第8話 引手茶屋【桜花の里】
レム。私ねあなたが……。
……なの、……している。
ところどころが霧に掛かったように途絶えた言葉に虚ろな夢。
一体、この夢はなんだろう?
探ろうとすれば鋭い痛みが走り、それを無意識的に辞めさせようと体が訴える。
すべてが靄に包まれ、そして俺は目覚めた。
「一体、君は誰なんだ?」
不意に漏れた疑問に酒井は少しだけ興味を持って朝飯の合間に聞いてきた。
「お前の毎夜の如く見る夢ってものはどういうものなんだ?」
「……最初の頃は誰かが叫ぶ夢だった。それからだよ。急に内容が変わって女の人の声が聞こえるんだ」
「女の?」
「言葉が途切れてわからないけどな」
「面白い夢だな」
酒井は呟くと仕事の話に切り替えた。
「そうそう。今日は仕事がいつもより早いから準備も早目にしないとな」
「今日は引手茶屋にて宴会だよな?」
「ああ。引手茶屋の2階に座敷があってそこで酒宴を開くのが上客の証みたいなもんだな」
「その後は?」
「桜華楼へ行くんだよ。その前に花魁道中という華があるがな。花魁道中は観た方がいいぞ。そうそう観られるもんじゃない」
酒井は花魁道中は好きなんだろうな。
珍しく興奮している様子だし、嬉しくて堪らないのだろうな。
何せ花魁道中はスターが美しく着飾り練り歩くパレードなのだから。
そうなれば俺も観ないとと想うよ。
少しでも気が晴れると嬉しいなぁ。
全く、幇間という仕事は何時も楽しそうに愉快そうに振る舞わないとならないからある意味では大変だよ。
そうして午前11時頃に桜華楼の引手茶屋【桜花の里】の2階座敷にあがった俺と酒井と芸者の池本さんと夏村さんは調子を合わせていると外の仲の町が騒がしくなった。
誰かが花魁の姿を見かけた様子だった。
「桜華楼の花魁、
「あの方が
すると酒井が尺八を畳に置いて、窓際に行く。
俺も誘われるように窓際に行く。
そして酒井が教えてくれた。
「
「あれが花魁道中……!」
桜華楼の現在の看板花魁、
菖蒲の名に恥じない、菖蒲が描かれた着物姿、所々に黄金の糸で装飾がされている華美なデザイン。下駄が驚く程、高下駄なのが度肝を抜かれた。前には金棒引きと花魁に肩を貸す男性と長い柄の傘をさす若い衆もいる。その近くには禿と呼ばれる女の子が2人付き添っていた。
観衆は仲の町の横に身を引いて彼女らのパレードに目を奪われる。
これが花の吉原の晴れの舞台なのか。
息を飲み見惚れる観衆の間を菖蒲花魁は堂々とした佇まいで誇らしげに道中する。それはこの引手茶屋【桜花の里】まで続いた。
こんなものは生前の世界では見掛けなかった俺は目を丸くして観ていた事だろうな。
酒井は菖蒲花魁が引手茶屋に近づいてきた所で見物を止めて宴の準備に戻った。
「零無。そろそろ馴染みのお大尽が来るぞ。準備、準備!」
「あ、ああ!」
「花魁道中を観たのは初めてだったのか? 茫然としてよ」
「当たり前だろ! あんな綺麗なもの、観たこと無かったし」
「零無さん、可愛い」
「可愛いって夏さん、からかわないでください!」
「零無さんのいつもの調子が出てきたから今夜も一つ、派手に行きましょうか!」
「おう! 池さんの景気のいい民謡に期待するぜ」
約束の時間、正午。
馴染みの
伊勢谷半蔵の友人だろうか? それともビジネスの相手だろうか? どちらにせよ、吉原へ遊びにきた客には違いないな。
俺達が早速、三味線やら尺八やらで場が盛り上げ始めると、引手茶屋の女将が伊勢谷に酌をしながら、菖蒲花魁の話をしている。
豪華な肴や酒が運ばれ若い衆も宴席に参加している。
しばらくすると主役の菖蒲花魁が座敷に現れた。
「伊勢谷さん。会いたかったでありんす」
「菖蒲。今日の君も美しいよ」
「うれしうざんす。ありがとうござりんした」
「女将。今日は桜華楼に初回の客を連れてきたんだがね」
「こんにちは。伊勢谷さんの友人の
「桜花の里の女将、
その席で女将は桜華楼の初回の客の好みを聞き、それを若い衆は側でちょっとした紙にメモを取っていた。
よくできた若い衆だと思ったね。この時代でメモに取るってなかなかできるものじゃない。暗記とかだとミスすることが考えられるものな。ならメモに取って確実に伝えればいい。
若い衆は初回の客の名前を聞いて、最後に女将に確認をしたあと、その足で桜華楼へ急いだ。
その間も俺達は場を盛り上げる事に徹する。
そうして伊勢谷半蔵は引手茶屋にて2時間程の酒宴をやった後、菖蒲花魁を伴い桜華楼へと道中だ。
吉原の仲の町にいる客の視線は伊勢谷に集まる。何処のお大尽だろうか? という注目こそが吉原では最大の見栄であり、粋である。
そうして伊勢谷半蔵は桜華楼へと登廊し、引き続き俺達、芸者衆の宴会も続くのであった。
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