第25話 日常と決意

 汐里はサエジマに対して「まだ答えを出していない」と言った。だからその答えを汐里は見つけようとしているのだが、そんな簡単に見つかるわけもなかった。答えを導き出すための公式があるわけでもないし、こっそりとカンニングができるはずもない。何があっても、どうなっても、これは汐里自身がどうにかしなければいけない問題だった。

 当然のことながら、親に相談できるはずもない。「十歳以上年上の恋人が地元に帰るんだけど、どうすればいいかな」などと夕食を食べている時に切り出したら、もう二度と楽しい夕食を迎えることはないだろう。

 同じく妹の瑠衣にも相談はできない。そもそもが年下である。だが瑠衣に関しては汐里に恋人ができた、と何となくは気づいているはずだ。そういうところは勘が良いんだよね、と汐里は思った。

 それならばやはり頼るべきはあの二人か、と汐里はしばらく一人で悩んだ末にそう結論を出した。サエジマにチョコを渡したバレンタインデーから、丁度一週間が経過した頃だ。


「しおりん、相談があるってどうしたの? 勉強のことだったらちょっと厳しいかなあ」

「まあ、私は想像がついているけど。サエジマさんのことでしょ? ケンカでもしちゃった?」


 汐里は授業を終えた後、鈴と澪を誘って駅前のカフェに立ち寄っていた。店内の奥に位置する席に三人は座っており、内緒話をするには絶好の場所だ。そこで汐里はそれぞれが注文した飲み物がテーブルの上に置かれたところで、「相談があるんだけど」と切り出していた。それに対し、澪はやはり気づいているようだ。


「うん、まあ、澪が半分正解。サエジマさんのことなんだけど……」

「甘い惚気話聞かされそう。鈴、砂糖は入れなくてもいいかも知れないよ」

「了解であります、みおりん隊長」

「ちょっとからかわないでしょ。……真面目な話なんだけどさ」


 そこで汐里は時折、コーヒーを飲みながら二人に一週間前の出来事を話した。最初はにやにやとしながら話を聞いていた鈴も、汐里が話を終える頃にはらしくもなく真面目な表情を浮かべている。澪に関しては腕を組んで、相槌を打つことも無くじっと話を聞いていた。


「……まあ、こんな感じなんだけど。サエジマさんには答えを見つけますとか、偉そうに見栄張っちゃってさ。でも実際は、一人で悩んだ挙句に二人に相談したって訳」


 汐里は自嘲気味にそう漏らしながら、コーヒーを一口飲む。間違いなく自分一人の問題なのに、二人に付き合わせてしまったという申し訳なさが汐里にはあった。だが鈴と澪は真剣に考えてくれているようで、すぐには口を開かない。

 何だか想像よりも重苦しい雰囲気になってしまったな、と汐里が内心で焦り始めた時に鈴が、「しおりんはさ」と切り出した。


「サエジマさんとは別れても仕方がない、とか思っていないんだよね?」

「それは──思ってない。サエジマさんがどう考えているかは分からないけど、私は別れたくはないって考えてる。……こうして口に出すと、私って結構面倒くさい女だな」

「そうなの? しおりん、サエジマさんのこと好きなんでしょ? だったらそう考えるのは当然のことじゃん」

「うーん、まあそうなんだろうけど……」


 汐里はコーヒーを飲み干し、空になったカップを受け皿の上に置く。鈴のあっけらかんとした、ストレートな考えだったらならば汐里もこうまで悩む必要は無いのだろう。鈴が汐里の立場だったならば、「じゃあ私もついていきます!」とサエジマに言っていたかも知れない。

