第18話 零無の船宿茶屋の旅
俺は今、風呂敷を持って大門から出た所にいる。この大門に繋がる道は五十間道と呼ばれている。結構な茶屋があるな。この辺にあるのも引手茶屋と同じ役割らしい。
引手茶屋というのは、言ってみれば現在で言うところの風俗案内所。しかもソープランドと提携している案内所みたいなものと考えるとわかりやすいと思う。
俺は生前の記憶ではソープランドなぞ行った事も無い人間だったような気がする。
目指す船宿茶屋は山谷堀の入口の今戸橋の辺り。手渡された地図を道標に歩く。ふむふむ。道は意外とわかりやすいかも知れない。地図には見返り柳とか、地名が書かれている。三ノ輪方面とか隅田川方面とか。
この時代はやはり自動車は少ないな、というかあまり見掛けない。人力車なら結構見かける。服装も着物中心。本当に洋服を着ているのはあの伊勢谷半蔵のようなお大尽のみという、そんな感じだね。
十郎太は船宿茶屋と呼んでいたが、要はこの場所も桜華楼の引手茶屋みたいな場所だろう。あの【桜花の里】の今戸橋版みたいなものと推測する。
日本堤という土手に差しかかる。へえ。生前の記憶にはこんな土手は観たことないな。時折、人力車が通り過ぎる。
人の通りはそこそこ賑やか。
この日本堤だが、意外とここも茶屋がある。
吉原通いをするのにあたり、直行直帰は野暮と言う。セオリーとしてその辺りの茶屋とかで団子の1つでも食べて、はやりつつも意地を張りながら中継ぎもして吉原に向かうのが粋な遊び方だと言う。
土手を歩く事、約二十分。
それらしき橋が見えてきた。
今戸橋。この辺りの茶屋に桜華楼の引手茶屋がある筈だ。十郎太は吉原の引手茶屋には別に寄らなくてもいいという話に合点がいく。今戸橋の引手茶屋でも桜華楼の引手茶屋があるなら同じ事だ。つまり正規の
あの見世は大見世になろうとしているから引手茶屋を通さないと登廊などはできないし、冷やかしなぞ論外という事だろう。
というか、カフェっぽいかな。和風の引手茶屋もあれば、ハイカラなカフェっぽい引手茶屋もあるし、和洋折衷だよね。桜華楼の船宿茶屋もとい引手茶屋の名前は?
地図の片隅にその引手茶屋の名前が書いてあるかな。【桜花の郷】。漢字は違うけど、おうかのさと、と呼ぶらしい。商標の八重桜も目印にするとわかりやすいとある。
あった。和風の建物だが、看板に【
とりあえず入ってみよう。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「はい。一杯程、お茶を飲みたいと思って」
「どうぞ。こちらの席へお揚がりください」
「この茶屋は【桜花の郷】で合ってるかな? 看板を見て入ってみたのだが……」
「はい。【桜花の郷】へようこそお越しくださいました。女将の
「
「
「はい。桜華楼に今夜、遊びにいこうかなと」
「
すると、【桜花の郷】の奥から桜華楼の若い衆の一人、外廻り役の健太が現れた。
「零無さん、待っていやしたぜ。旦那様からの手筈をお伝えしないと参りませんな」
「健太。奥の座敷に案内してやりな。多分、着替えるだろうから」
「へい。ささ、こちらへ」
桜花の郷の奥の座敷へ案内された。
意外と奥の方に部屋が繋がっているな。
健太の人相は、何処か勢いを感じる。友蔵とは正反対な喧嘩に強そうな雰囲気だね。まあ、桜華楼の中は悶着色々だから喧嘩に強い男も居ないと成り立たないだろうな。
健太は俺を待ちかねたように応えてくれた。
「話は旦那様や十郎太から聞きました。今夜は新造の水揚げをするという事で、宜しくお願いしますよ」
「風呂敷の中身を俺は見てないんだよ。ここで風呂敷を広げていいかな」
俺は座敷に案内されると手にした風呂敷の結び目を解いて、中身の確認をした。
一式の着物、財布、扇、後は
どうやら手紙に今夜の手筈が書かれているのかも知れない。
着物はどうやら稲葉諒が呉服屋から卸した、新品を渡してくれたらしい。一通り、揃っている。
手紙を読んでみた。
『今夜の水揚げに際しての注意事項を簡単に書いておく。桜花の郷に着いたらその着物を着て、髪型も少し変えておく事。髭の手入れは念入りに、風呂も済ませておく事。丈は合ってる筈だ。如何にも馴染みらしく登廊をしてくれ。
「身なりを整える
「旦那って、それだけでも客人気分になれるね」
「向こうでは"
という事で風呂を済ませて、座敷に置いてある鏡に向かう。
髪型を変えるのか。何時も前髪は後ろにしているんだよな。右側の前髪だけ下ろしてみるか。
……これで眼が褐色だったら、まんま稲葉諒だな。髪の毛の色が向こうの方がもっと灰銀色だが。
着物は羽織りものに袴をつけた準礼装っぽい。
扇は手に持って。
財布の中身は、かなりの大金が入っていた。
この金、俺の給金も兼ねているのか?
新造の水揚げって、俺にも給金が欲しいけどな。
「割と雰囲気が変わるもんだな」
変装も終わり、何処ぞの遊び人みたいな親父になった。
そして佐々木さんによる外見の確認を取った後は元より来た道を吉原へ向けて歩く。
夕暮れの土手の向こうに、妖艶な明かりが見え、逸る気持ちが脚を急がせた。
吉原の大門を前にして、息を吸い、ゆっくり吐いて、俺は向かう。
浮世を捨てた【極楽の世界】へ。
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