第27話 消せない罪

 桜華楼にて横暴な客の藤村が勘定を支払い、そして桜華楼の若い衆に乱暴に連れ出され、大門にて追い出された藤村。

 乱暴に摘まみ出された事に藤村はこの期に及んでまだ言い返す。


「何をするんだ! てめえ等!」

「それはこっちの台詞だよ。全く、アンタも判ってないな」

「うちの旦那様の逆鱗に触れて生きて帰った奴は居ねえからなぁ。怖さを知らねえんだよ」

「な、何を言っているんだ?」


 藤村はまだ己のした事をよく判っていない。

 自分の命が脅かされ、常に極道の筋者達にその背中を追われ、生活すらも脅かされる事に。

 桜華楼の若い衆の健太と友吉が藤村を摘まみ出したが、彼らは一応の警告を話してやった。

 

「近々、うちの者が挨拶に伺いますんで、その時は腹を括って待っていてくださいな」

「どういう意味だ?」 

「そっくりそのままの意味ですわ」

「これからお前の身に起きる事は全部、お前さんの自らの行いのせいって事だ。吉原の大見世に喧嘩売ったワレを後悔しろや」

「それから、アンタはもう大門は潜れる身分じゃねえからな。その前に旦那様の遣いが来るから」


 健太と友吉が藤村を追い出した桜華楼の内所の部屋では、杜若の件の後に、実は桜華楼と稲葉諒と繋がる極道の者が稲葉の連絡に合わせて来ていた人物も居たのだ。


「珍しい事もあるもんだ。桜華楼はあまり揉め事が無い妓楼だから、組の者が暇していたのだがね」

「その暇も無くなりますよ。先程、我々の見世で狼藉を働いた輩がきましたから」

藤村俊彦ふじむらとしひこか。フン。まるでボンボンみたいな名前だな」

「ええ。ただの金持ちのボンボンです。だがね。水揚げも済んでいない女郎に頼みもしてないのに勝手にそれを実行しようとした。許せないのですよ。それは全て、私が決める事ですから」

