第22話 日常と冬休み

 季節は既に十二月の三週目に入っていた。汐里は心配していたし、もしくはされていた期末テストを期間が短いながらも、集中的に勉強してそれが功を奏したのか、中間テストよりも上の順位を取ることに成功した。自分でも効果的に勉強ができたと思ったのだが、それはサエジマの存在が大きいだろう。彼と会いたいから、なんて理由で必死に勉強をするなど一昔前の恋愛漫画や恋愛小説でもなかなか見つけられない。だけど効果はあるんだな、と汐里はそれを実感したのだが。

 勉強に集中している間はサエジマに連絡をし、公園にも行かないことにしていた。だから期末テストを終えて、久しぶりに公園でサエジマと会った際には、そんなことをするつもりは無かったのだが、ついつい甘えてしまった。もし犬のように尻尾が生えていたら、ぶんぶんと振っていたのだろうなと汐里はその時のことを思い出す。……その後、サエジマの部屋に自分からついていき、そこでは公園ではとてもできないような甘え方をしてしまったのだが。最初よりも一方的じゃなかったはず、と汐里は思い返そうとするも、変な気分になってきてしまうので、汐里はそれを止めた。

 自室のベッドの上で汐里は制服姿のままうつ伏せになり、枕に顔を埋めていたがごろんと寝返りを打ち、仰向けに体勢を変えると天井を見上げた。時刻はまだ昼過ぎなのだが、通っている高校が今日で二学期の終業式で、午前中のみだった。明日から冬休みに入ることになっている。


(とは言え、冬休み中の課題もそこそこ出ているんだけど)


 汐里がはあ、と気だるげに溜息を吐いたところで一階からインターホンの音が聞こえてきた。父親は仕事、母親はパート、妹の瑠衣は今日が同じく終業式だったのだが、家に帰るなりすぐさま出かけてしまい、汐里一人しか家にいない。ベッドから降りて一階に向かい、玄関のドアを開けた汐里は、そこにいた良く見知った二人の顔を見て「あれ? 何で?」と驚いてしまった。


「やあやあ、しおりん。お邪魔させてもらおうかな」

「汐里、メッセージ送ったの気づいてなかったでしょ? 家にいるかなと思って、勝手に来ちゃった。驚いてくれたようで何より」

「え? メッセージって……」


 玄関に入って来た鈴と澪。汐里がスマホを取り出して確認してみると、確かに澪からのメッセージが届いていた。「汐里の家にお邪魔してもいい?」という内容だったが、物思いに耽っていた汐里はそれが届いていたことに気づかなかった。


「ああ、これか。気づかなかったな……まあ今は家に私以外いないし、上がっていいよ」

「じゃあしおりんの部屋だね。お菓子とジュース買ってきたから、女子会でも開きますか」

「鈴、それもいいけど汐里の家に来たのは、三人で課題をやるためでしょ。早い段階でやっておかないと。鈴はどうせギリギリまでやらないんだろうし」


 靴を脱ぎ、汐里の家に上がる鈴と澪。二人とも制服姿のままだ。終業式が終わった後、三人で途中まで一緒に帰ったが、その時は汐里の家で冬休みの課題を、という話題は出てこなかった。恐らく別れた後に、どちらかが提案したのだろう。

 部屋に鈴と澪を招き入れ、部屋の中心にある小さなテーブルに鈴はお菓子とジュースが入ったコンビニの袋をどさりと置いた。その顔はにこにこと活発な笑顔を浮かべている。


「さてまずは、課題の前に女子会だね! 話題はそうだなあ……あ、しおりんとサエジマさんの──」

「鈴?」


 その汐里の声は低く、冷たい。鈴はびくっと肩を震わせると、鋭く睨みを利かせている汐里の視線に気づき、「えへへ……」と可愛らしく笑って見せながら、テーブルの上に置いたコンビニの袋をカーペットが敷かれた床の上に移動させる。澪ははあ、と溜息を吐きながら、持ってきた鞄から冬休みの課題であるプリント類を取り出した。


「汐里の家に来たのは課題を三人で取り掛かるのが半分、もう半分は今聞いての通り。鈴が気にして仕方がないから……」

「あ! ずるい、私だけのせいにした! みおりんだって興味あるくせに!」


 澪を指差し、抗議を始めた鈴。「でも汐里の家に行こうって言ったのは鈴じゃない?」と澪は笑って見せた。鈴の取り合い方については、汐里よりも澪の方が上手だ。ううー……と言葉に詰まる鈴も、課題のプリントを鞄から出し、テーブルの上にばさりと置く。反論しないのは事実だから、ということだろう。


