が訪れない間に変化をした桜華楼に驚いている。

 流行歌が流れる座敷の隣で菖蒲(あやめ)花魁と過ごす伊勢谷に酌をする楓姐さん。

 どんちゃん騒ぎとは少し違うその宴会は、伊勢谷には目新しく映った。


「隣の座敷の流行歌っていうのかな? あれは誰が考えたんだ」

「ここの幇間、零無レムです。初めは本来の酒宴に飽きた客の為に考案したらしいですが、今では名物ですわ」

「歌って奴は歌自体に何らかの"想い"が込められているからな。私も好きだよ」

「伊勢谷さんは本当に今の流行りを受け入れるから好感を持てますわ」

「まあ、この流行りもいつしか廃れるのも真理だけどね。時代を彩る流行りもいつかは廃れる。そしてまた何らかの流行りが生まれて、そうやって時代を彩るんだな」

「伊勢谷さん。菖蒲の身請け話の事は旦那様にしないとですよね。いつ頃、身請けするのか、そろそろ具体的な話をしますか?」

「ああ。ここ1週間には決めてしまいたい。来週からはまた忙しくなってしまう。桜華楼にも顔を出せないだろう」

「世界では大規模な戦争が始まったと聞きます。本当なのですか?」

「世界大戦と呼ばれるものだろう? ああ。本当に起きているよ。私の会社も日々、戦闘機の生産に追われて、ますます忙しくなっている」

「その恩恵でここに揚がっているからね」


 盃に注がれた酒を一口含む伊勢谷。

 彼らの座敷、桜華の間にも、流行歌が微かに響いてくる。心地よく響く流行歌は伊勢谷の心にも残る。


 それはこんな歌詞だった。


【ゆっくり進もう】


そのままでいよう

無理をしないでいよう



強がらないでいいんだね

誰かが 描いてた

壁の落書きの花が 揺れる

自分らしさなんて

誰もわからないよ



長い長い道の途中で

失くしたり 拾ったり

急に寂しくなったりして

泣いてしまう夜もあるけど 



涙も 痛みも 星に変えよう

明日を照らす灯火を灯そう

小さく迷っても 二人でつくろう

作っていこう

星屑を強く光る 永遠を探そう



ゆっくり進もう

しっかり進もう



足りないことだらけなんだね

足りなくていいんだね

だから 君に出逢えたんだ



確かがなんなのか 知りたくて

小さな刃物を 靴下に隠した

強がってついた 嘘の方が

もっとずっと 痛かった



本当は恐いよ だけど生きていく

笑顔の君を 風が撫でてる

小さな手をかざして 二人でつくろう

星屑を 

強く光る永遠を探そう



正しいことが 間違っていたら

どうすればいい

悲しいことが 正しかったら

受け入れるだけ?



失くしてたと想っていた

でも 君が持っていた

君がいて 本当に良かった



涙も 痛みも 星に変えよう

明日を照らす灯火を灯そう

小さな手をかざして 二人でつくろう

さよならは

いつか来るかも知れない

季節はそれでも

巡り巡ってゆく



小さく迷っても

歩いていこう

君と歩いていこう

それだけは 変わらないで

いようね



【終わり】


 揺れる時代に生きる人間達は、自分達がどこに進んでいるかはわからない。

 だから今を生きる。

 今を生きる者達しか、その答えは見出す事なんかできないのだから。

 いつか、そこが滅びに向かう場所であっても。

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