「丁寧な言葉遣いになるとかえって怒り心頭である事は知っているつもりだよ。稲葉さん」

「なら、相応の代償を奴に思い知らせてやってください。どの面下げて表の世界を出歩けないくらいにね……」


 その時、稲葉諒の褐色の瞳が明らかな殺気に輝く。

 それを見た、虎爪会こそうかいの会長、市川勝之助いちかわかつのすけは煙草を吸いつつニヤリと笑った。

 ちなみに女衒としての市川文左衛門いちかわぶんざえもんの実の兄弟だったりする。

 文左衛門は近頃は女衒の仕事の傍らで阿片などの違法薬物の売買に関わっているとか、そんな話を聞く。

 勝之助は久しぶりに見た稲葉諒の燻る怒りの火を見て、思わず言った。


「近頃のお前は何処か上品過ぎて凄味に欠けると想った。しかし、やはりお前は吉原の女郎屋の楼主なんだな。その殺気に輝く瞳は久しぶりに見た」

「少なくとも、その殺気に輝く瞳にはお前の中に潜む狐の妖怪の魂がまだ健在だと断言できるな」


 諒は火鉢に置いた煙管を取ると徐ろに咥えて、ふうっ……と煙を吐いた。

 今の彼の姿は着流し姿に羽織り物を着て、窓の外の景色を座布団に坐りながら眺めている。

 その部屋では勝之助が立ち姿で内所から覗く若葉姿の桜の木と夜空の月を眺めていた。

 雨はいつの間にかやんで月が覗く。微かに細い月が夜に冴え冴えと輝く。

 内所の部屋の電灯は薄暗い。完全な暗闇ではないが、暖かな明かりではあった。


「相応の代償か。任せておけ。そういうのは得意分野だ」

「お前の内側に潜む狐の血が満足するような、手酷い代償を支払わせてやるさ」


 市川勝之助はそう稲葉諒に答えて内所の部屋から去った。部屋の外には諒の妻、楓が待っていた。

 楓姐さんも市川勝之助に少しドスの効いた言葉で宜しくお願いをする。


「勝之助さん。宜しゅうお願い申し上げます。このままでは桜華楼も嘗められたままですわ」

「ええ。私としても桜華楼には色々世話になってますからな」

「失礼致します」 


 市川勝之助の部下は楓に頭を下げて、市川勝之助の後に続き桜華楼から出て行った。

 楓は内所の部屋へ戻る。

 そして諒の正面に座りこみ、机に肘をついて溜息を吐いた。


「相当、お前も腹が立っているようだな。楓」

「諒もね。今までもいざこざがあった時は市川さんに頼んできたけど、あの藤村はどうなるのかしらねえ?」

「どうなるのかは勇太に報せて貰えばいい。彼はそのための人材だからな」


 その翌日から藤村俊彦は虎爪会の連中からの、恐ろしい仕打ちを受け始める。

 藤村俊彦には懇意にしている女がいたが、まずは手始めにそいつを桜華楼へ転売に出す。

 女は平和ボケしている普通の世界の人間なので、虎爪会の若い衆が身に覚えのない借金をでっち上げ、接触した。


「お嬢さん」

「はい? 何ですか!? あなた達は?」

「あんた名義で借金を作った馬鹿がいるんですよ。ほら! 借用書!!」

「こんなの私、知りません!」

「借用書にあるこの借金、1000万円、明日にでも払って貰えませんかねぇ。払えねえならいい所へご案内しますよ。お誂え向きな場所へね!」

「これ、作ったのアンタの男だろう? アンタの男にでも頼めばすぐに用意出来るだろ?」

「藤村さんが!? なんで?」

「知るわけないでしょう? 俺達が。早い所、藤村俊彦に催促したらどうです?」

「明日中には払って貰いますから」


 藤村俊彦にもその鋭く非情な牙が剥けられた。


「藤村ー!! てめえ、あの吉原の見世で騒ぎを起こしたってなぁ!! 横暴を働いて、見世の者に暴力を振ったってなあ! 聞いたぜ〜藤村〜! 出てこいや! ワレぇ」

「何だね? この騒ぎは? 藤村君」

「す、すいません! 社長!」

「藤村〜? てめえ、無傷で済むと思ってんのか! クソガキが!」

「吉原で騒ぎを起こしたのかね?」

「そ、それは……」

「困るんだよ、吉原には贔屓にしている妓楼があるから、見世に迷惑かけると君に関わる人間まで徹底的に叩くんだ」

「全く、私も散々、他の妓楼ではお前の名前が挙がるたびに「クソ最低な客」だの、「阿呆な社員の所には阿呆な社長しかいない」とか言われている」

「もう金輪際、会社には来なくていいぞ」

「それってクビですか!?」

「クビだ。迷惑なんだよ。消えろ」


 その間も東京の街中に噂をばら撒く虎爪会の若い衆は、さらに若い衆の女の口から、藤村俊彦は女に乱暴を働く不届き者と伝達させ、藤村に体よく強姦されたとか噓を撒き散らす。

 それは普通の家庭の主婦に伝達されて『隣に住む藤村俊彦は女を強姦した』と根拠のないゴシップネタが話され始める。

 

「見て? 奥様。藤村さんですわ。女性に乱暴を働いたんですって」

「嫌味な男ねえ」

「隣町のアパートにあいつの女が借金こさえたとかで借金取りに追われてましたよ」


 隣町のアパートでは借金取りの若い衆が執拗に金を取ろうと四六時中、怒鳴り散らす。


「早く払って下さいよ! 1000万円! あんたの男がこさえた借金!! 出ないととんでもない所にご案内しますよ〜?」


「止めて…。やめてよ……! 何で借金なんかするの? わからないよ、藤村さん」


 もちろん藤村にも同様の攻撃を行う。

 藤村の手で書かれた借用書と銘打った書類を片手に金を請求しまくる。

 もちろん藤村にはそんな大金が用意できる訳などなく……。

 会社もあっという間にクビになり、いつの間にか借金があり、代わりに何も知らない藤村の女が桜華楼に転売され、それは虎爪会と桜華楼の懐に入るという、単純明快な嫌がらせだった。

 数日間に渡る虎爪会という組の若い衆による執拗な攻撃で藤村はやっと自分が犯した罪を切実に痛感する。これが桜華楼の若い衆が言っていた『相応の代償』。

 あの見世で横暴に振る舞ったあの時、自分は浮かれていた。

 そして金さえあれば何でも許されると思った。

 しかし結果は桜華楼からの出入り禁止とそれに伴う桜華楼と繋がる極道からの執拗な攻撃。

 しかも自分の女が何も知らない借金で桜華楼に転売されそうになってる。

 それを悟った時はもう手遅れだったのだ。

 

 ある日。零無レムは新しい新顔が桜華楼に転売されてここに来たのを目撃した。

 連れてきたのは虎爪会の若い衆。

 連れられた女性は泣きじゃくる。

 一体、何が起きたのか? 零無は首を傾げる。

 彼の前を、如何にもなヤクザものが、泣きじゃくる女性を無理矢理、内所へと連れて行く。

 内所には稲葉諒と楓姐さんと虎爪会の会長、市川勝之助が同席していた。

 

「なるほど。代償として女を差し出した訳だ」


 稲葉諒の冷酷な声が響く。

 泣きじゃくる女性は、次は心臓が凍りつく程の恐怖を感じた。

 女性の下に歩み寄る諒。

 顎を掴み無理矢理、自分の顔を見つめさせる。


「これからは桜華楼にて相応の代償を支払って貰うよ。恨むなら藤村を憎め。私達の見世で横暴を働いたツケは君で穴埋めさせて貰うよ」


 冷酷非情な楼主の声が低く冷徹に内所に響いた。

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