「別に期待されるほど面白いような話でもないと思うけどな。とりあえず、数学から始めて行こうか」


 汐里は二人の様子にやれやれと思いながら、まず取り掛かる課題を決めた。さすがに今日中に全て終わらせるのは不可能だが、早い段階で終わらせることができる足掛かりをここで掴めれば後が楽になるだろう。

 始めてからしばらくは何だかんだ三人共集中し、効率的に課題を進めていくことができた。だが集中力というものはどうしても切れていくもので、その上、気になることを内に秘めたままでは余計にその集中が失われてくのも早い。

 鈴はちらちらと汐里に視線を向けていた。汐里はスムーズにプリントの上を走らせていたシャープペンの動きを止めると、鈴を横目に見る。


「トイレだったら私に確認取らないでも、自由に行っていいけど」

「いや、そうじゃなくてねしおりん。どうしても──どうしても、聞きたいことがあって」

「……サエジマさんとのこと?」


 呆れ気味に汐里が確認をすると、鈴はこくこくと首を縦に振った。やはり興味を抑えることができないらしい。シャープペンを一度テーブルに置き、頬杖をついた汐里は「そんな特別な話はないけど」と鈴に改めて確認を取る。


「あ、ありがとう、しおりん。じゃあ聞くけど……ほら、しおりんってさ、サエジマさんとキスしたって言ったじゃん? つまりはその……え、エッチなこともしたのかなって」

「中学一年生みたいな質問をするね、鈴……」


 鈴はその質問を汐里にぶつけ、ドキドキしているのか顔が赤くなっている。二人の様子を見ていた澪は鈴の質問の内容に思わず突っ込んでしまっていた。だが正直なところ、それについては澪も興味があったので、鈴を咎めるようなことは言えなかった。

 頬杖をついている汐里は、表情をそのままにしている。だがもう片方の手が髪の毛の毛先を弄っていることに澪が気づくと、「ちょっと動揺しているな」と今の汐里の状態を察する。一ノ瀬だけではなく、澪もこの癖には気づいていた。

 汐里は返答を待っている鈴にちらりと視線を送ってから、小さく唇を動かした。


「……したよ」

「しおりん、それはどちらから……?」

「私から。サエジマさんを半ば押し倒して、キスした。……その後は、サエジマさんに主導権握られたけど」

「へ、へえ……そうなんですか……」


 鈴は思わず敬語になってしまい、「しおりんが手の届かないところに……」と呟きながら真っ赤になった自分の頬を掌でむにむにと揉んでいた。二人の話を聞いていた澪は鈴とは違い顔も赤くせず、至って冷静に見える。その澪は、汐里の顔をひょい、と覗きこんだ。


「じゃあ汐里ももう、処女じゃないんだね」

「あのさ、そんなこといちいち確認しなくても……」


 と汐里が思わず声を大きくしてしまいそうになった時、ある違和感を今の澪の言葉に感じた。それは恐らく勘違いではないはずだと、汐里は確かめる。


「ねえ、今汐里『も』って言わなかった? 私の気のせいじゃなければ」

「うん、言ったよ。今だから言うけど私、一年生の時に今は卒業した当時の三年生の先輩と付き合っていたんだ。もう別れてるけど。二人には内緒にしていたの」

「……一体何を信用すればいいんだ」


 澪の突然の告白に、鈴の頭の中はオーバーヒート寸前のようだ。汐里はコンビニの袋の中を漁ると、お茶が入ったペットボトルを取り出し、鈴に手渡す。キャップを開けて唇をつけた鈴は、中身を半分ほど飲んだところで、ペットボトルを勢いよくテーブルの上に叩きつけた。


「けしからん! しおりんもみおりんも男だ恋愛だと! 学生の本分は勉強なんだよ!」

「鈴が言うと説得力に欠けるなあ」


 汐里は思わずそう言ってしまうと、澪も「確かに」と同意した。鈴は「確かにテストの点数は私が一番低いけどさあ!」とやけくそ気味に声を荒げ、さすがにまずいと思ったのか汐里と澪はまあまあと鈴を落ち着かせた。鈴が「どうせ私なんて……」とぶつぶつ呟き、汐里が子供をあやすときのように頭を撫でている。


「あはは……あのさ、こんな流れになっちゃったけど、私も汐里に聞きたいことがあるんだ」

「鈴に続いて澪も? ……これ以上詳しく聞かれると、サエジマさんに顔向けできなくなっちゃうんだけど」

「うーん、そういう内容じゃなくてね。……汐里はサエジマさんと、これからどうしたいのかなって思って。ねえ汐里、サエジマさんはいつまでここにいるの?」


 澪はある意味では、鈴よりもずっと突っ込んだ質問をした。汐里は鈴の頭を撫でていた手を戻し、テーブルの上に置いてあるシャープペンを手に取った。それを指先で綺麗にくるん、とお手本のようなペン回しをしながら、澪を横目に見た。


