第7話 萩原の情男

 ねぇ、レム。私ね……あなたの事を……。

 君は誰なんだ?

 今夜の夢も不思議だ。 

 顔の見えない誰かが俺に何かを言ってる。

 でも言葉の中身は憎々しい台詞では無い気がする。むしろ、前向きな言葉。

 誰だがわからない。

 そして生前の記憶を探ろうとした途端、鋭い痛みが走り、そして目を醒ました。


「ウッ…!」


 軽く呻くように起きて共に住む酒井は声を掛けた。心配するように。


「また例の悪夢か…?」

「それが全然違うんだ。何というかどことなく懐かしい気持ちだよ」

「懐かしい……か。朝飯を食べようぜ。俺の勘だと今日は休めると思うぞ」

「何でだ?」

「芸者衆でも流石に毎夜出張る事は結構、身体的に辛いから妓楼が気を遣って休める事もあるのさ」

「なら、いいけどな」

 

 白いご飯と昆布の佃煮、大根の葉の唐辛子醤油炒めと、魚に焼き鮭が出てくる。 

 そういえば酒井はこの揚屋町に住んで長いのかな? 

 

「酒井。お前、この揚屋町にはもう長く住んでいるのか?」

「長いと言ってもかれこれ5年だけどな」

「お前さ、『桐屋きりや』が揚屋町の何処かにあるって聞いたが何処にあるのか教えてくれよ」

「『桐屋』の場所をって誰か惚れた女でもできたのか?」

「そういう訳じゃない。ただ知りたいだけだよ。どういうのかを好奇心でな」

「好奇心ねぇ。場所を教えてもいいが、これだけは守れよ。知り合いの芸者がそこに入っていても黙っていろよ。芸者としても色恋できるから、こういう仕事ができるんだから」

「わかった」


 お互いに朝飯を食べた。

 そうして酒井と共に揚屋町の散策に出た。

 酒井は真っ直ぐ『桐屋』に行かないで、その辺りの屋台で売る団子を買って食べながら向かう。何でそんな事をしながら行くのか?

 俺にも何気なく団子を勧めた。みたらし団子という団子だ。


「ものを食べながら散策すればただの散歩客に見えるからな。知ってるだろう? 『桐屋』は裏茶屋だから真っ直ぐ行けば何も知らない俺達も疑われるわな」

「そういうことか。結構旨いぞ。これ」


 するとその裏茶屋に風呂敷を頭に被って正体を隠した女性が、辺りを軽く見渡して入っていった。まだ朝の9時頃なのだ。

 そしてその顔を見て俺は驚いた。

 昨日、酒宴の時に共に組んだ芸者衆の1人。萩原はぎわらさんだ。

 啞然とする俺に酒井は突っ込む。


「さっきの女性がどうした?」

「あの人……はぎさん?!」

「声がデカイ。ここから去るぞ、零無レム


 揚屋町の裏通りを歩きながら酒井は説明した。


「ここに来たばかりの零無は知らないの当然だよな。萩さんには情男いろがいるんだ」

情男いろ?」

「恋人って言ったほうがわかりやすいか。しかも客の黒沢くろさわさんだよ」

「黒沢って昨夜、桜華楼に揚がったお客だったような」

「黒沢さんは実は花魁に会いに向かったと見せて実は芸者に会いに来た訳だな」

「なんて皮肉な出会い方だな」

「忍ぶ恋も燃え上がるのが人間って奴さ。桐屋の場所は1軒はわかっただろ? 他の桐屋でもこういう事があるから気をしっかりな」


 その頃。裏茶屋では。


「黒沢さん! 会いたかった!」

「萩さん。私もだよ」


 裏茶屋に敷かれた布団の上で激しく口づけを交わす萩原と黒沢。

 彼らは睦言をささやきつつ激しく体を重ねた。

 芸者とは思えない程に乱れる萩原。

 黒沢も全裸になり本気の情交を交わす。

 

「萩…! 萩…! できるなら君を妻に娶りたい…!」

「嬉しい……! 黒沢さん…!」

「もっと抱いて……黒沢さん」

「萩さん……ここを出て表の世界で共になろう」

「でも……私は吉原芸者……」

「芸者の仕事なら外の盛り場でやればいいじゃないか。吉原に拘らなくとも」

「黒沢さんがそれでは妓楼に追われてしまいます……」

「……何故、この吉原で私達は出逢ってしまったんだろう……?」

「私も……何故、吉原であなたと逢ってしまったのかしら……?」


 ほぼすべての肌を晒したままで2人は無言で最後は抱き合っていた……。

 離れがたい2人の恋路は吉原ではうたかたの恋で終わるのだろうか?


 酒井による裏茶屋の場所案内が終わり、彼らは暇つぶしに花札をしている頃に、扉を叩く音が響く。

 酒井が扉を横に引くと若い衆がそこにいた。

 仕事の依頼かな。

 酒井は思った。


「どうも。酒井さん、零無さん。仕事が入りましたよ」

「今夜かい?」

「明日の正午からです」

「そんな時間に?」

「桜華楼の引手茶屋から宴会の仕事が来たんですよ。そこから更に桜華楼にて宴会です」

「すげぇな。大尽遊びの極みだね」

「そのお大尽の名前は?」

伊勢谷半蔵いせやはんぞうってぇ、大層なお大尽のようでして」

「今夜は少し早く寝て、明日に備えるか」


 と、彼らにまた仕事が入った事で零無の受けた衝撃も和らぐ事になった。

 吉原の夜は、喧騒と共に更けていく。

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