第23話 日常とクリスマス

 クリスマスの駅前広場は、いつもよりも賑やかだった。カラオケや居酒屋の客引きはサンタクロースの帽子を被ったりして、少しでも風情を出そうとしているのが分かる。それは店からの指示で、客引きをしている人間はクリスマスなどどうでもいいと思っているのだろうが。

 チェック柄のショートコートを着て、寒さを和らげるためにコートのポケットに手を入れている汐里も以前は同じことを思っていた。手首には綺麗なラッピングが施された袋がぶら下がっている。

 汐里も小さいときはクリスマスになればケーキが食べられたり、プレゼントが貰えたりして楽しみにしていたのだが、中学生に上がったぐらいからはそれほど特別なものだとは思わなくなっていた。もちろん、澪や鈴など友人たちと集まってパーティを開くのは楽しいことなのだが、それはクリスマスにやらなくてもそう感じるはずだ。だから今年のクリスマスも、ただの一日として過ごすはずだった。


「……そろそろかな、サエジマさん」


 汐里はスマホを取り出し、時間を確認すると自然とそう呟いていた。時間は夕方の六時を過ぎており、空は既に暗い。雪は降ってはいないが、この寒さで外で待ち合わせをするのは確実に体が冷えるだろう。汐里もサエジマが指定した時間の少し前になるまでは、駅前の喫茶店で時間を潰していた。時間に遅れるような連絡は届いていないので、もうすぐ来るはずだと汐里はスマホをポケットの中に戻す。傍から見れば待ち合わせ中にしか映らないはずなのだが、サエジマを待っている間に何人かに声をかけられていた。どうでもいいナンパだ。笑えるほど体目当てなのが分かったのでそれに相応しい対応をしたら、明らかに不機嫌になり汐里の前からいなくなったのだが。


(サエジマさんがあんなのだったら、なんて考えたくもないなあ。……そういう話題を振られたこと、公園では一度も無かったな)


 汐里が居心地の良さを感じ、それに惹かれた日常の中にある小さな非日常。もしサエジマがそういうつもりだったのなら、きっとこうなってはいなかっただろうなと汐里は思った。サエジマも早々にあの公園に来なくなっていたに違いないだろう。

 そんなことを考え、思わずふっと白い溜息を吐く。それが合図になった訳ではないだろうが、駅前広場にサエジマがやって来た。クリスマスの今日は休日でもあるのだが、サエジマは仕事が入っていたようで、相変わらずの黒いスーツ姿である。まあサンタクロースだとか、トナカイのコスプレをされて登場しても困るのだが。


「メリークリスマス、サエジマさん。こんな日でも、お仕事お疲れ様です。相変わらず、スーツ姿が良く似合っていますよ」

「や、汐里ちゃん。メリークリスマス。……んー、仕事終わりに汐里ちゃんの皮肉が心に沁みるね。どうにかして休みを取ろうとしたんだけどなあ」


 待ち合わせ場所に現れた矢先、汐里からの労いの言葉を受け取ったサエジマは、やれやれと頭を掻く。仮にサエジマが休みを取れていれば、もっと早い時間から一緒にいれたのかな、と汐里は残念に思うも、忙しい中で時間を作ってくれたサエジマにこれ以上を望むのは勝手が過ぎるのかも知れない。ともすれば、今日サエジマは汐里に会えない可能性もあったはずだ。


「サエジマさんの仕事がお忙しいのは、理解していますから。仕事終わりで疲れているのに、私のために時間を取ってくれたのは、本当に嬉しいです」

「はは、ありがとう。でもちょっと畏まりすぎかもな。午前中から一緒にいたかったです、って言ってくれてもいいんだけど」

「……今日をサエジマさんと少しだけでも過ごせるだけで、私は充分です」


 からかうように言ったサエジマに、汐里は視線を合わせず少し恥ずかし気にそう返した。クリスマスにこんなことを言うところを、去年の汐里が見たら「一体何があったの?」と混乱してしまうだろう。今の汐里ですら、若干ふわふわした気分になっているのだから。


