第11話 桜華楼の内芸者

 仲の町の雑踏で池さんと夏さんと別れた俺達は長屋に入って早々、お互いに愚痴を言い合った。随分と先方は祝儀を弾んでくれるのはいいが、芸者衆をこき使うのは如何なものかと。


「あ〜っ! 騒ぎ疲れてマジでダルい! さっさと布団に入りたいぜ」

「今日だけで数日間の宴をやった気分だよ。幇間って結構疲れるよな」

「あ〜あ。明日だけはせめて休ませてくれよ。俺は気力は使い果たしたわ」

「俺もだ。さっさと布団敷いて寝るか。今夜は疲れて変な夢を見ないで済むかも」


 桜華楼にて一応、宴の席にて夕食らしいものは食べたからな。

 長屋に帰って来たのは夜の22時を過ぎていた。

 浴衣に着替えて、俺達はさっさと眠りにつく。あ〜……俺も気力は使い果たしたよ。寝よう。

 

 そうして、妙な夢も余りの疲れで見ることもなく夜が明けて太陽が昇る頃……。


「すんません」


 扉を叩く音が俺達を起こす。

 酒井は何だよ……みたいな雰囲気だ。不平そうに起き上がる。

 

「すんません。こちらに零無レムさんはいませんか?」


 扉を叩きながら俺の事を呼ぶ若い衆が外にいるらしい。壁に飾られている時計を見た。おいおい……まだ朝の7時じゃないか。随分と早い時間だな。

 気だるそうなのは酒井だけじゃない。俺も気怠いのだ。まだ疲れは取れていないぞ……。

 

「こんな朝っぱらに何だよ……。出てやれよ、零無」

「仕方ないな」


 扉を横に引くと若い衆の一人が外で俺を待ちかねたように声を掛けた。


「どうも! 零無さん、ですね」

「なんですか? こーんな朝っぱらから。こちとら結構疲れて居るんですよ?」

「そんなお疲れの零無さんに通知書が届いております。はい、これ」


 封筒に入った通知書がきたよ。

 一体、何の通知だ? 今日も桜華楼の宴会に出ろってんならお断りだぞ。

 俺にきた通知はそれ以上の通知だった。

 俺は通知書を届けにきた若い衆に確認する。


「この通知は本気か?」

「ええ。正式な通知でございます」

「おい。零無、どうした?」

「俺に桜華楼の専属の幇間、内芸者になれという通知だよ」

「内芸者!? 桜華楼の!?」

「読んでみろよ、ほら……」


 その通知書を酒井にも見せた。

 通知書にはこう書かれていた。しかも、桜華楼の楼主の直々の筆だ。


『見番登録28番の幇間、零無レムを我が桜華楼の内芸者としてお迎えする。御本人に宜しくお伝え戴きたい。本日の午前11時に桜華楼へ登録を済ませたい。幇間、零無に宜しく。 稲葉諒いなばりょう


「お前……とうとう内芸者か! やったな、おい!」

「何でも芸者の池本さんも同様の通知を頂いたそうですよ」

「池さんもか! 桜華楼も大見世になる為に内芸者を抱える事にしたのか!」


 俺はというと、やっぱりあの伊勢谷の宴会の時に直に会ったという事は向こうが最後の確認を取る為にあの楼主が出てきたんだ……という気分だった。

 必要な手荷物を持って午前11時までに桜華楼へ向かわないと。なら、こんな朝っぱらに若い衆が来るのも納得がいく。

 疲れも吹き飛んだ俺は通知書を届けにきた若い衆に応えた。


「わかった。午前11時までに桜華楼へ、だな?」

「へい。宜しくお願いします」

「わかったよ、御苦労さん」


 この長屋での朝食もしばらくはしないと思った俺は、酒井と会話をしながら朝飯を食べる。今朝は酒井が内芸者になる俺の為になかなかのご馳走を出したね。

 白いご飯と昆布の佃煮と魚にさわらの塩焼きに、ほうれん草のお浸し、味噌汁を出した。

 酒井は俺が桜華楼の内芸者になる事を我が事のように喜ぶ。


「まさか、後に見番登録をしたお前が俺より先に桜華楼の内芸者になるとはな。悔しいけどよ、認めるしかねぇよ! 本当に」

「だよな。ここに来て1週間経ったかくらいだものな」

「余程、桜華楼はお前を気に入ったんだな。そうじゃなきゃこんなに早くお呼びはかからねえぜ」

「手荷物をまとめて桜華楼へ向かうのはいいが、内芸者になると何か良い事でもあるのかな?」

「その楼閣にもよるが、基本、食べるものには困らないと想うよ。向こうの賄い料理をこれからお前も食べる事になるし、な」

「ふーん。飯には困らないか。仕事はどうなるのかな?」

「基本的に幇間だから今までと変わらないとは思うぞ。ただし内芸者になるならそれなりに芸を磨く事を忘れるなよ?」


 酒井は教えてくれた。

 内芸者になりそれなりに人気を獲得すれば、一介の幇間とは思えない程の人気になり、遊女以上の人気を獲得して祝儀を貰える。

 お前を楽しみに客を呼び寄せてやれば、自然と遊廓も待遇を優遇するようになる。そうなればこちらも張り合いが出るだろう? と。

 面白そうだ。

 遊女すらも目に入らない程の人気者に、一つ、俺もなってみせるか。

 

 手荷物をまとめて持った後、一人の若い衆が迎えにきた。あれは桜華楼の若い衆の勇太ではないかな。

 無邪気そうな微笑みで俺を迎えにきた。


「零無さーん! お迎えに参りました! 手荷物、お持ちしますね!」

「良いのかい? 悪いね、助かるよ」

「旦那様が首を長くしてお待ちしておりますよ。行きましょうか?」

「ああ。酒井! 世話になったよ! 次はお前が来いよ!」

「向こうの返事次第たけどな! 桜華楼でも元気にやれよ!」

「ああ!」


 しばらく仲の町を歩くと、桜華楼の別の若い衆に連れられた池本いけもとさんに会った。


「零無さん!」

「池さん! おはようございます」

「聴きましたよ。零無さんも桜華楼の内芸者でしょう? 私もなんですよ」

「池さんも桜華楼の内芸者ですか。そりゃあ嬉しいですね。知り合いが一人いるだけでも心強い存在ですよ」

「零無さん、口か上手いんだから。そのノリが魅力的なんですよね」

「池さんの民謡だって魅力的ですよ」

「さいですな。うちの桜華楼としても、やはり内芸者に迎えるならばせめて、良い芸者と幇間をお呼びしたい。それで旦那様が御二方に声を掛けたんですよ」


 若い衆のもう一人の男性、妓夫の十郎太じゅうろうたが話した。流石に呼び込み専門。口の巧さは芸者衆に迫るものがある。

 そして京町二丁目の楼閣【桜華楼】にたどり着く。

 俺と池さんは暖簾を潜り、そして俺はこれから桜華楼の内芸者として、この吉原で物語を紡ぐ事になる。

 世にも不思議な鏡合わせの吉原を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る