 今まで沈黙を守っていた澪だったが、「汐里も鈴の半分ぐらい簡単に考えることができたらね」と言って、テーブルを挟んで前に座っている汐里を見た。


「でもそれができたら、私たちに相談していないよね。……でもこうして頼ってくれるのは、親友としては嬉しいかな」

「鈴と澪の時間を奪っているけどね。それに結果として、いつだったか私の部屋で話した通りのことになってるし」

「それは気にしなくてもいいよ。できれば、惚気話を聞かされる方が良かったかな……とは思っているけど」

「今からでも良ければ聞かせてあげる」


 汐里がそう言うと、澪は「遠慮しとく」と笑った。それから一息置いて、本題に入る。


「鈴が聞いたけど、汐里はサエジマさんとは別れるつもりはないんだよね。それだったら、遠距離恋愛ってことになるんじゃないのかな」

「うんうん、私もそう思った。それにさ、もう会えなくなるって訳じゃないんでしょ? 例えば夏休みだとか、長い休みの時に会えたりするじゃん」

「確かにそうなんだけど……でも、それがいつまで続くのかなって。私が高校を卒業して、大学に入って、そこも卒業するまで? ……そうなったら、多分サエジマさんの方から別れを切り出してくると思う」

「ええー? 何で? サエジマさんもしおりんのこと大好きなんでしょ?」


 鈴が食い気味に汐里にそう聞くと、「そうなんだけど……」と汐里は頷き、自身の髪の毛先を指先で弄る。自然と出た惚気に気づいた澪は「やっぱりは砂糖いらないか」と呟き、自分のコーヒーをブラックのまま飲んだ。普段はミルクと砂糖を入れているのだが。


「……私はそれでも構わないと思っているけど、サエジマさんは私にそれを重荷にして欲しくはないんだと思う。残りの高校生活、その先の大学……自分のためなのか、それともサエジマさんのためなのか。そうなったらあの人は迷わず自分のために過ごせって言うよ、きっと」

「うーん……そうなってくると、難しい話だね。単純に遠距離恋愛でお互いが納得するのなら、汐里が私たちに相談する必要はないか」

「ちょっとみおりん、それって私たちがしおりんにアドバイスできることなくない? せっかくしおりんが頼ってくれたのに」


 早くも手詰まり状態になってしまったことに、鈴が焦りの声を上げる。それに関しては澪も同意見なのだが、こうなってくるとなかなか良い意見も浮かばない。それに汐里のことを考えると、無責任なことが言えるはずもない。親友である二人を頼ってくれたのだから。

 その最中、頭を悩ませている二人を汐里が交互に見ると、「鈴、澪、ありがとう」とお礼を言ってにこりと笑った。まだ具体的な案を何も出していない二人は、不思議そうに汐里の顔を見る。


「話せただけで、少し楽になった。やっぱり自分のことは、自分で何とかしなきゃいけないよね。……大丈夫、まだ時間はもう少しあるから」

「しおりん、そんなこと言って無茶してない? 伊達に何年も親友やってないよ」

「鈴の言う通りね。汐里ってば肝心なところで自分だけでどうにかしようとするじゃない」


 図星を突かれた汐里はうっ、と言葉に詰まってしまう。とは言えこのままでは、進展なしの堂々巡りだ。三人もそれに気づいているため、同様に難しい顔をしている。

 そこに「ああ、やっぱり高畑さんだった」とどこか嬉しそうな声が聞こえ、三人がほぼ同時にその声がした方を見ると、右手を軽く上げ挨拶をしながら歩み寄ってくる一ノ瀬の姿があった。


「一ノ瀬さん? 何でここに?」

「ここのカフェに立ち寄っただけよ。店の奥の方を見てみたら高畑さんたちがいるから、何をしているのかなと思って。たまには一人で帰ってみるものね」


 と一ノ瀬が言うと、奥のソファの席へと腰掛けた。隣に座ってきた一ノ瀬と少し距離を開けようとするも、一ノ瀬はぴったりと体を寄せている。諦めた汐里は、はぁ、と溜息を吐いた。