「ん、そっか。──ダメだ、ここだと何だか照れてくるな。とりあえず、移動しようか」

「そうしましょうか。……そうだサエジマさん、途中でケーキでも買って行きますか?」

「ああ、それなら安心してくれ、汐里ちゃん。俺の部屋の冷蔵庫に、ケーキワンホールを用意してあるから。ショートケーキで良かった?」

「それは問題ないんですけど……え、ワンホール? 二人で食べきれませんよね?」

「その時はその時さ。まあ、正直に言うと余っていたのがそれしかなくてさ……」


 そんな会話をしながら、クリスマスの夜──というにはあまり代わり映えのしない駅前広場から、サエジマが部屋を借りているマンションへと二人は向かう。

 その道中で以前まではクリスマスをどうやって過ごしていたか、汐里の冬休み中の予定、サエジマは正月には地元に戻らずここで過ごすことなどを話した。その最中、澪との会話を思い出し、そこで話したことをサエジマに言おうと思った。だがまだ、汐里の中でその結論は出ていない。ならまだ言うべきじゃないかな、と汐里はそれを口にはしなかった。

 マンションに着き、エレベーターに乗り三階へと上がり、その三階の一番奥の部屋へと二人は入って行く。隣の部屋はまだ無人のようで、汐里はほっとする。

 部屋の中に入り、明かりと暖房を入れたサエジマはスーツの上着を脱ぎ、ネクタイも外すとそれらをハンガーにかけた。汐里もショートコートを脱ごうとしたところで、サエジマが汐里の後ろに回り、そっとコートを脱がすのを手伝った。汐里は顔だけ振り向くと、サエジマを見上げる。


「案外手を出すの早いな、って思っちゃいました」

「人聞きの悪いことを言うね。ま、俺と汐里ちゃんの二人しかいないんだけど」


 サエジマは苦笑し、汐里のショートコートをハンガーにかけ、ラックに吊るした。それからサエジマは冷蔵庫を開けると、ここに来る前に買ったと言っていたケーキを取り出した。それを部屋の中央に設置してある丸テーブルの上に置くと、カバーを外してシンプルながらも間違いなく美味しいであろう、ショートケーキが姿を現す。しかし、さすがに二人でこの量は多すぎるのは確かだ。


「美味しそうですね。……できるだけ食べますよ。今日ぐらいは、まあ、気にしないでおきます」

「いや、無理しないでもいいよ、汐里ちゃん。残ったら俺が食べるから。冷蔵庫に入れておけば、しばらくは大丈夫だろ。あ、飲み物は、オレンジジュースで良い?」


 サエジマがそう聞くと、汐里は「はい」と頷いた。冷蔵庫から紙パックのオレンジジュース、それとコップと自分が飲む缶コーヒーを取り出し、それもテーブルの上に置く。プラスチックのフォークを二本、それとケーキを取り分ける小皿も用意した。汐里はサエジマからコップにオレンジジュースを注いでもらいながら、あることに気づく。


「お酒は飲まないんですか? 私に気を遣う必要とか無いですよ」

「いや、実は酒にあまり強くないんだ。すぐ顔に出ちゃうからね、俺は。汐里ちゃんの前で酔っぱらうのはさすがにな」


 サエジマは「昔から弱いままでね」と笑う。汐里はふうん、と頷くも、その酒に弱いサエジマを見れないのは残念だなと思った。いつもとまるで違うこの人が見れたかも知れないのに、と汐里は備え付けられていたプラスチックのナイフでケーキを切り分け、自分とサエジマの皿の上に乗せた。とりあえずはこれで、簡素ではあるがクリスマスの様相にはなっただろう。


「それじゃ、乾杯でもしようか。本当なら洒落たレストランだとかに連れて行きたかったんだけどね」

「ですから、気を遣う必要なんてありませんよ。そもそもそんなところに連れて行ったら、怪しまれますって。私一度もそういう所に行ったことないですし」


 実際、汐里はそういった所ではなくこうして二人になれる場所でゆっくりとする方が良かった。それにサエジマはきっと自分の分まで、お金を出すだろう。それを考えると、料理を食べてもまったく味を楽しめなさそうだ。

