第13話 記憶の底にある歌

 池本さんと俺の部屋は割と近い位置に部屋割りはされている。内芸者となった俺と池本さんは荷物の整理か終わる頃には、桜華楼のまかない飯を食べる。

 賄い飯は一階の大部屋で遊女達と共に食べる。

 しかし席は内芸者と遊女は決められている様子だった。

 俺達は大部屋の隅の席にて昼飯を食べていた。

 賄い飯は飯番めしばんと呼ばれる男が作ってくれている。どうやら一人でこの業務をこなしているらしい。

 賄い飯の内容は、白いご飯に沢庵、南瓜かぼちゃの煮物に、里芋の煮っ転がしあたりと味噌汁が出てきた。魚とか肉はあんまり見掛けない。

 

「これが桜華楼の賄い飯か。さすがにこんな大所帯では魚は出ないよな」

「でも、この里芋の煮っ転がしは醤油がとても良く効いていて美味しいですね」

「地味に生姜を効かせているのも良いね」


 俺と池本さんはお互いに向かい合って食事を摂っていた。

 俺は浴衣姿。池さんも浴衣姿だった。

 すると池さんはこんな事を俺に話した。


「折角、内芸者になれたのに、新しい芸が無いというのも何だかと思うんですよね。零無レムさん。何か良い歌、知りませんか?」

「歌ですか?」

「零無さんなら何か新しい歌を知ってるかもと想いまして」


 歌か。そういえば生前の世界でも結構、好きな歌があったな。殆ど生前の記憶を失ったとはいえ歌というのは記憶の底にあるものだと俺は思う。だけどこの食事を摂っている時はそれを想い出す事はできなかったのだ。

 その記憶を探ろうとするともやかかかったように朧げになってしまう。

 その靄の向こう側から女性が呼ぶ声が聞こえる気がする。

 

「すまない。池さん。ここでは思い出せないかな。知ってる歌ならあるかもしれないけど静かな場所じゃないとどうもね」

「お構いなく。私も急いでいる訳ではありませんから。とりあえず食事を済ませてしまいましょう?」

「それもそうだね」


 昼飯を食べたら、しばらく休みをはさんで、ここの女主人、楓姐さんから今宵の酒宴などの確認をする。

 中見世から大見世になろうとしている桜華楼はそこそこ馴染みも初回の客人も訪れる妓楼だった。座敷ではそれこそ毎日がどんちゃん騒ぎ。浮世の辛さを忘れる為に訪れる吉原は世の極楽みたいな場所だ。

 世の極楽ねぇ。結構な話だが、遊女からすれば地獄とも呼べるのでは。まあ桜華楼の内芸者がこんな事を口走るのは禁句なのであんまり触れないでおこう。

 自分の部屋に戻り三味線の調子を合わせると、少しだけ目を閉じた。まだお祭り騒ぎがされていない妓楼は、そんなに殺気だっていない。


『ねぇ。レム。この歌、覚えている?』


 不意に靄の向こうから女性の声が聞こえて、歌が聴こえた。

 誰だろうか?

 その旋律メロディーも歌詞もどこかで聴いた事のあるものだった。

 目を閉じて、その歌詞と旋律メロディーを拾う事に集中して、記憶に焼き付ける為に慌てて側にある適当な紙に殴り書く。

 万年筆のインクが少し滲んでいたが、殴り書いた歌詞と記憶に焼き付けた旋律メロディーすぐ近くの部屋にいるはずの池さんに見せに向かった。

 

「池さん。池本さーん。居ますか?」


 部屋は和室だから障子を横に引いて池本さんが顔を見せた。

 

「あら? 零無さん。どうしたのですか?」

「民謡かどうかは知りませんけど、これは池さんは知らない歌かなと思いまして。この部屋では怪しまれるので、そこの広間で話したいのですが」

「もう新しい歌を教えてくれるのですか? ちょっとビックリです」


 広間の机を借りて俺と池本さんは新しい歌の話をする。そこには多数の若い衆も興味深く覗きに来ている。

 殴り書いたメモと一緒に記憶に焼き付けた旋律メロディーを池本さんに教えた。

 すると池さんは呟いたのだ。


「どの民謡でも聴いた事のない旋律ですね。でも、確かこういうのハイカラって言うんですよね。これは確かにちょっとした演物だしものには丁度良いかもしれません」


 若い衆の一人の友吉ともきちが、その話を立ち聞きしていたので彼はこう表現したよ。


「いわゆる流行歌はやりうたというやつですかね。面白そうじゃないですか。これが好評だったら御二方の固有の特技として、桜華楼にもひとつ、個性が生まれるかもですよ」


 友吉の側にいた若い衆の一人、賢治けんじも熱心に頷く。


「さいですな。この余興が受ければ桜華楼にもひとつ、名物が生まれてそれを目当てに客人も来るかもですな」

「そうすれば桜華楼も番付に載ってさらなる売上も増えて、あっしらもいい物を食えたら嬉しいなあ」


 若い衆はささやかな希望を口にするが楓姐さんが来ると少し怯える様子になる。

 どうやら楓姐さんはここではかなり恐れられているらしい。

 品のある着物姿で腕を組む姿にはかなりの迫力を感じた。

 まさに、姐さんなのだ。

 楓姐さんはそろそろ開業時刻が迫って来ているので若い衆に気合を入れる。


「さあ! 今夜も馴染みが来るんだ! お前ら、ぬかるんじゃないよ!」

「へ、へい! 姐さん!」

「池本さんに、零無さんも、桜華楼の内芸者として店に泥を塗る真似はしませんように」


 俺達は顔を見合わせて返事を返す。

 

「やってみせましょう」

「ええ。じゃあ、零無さん。この歌は時間がある時に練習しておきますね」


 そうして。今宵も桜華楼の長い一日が始まった。

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