「ふふ、それで高畑さんたち三人が集まって何の話をしていたか当ててもいいかしら? ──サエジマさんのこと、でしょ?」

「えっ! 何で一ノ瀬さん、分かるの!? ていうかサエジマさんのこと知ってるの!?」

「汐里、鈴がいるならどっちみち隠すのは無理だったみたい」


 一ノ瀬の言葉に、鈴が弾かれたような反応をした。かまを掛ける以前の問題だ。澪が汐里に言えば、「知ってる」と若干諦めが入った口調で返す。


「ええ、サエジマさんのことは知ってるわ。高畑さんとの関係も。……もう隠そうとする必要なんてないんじゃないかしら?」

「……ま、確かにね。一ノ瀬さんには隠す必要はないか」


 汐里が納得したように頷く。水族館での一件を考えれば、ある意味で鈴と澪よりも汐里の深いところを一ノ瀬は知っていることになる。ハラハラとした様子の鈴を尻目に、汐里は今自分が直面しているサエジマとの問題を話した。一ノ瀬はそれを聞いている最中、質問はせずに汐里の話が終わるのを待っているようだった。


「──こんな感じかな。一ノ瀬さんからしたら、もしかしたらくだらない話題かも知れないけど」

「くだらない? そんなことないよ。もし私が高畑さんと同じ立場でも、同じように悩んでいたんじゃないかしら。……それにしても高畑さん、本当にサエジマさんのことが好きなのね。もう敵わないのかな」


 と一ノ瀬は、羨ましいような悲しいような、そんな何とも言えない表情を見せた。鈴と澪は一ノ瀬のこんな表情を見たのは初めてだったので、思わずその顔を見つめてしまう。それに気づいた一ノ瀬は照れ笑いを見せた後、唇に手を当てて、考え込み始めた。その様子も絵になるので、汐里を含めた三人は思わず見入ってしまう。

 しばらくして考えがまとまったのか、一ノ瀬は唇から手を離す。


「あくまでも、私だったらこうする……って前提なんだけれど……それでもいい?」

「ん、問題無し。聞かせてくれないかな、一ノ瀬さん」


 汐里が頷いたのを見て、一ノ瀬は「あくまでも私なら……」という前置きから、考え付いた助言を汐里に伝えていく。それを伝えるのには大した時間はかからなかった。正直なところ、一ノ瀬は単純なことを汐里に伝えていた。だがそれは同時に難しいことでもあるという矛盾を孕んでおり、鈴と澪は揃って「一ノ瀬の助言を素直に聞かせるべきか」と迷っているようだった。

 しかしながら当の汐里は一ノ瀬の助言を聞き、何かを思いついたようだ。ぶつぶつと何かを呟けば「……後は私の問題か」と零し、隣の一ノ瀬に体を向ける。そして一ノ瀬の手をきゅっと握ると、らしくもなく驚いているその目を見つめながら汐里は言った。


「ありがとう一ノ瀬さん。私なりの答えを出せた」

「そう──役に立てて良かった。……あといきなり手を握られると、結構驚いちゃうのね。初めて知った」


 汐里はそこで「あ、ごめん」と一言言って、一ノ瀬の手から自分の手を離した。気のせいかほんのりと顔が赤くなっている。


「……しおりん、それで行くんだね。私はしおりんが決めたことなら、応援するよ。でも、その……後悔だけはして欲しくないんだ」

「鈴に言いたいこと言われちゃったけど、私も同じ。全力で応援する。でも後悔はしないでね、汐里」


 汐里が本気でそれを考えていることを知れば、鈴と澪は同じことを口にする。汐里は「ありがと」とどこか照れくさそうにお礼を言った。それが汐里らしいと思ったのか、二人は嬉しそうに笑みを浮かべている。一ノ瀬はその様子を見て隣の汐里の腕を肘でつつくと、悪戯っぽく囁きかけた。


「頑張らないとね、高畑さん。私ができるのはここまでだから」

「ん、分かってる。親だとか教師だとかにも、私が考えていることを伝えなくちゃいけないけど。……反対されても、私はもう決めたから。サエジマさんに伝えなきゃいけないこと」


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