 汐里はコップを手に持ち、サエジマが掲げた缶と軽く合わせ、乾杯を行った。大人だったらお酒で乾杯できたんだけどな、と若干尾を引く考えをしながら、オレンジジュースを一口飲む。それからショートケーキに手を付けた。クリームの甘さと苺のすっぱさがなかなか上手くマッチしている。


「このケーキ、どこで買ったんですか?」

「駅前から少し歩いたところにあるケーキ屋。まあ売り切れだろうなと思って寄ったら、急にキャンセルが出たみたいでさ。即決で買ったよ」

「ああ、あそこですね。昔から人気の店ですよ」


 そんな会話をしながらサエジマもショートケーキを食べると、満足気に頷く。暖房で暖かくなってきた部屋の中、二人はケーキを食べながら何てことのない雑談を交わしていく。それだけ見ればいつもの公園から、サエジマの部屋に場所が変わっただけである。

 サエジマが切り分けられたケーキを食べ終えたところでおもむろに立ち上がると、クローゼットの方へ向かい、何かを取り出した。汐里が「何か探しているんですか?」と聞くもサエジマはそれに答えず、その何かを手に持って戻ってくると、それを汐里に差し出した。


「あの、これって……」

「ささやかながら、クリスマスプレゼント」


 立ち上がった汐里は戸惑いながらも、差し出されたその小さな黒い箱を受け取る。それを開けてもいいものかどうか、箱とサエジマを交互に見た。こくりとサエジマが頷き、汐里は箱の蓋をそっと開ける。汐里の目に入ったのは、まばゆい銀色のイヤーカフだった。それは派手な装飾はされていないものの、シンプルなデザインがむしろ汐里を見惚れさせた。サエジマは声を出さない汐里を見てプレゼント選びを失敗したと思ったのか、らしくもなく焦っているような表情を浮かべていた。


「汐里ちゃんピアスはしていなかったから、そのイヤーカフにしてみたんだけど。取り外しも簡単だから。……いや、女子高生とのセンスの相違があるのはもちろん分かっているけど──」

「いいんですか? こんなのを貰っても……その、高かったですよね?」

「んー、まあちょっと見栄を張ったのは認める」


 でもそこまでではないよ、とサエジマは汐里を不安がらせないようにそう付け加えた。汐里は箱の蓋をそっと閉めて、テーブルの上にゆっくりと置いた。

 汐里は自分が持ってきて、テーブルの下に忍ばせておいた袋の中からやや縦長の箱を取り出す。それは汐里がサエジマに用意したクリスマスプレゼントなのだが、こんな綺麗な物の後にこれを渡してもサエジマは喜んでくれるのだろうかと、急に不安になってしまった。

 だが渡さなければ先は始まらない。汐里は意を決してサエジマにそれを手渡した。


「あの、これ──私からです。……開けてみてください」

「汐里ちゃんから?」


 その箱を受け取ったサエジマは、汐里が促すままに蓋を開けて中身を確認した。その箱の中にはストライプ柄のネクタイが入っている。ストライプの幅はやや細めで、ビジネス用のネクタイとしてはまず間違いない物だろう。汐里はサエジマの靴のサイズは知らなかったし、私服も選ぶには好みが多すぎた。だから汐里なりに調べてこのネクタイを購入したのだが、こうして面と向かって渡してみると、本当にこれで良かったのかと自信が無くなりそうになる。

 サエジマはそんな汐里の不安を見抜いていたのもあるが、単純に嬉しかったのだろう。笑みを浮かべ「ありがとう汐里ちゃん、大切に使うよ」と優しい声で伝えれば、汐里の頭をくしゃくしゃと撫でた。セットした髪が乱れてしまうも、汐里はそんなことは気にならないのか、「子供扱いしすぎです」と言いながらも嬉しそうに微笑んでいる。


