第17話 儀式当日の朝

 何かとんでもない話になった。

 あれから一夜明けて、今日は遊女の水揚げがあるらしいので、桜華楼の中は朝から慌ただしい。

 俺は妓夫(ぎゆう)を務める十郎太を捜していた。妓夫(ぎゆう)とは客の呼び込みで、外で見物する男達に"どの娘がオススメなのか"とか、客の予算に応じてどの遊女なら床入りできるかを教える係だ。

 すると番頭である友蔵を先に見つけた。

 帳面を書きつつ、愛嬌たっぷりな笑顔で挨拶を交わす。


「おはようございます。零無(レム)さん」

「友蔵さん。おはようございます。そうだ。友蔵さんに聞きたい事がありまして」

「なんでございましょう?」

「ここではちょっと言いにくい事なんですよ。少しの間だけでも離れる事はできませんか?」

「はい、わかりました。少しの間だけですぞ」


 一階の大広間の中には誰にも話せない事を話す為の小部屋を誂えてある、と諒は言っていたのを思い出して俺は友蔵をそこに連れていく。

 この友蔵は一言で表すならどこにでもいる気心知れたおじさんという雰囲気。どことなく平和な空気を出していて血気盛んな雰囲気ではない。


「一体、いかがされたのでしょうか?」

「実は今夜、遊女の水揚げを頼まれてまして」

「零無さんがですか!?」

「そうなんですよ。それで客人として振る舞えって言われて」

「それで相談に来たんですね。水揚げの件については旦那様から聞いております。今夜、その水揚げを担当する客人が来るから適切に対処するように、とも」


 友蔵はその客人として振る舞う際に着る服を十郎太に預けている事を教えてくれた。

 その後の手筈も彼に聞けばいいらしい。


「荷物は十郎太が預かっているらしいですよ。荷物の中には服が入ってます。それを着て、ここの暖簾を潜って客人として揚がるというのが一連の流れですな」

「引手茶屋には行かなくて平気なのか?」

「ええ。今回、零無さんが水揚げの儀式するという事で直接の登廊とした方がいいと旦那様は仰ってます。大法の抜け道を使うならばこれが一番だと」

「なるほど。何時頃から水揚げをするんだ?」

「夜の9時頃から二日間に渡ってやります。みっちりと仕込んでやってください」

「二日間も遊女を預けるというのか? 大変な役目を受けちまったなぁ……」

「大丈夫です、零無の旦那ならすぐに慣れましょう」

「だといいが。お妙さんは二階だよな?」

「へい。二階の遣手部屋にお妙さんはいます」


 朝の二階は遊女達がそれぞれ仕事を終えた後みたいなもので静かな空間だ。

 遣手部屋にいるお妙さんは朝食を食べていた。


「お妙さん、おはようございます」

「あら? おはよう、零無さん。珍しいですね。二階にこんな朝っぱらに来るなんて」

「お妙さんに聞きたい事がありまして」 

「そんな所にいないで中に入ってください。どうせ、今夜の水揚げの儀式の話でしょう?」

「失礼します」


 遣手部屋の障子を閉めて個室で話す俺とお妙さん。お妙さんはおもむろに煙草を取り出して吸い始める。

 俺にはお茶を出してくれた。


「で? 聞きたい事は?」

「吉原で女を抱く時に禁じ手があると聞きました。その禁じ手は何かを教えていただきたい」

「知らないのも当然だよね。吉原の禁じ手は、まずは遊女を責め立てたりする事。彼女らは自分たちが感じで快楽を感じるのは恥と教えられている。俗にそれを"気を遣(や)る"と言うけどね。大概、外の世界では気持ちいいものだとは思うけどさ。それが俗世間との違いだね」

「他には?」

「……あんた、女を抱く時、前戯とか後戯とかするかい?」

「前戯は結構な時間はするかな」

「吉原では、前戯がしつこく、後戯もしつこい男は"湿深(しつぶか)"と呼ばれ嫌われるんだ。そんな時は遊女がことさら女性上位になって攻めたてる場合がある。まあ、あっさり逝くのがここでは好かれる男やね」

「でも敢えてそれをやらないと解らないのでは?」

「そうなんだ。そこが水揚げの難しさなんだよ。何せ彼女は今夜が初めての男性だ。これから体を売るのに解らないでは通らない。水揚げを頼む時は旦那様は敢えて、湿深な男性を選ぶ傾向にあるんだ」

「結構、緊張するだろうからな……」

「そうだね……水揚げの儀式は旦那様にとっては神経質にならざるを得ないね」

「後は、女陰は吉原の遊女にとっては商売道具。そこを舐めたり、手で弄ったりするのは厳禁だよ」

「世間一般な床入りの作法とは全然違うな」

「吉原ならではの作法だね。禁じ手に関してはこんな所だね。後はやたらめったら床入りを急ぐ客人は野暮だからそこは気をつけな。床入りは時間がくれば来るんだ。それまで楽しむのが客人としての吉原を楽しむコツさあね」


 後は本番になったら順次、若い衆が説明するからそれに従ってこなせばいいとお妙さんからのお達しがあった。

 そんな事を話し込んだら結構な時間が経っている。若い衆の一人、勇太が遣手部屋に来て俺を呼びにきたよ。


「零無さん。十郎太さんがお呼びです。旦那様から預かった荷物を早く渡したいから来て欲しいと言伝です」

「わかったよ。では、お妙さん。本番では宜しくお願いします」

「遊女の水揚げ。しっかりとお願いしますよ」


 勇太から下駄箱に入っている草履を受け取り、履いて外に出ると妓夫の十郎太が風呂敷を持って待っていた。

 そしてこの風呂敷を持って一度、大門から出て、中継ぎの船宿茶屋にて変装するようにと勧められた。路銀などもここに入っているらしい。

 そこまでの道標などの地図を手渡されている。


「船宿茶屋ってなんだい?」

「要はここで零無の旦那には客人の装いをして貰うって事ですな。そこには桜華楼の若い衆も居るんで、船宿茶屋の主人とか女将さんがどの妓楼に行くのか聞いてきたら、うちの桜華楼の名前を出せば出てきます。確か、若い衆の健太がいるはずです。あいつ、外廻り役なんで」


 随分と手の混んだ水揚げの儀式だね。

 まあ、そうしないと怪しまれるという事だろうからな。

 期せずして大門の外に出る事になった俺は、まるで社会科見学をする気分で外の世界を見聞する事になった。

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