「これ、汐里ちゃんが選んだの? 俺よりもセンス良いな。うん、毎日つけるよ」

「ちゃんと洗ってください、そこは。……あの、サエジマさん。実はもうひとつ、プレゼントがありまして」

「本当に? 汐里ちゃん、無理しすぎじゃないか?」

「いえ、もうひとつの方は別に無理なんてしていないというか……それでちょっと準備が必要で。十分ほど、隣の部屋に行ってもらってもいいでしょうか? ドアは閉めて、こちらを見れないようにしてください」

「……? ん、分かった。何かそんな昔話あったな」


 汐里は「準備が終わったら呼びます」と、寝室にしている部屋に入ったサエジマに伝えた。サエジマは言われたとおりにドアを閉めて、向こうの部屋の様子が分からないようにした。ドアに耳を近づけたり、ほんの少しだけ隙間を開けて覗いてみる……というのもできたのだが、そこで汐里を裏切るのも嫌だな、と考えたサエジマはドアの方から視線を外し、律儀にそちら側の情報をシャットアウトした。しかしながらどうしても音は聞こえてくる。


(……着替えてるのか?)


 サエジマがそう考えていると、ドアの向こう側から「お待たせしました、もういいですよ」と汐里が呼ぶ。ドアを開けて、リビングへ戻ったサエジマを汐里が出迎えたのだが──目に映った汐里の服装が、ついさっきまでとはまるで違っていた。

 汐里は着ていた服から着替えているのだが、下が赤と白の非常に丈が短いミニスカートを穿いており、太腿が非常に目立つ。上はスポーツブラに見えるが肩にかかる部分が無く、後ろのホックのみで止めるタイプのようだ。当然汐里の健康的に引き締まったウエストは露になっており、胸の谷間もはっきりと見えている。むしろそれを強調する作りだろう。

 さすがに驚いているサエジマに汐里は歩み寄ると目の前で立ち止まり、「……好みではなかったですか?」と上目づかいで見上げた。サエジマが汐里の視線を受け止めれば、必然的に見下ろすことになるので、その体を見つめることになる。


「好みかどうかで聞かれたら……まあ、好き、かな。でもその格好でうろつくのは……」

「さっき言ったじゃないですか。もうひとつプレゼントがあるって」

「……そのためにこの格好を?」

「これ買うの、結構恥ずかしかったんですよ」


 汐里がそう囁けば、サエジマの体を寝室の方へと押しやっていく。大した力を込められていないが、サエジマの足は後ろへとよたよた進んでいく。そしてベッドに足が当たると、サエジマが背中からベッドに倒れ、仰向けになった。汐里はそのサエジマの腹の上辺りに脚を広げ跨ると、両手をサエジマの胸につける。胸板の厚さを確かめるようにして撫で回すと、汐里は「結構、鍛えているんですね」と笑った。その笑みには、いつもの汐里には見られない熱というか、艶っぽさがあった。


「運動はしているから。……プレゼントは、そういうことかな?」

「わざわざ確認を取るなんて、いやらしいですね。私の口から言わせたいんですか? ありふれているかも知れませんが、嫌いじゃないでしょう?」

「そりゃあね」


 サエジマはそう呟き、右手を伸ばす。その手の指先が汐里の胸の谷間にかかれば、丁度ブラにも指先が引っかかっている。それに少し力を入れてずり下げれば、汐里の胸は露になるだろう。汐里はその様子をじっと見つめていた。嫌がる様子はまったく見られない。

 だがサエジマが何かを待っているのかに気づくと、サエジマの胸に当てていた手を動かし、彼の頬を愛おしむように撫でた。「言わせたいんですね」と汐里はクス、と笑う。


「もうひとつのプレゼントは、私なんですから……サエジマさんの好きなようにしてください。それこそ、気の済むまで」

「それは俺が? それとも汐里ちゃんが?」

「さあ、どうでしょう。……気になるなら、確かめてください」


 汐里がサエジマの上で体を動かすと、ベッドが緩く軋む。これはともすれば最高のプレゼントなのだろうが、サエジマはふと思った。


(……午前中からじゃどう考えても持たなかったな)


 汐里にとってもサエジマにとっても、今日のクリスマスは間違いなく今までのクリスマスの中で一番甘いだろう。

 食べたケーキも、こうして過ごしている時間も。

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