「春までには地元に戻るって言ってた。多分、三月の終わり頃には向こうに帰ると思う。……で? それが澪に何の関係がある訳?」

「汐里、私は別に怒らせたくて聞いた訳じゃないよ。……ううん、むしろ汐里のことを考えて聞いてみたんだ」


 汐里の声ははっきりとは怒気を孕んではいない。だがその兆候はある。澪はそれに気づき、汐里を落ち着かせるように穏やかな口調でそう言った。それを聞き、汐里はついかっとなりかけた頭を冷静に戻すと「ごめん、澪。短絡的だった」と申し訳なさそうに呟く。


「気にしなくてもいいよ、汐里。今のでどれだけサエジマさんのことが好きかっていうのも分かったし。……だから、心配なんだ。サエジマさんが地元に戻ったら、遠距離恋愛ってことになるでしょ? でもそれは、きっと簡単じゃないよ」

「もしかして、みおりん……」


 横から何かを察した鈴が、澪をじっと見ている。自嘲気味に苦笑した澪は「そういうことね」と頷いた。


「先輩は県外の大学に進学したんだけど、その時に別れたんだ。私は遠距離恋愛でもよかったんだけど、先輩に『好きでいられる自信がない』って言われちゃって。私もそれで冷めたっていうか、現実を見た気分になったんだ」

「……澪、自分が経験した辛いことを話してくれるのは、凄い勇気がいることだと思う。それを話した澪は、私のことを本気で心配してくれているって感じた。でも、私は……」


 汐里は澪があまり思い出したくないであろう昔の経験を話してくれてまで、自分を心配してくれていることには感謝していた。だが汐里はそれでもと、サエジマとの関係を続けたいことを伝えようとした。そこで澪は「ううん」と首を横に振る。そこに込められた意味は、恐らく否定ということではないだろう


「それだけが選択肢じゃないってことよ、汐里。サエジマさんを想い続けるか、それを諦めてしまうか、それ以外の何かを見つけるか……。でもそれを決めるのは汐里だから」

「……澪はサエジマさんがいなくなって、残り一年しかない高校生活を縛られて生きる私を見たくはないってことか」

「あるいは、そうかも知れないね。汐里が辛そうにしているのは、見たくはないから。……友達だもの。心配くらいはさせてよ」


 澪のその言葉の最後の方は、声が少し震えていた。中学時代からの友人を心配させてしまっている自分に、汐里は何だか情けなくなった。確かにサエジマのへの想いを自覚してからの自分は不安定だったけど、と汐里は思う。

 何だか妙な雰囲気になってしまった汐里の部屋の中に、「大丈夫っしょ!」と鈴の元気な声が響いた。突然の声に、汐里と澪は驚いて体をびくっとさせてしまう。


「サエジマさん、まだこっちにいるんだよね? じゃあそれまでに考えればいいって! しおりんなら大丈夫!」

「……はー、鈴のことが羨ましくなる時があるな」


 鈴の言葉は根拠が無いが、妙に自信に満ち溢れていた。汐里はその真っすぐさを持ち前にしている鈴に、あるいは羨望、あるいは呆れた眼差しを向けながらそう口にする。澪も「それについては同感」と笑って見せた。


「んん? 私、褒められてるの?」

「少なくとも馬鹿にはしていない。……とりあえず、課題進めようか。思ったよりも手を止めちゃったし」


 汐里は次のプリントを用意する。鈴は「もうちょっと女子トークしようよー」と課題から逃れようと声を上げていたが、汐里と鈴には勝てずにその後はひたすら課題に取り掛かる時間となっていった。





 時刻は夕方を回り、汐里の母親がパートから帰宅してきたところで、澪と鈴は勉強会と女子会もどきを終えて、汐里の家から帰るところだった。母親は「もう少しいてもいいのよ」と言っていたが、鈴が「これ以上は寝てしまう」と半ば落ちかけながらギブアップしたのでここまでにしておいた。それなりに課題は進んだので後は個人で問題ないだろう。


「じゃあね、しおりん。……あ、そうだ。クリスマスはどうする? みんなでどっか遊びに行く?」

「鈴、それは無理でしょ」


 玄関で靴を履き、家から出ていく前に鈴が見送ろうとしていた汐里に聞いた。だが澪はきっぱりとそれを否定する。訝し気に「何で?」と問いかけた鈴だったが、すぐに自分で答えを出したのか、納得したように頷くと、汐里にうふふと笑いかけた。その笑みに何かが含まれているのを感じた汐里は、ぴく、と口端を動かすが、鈴はその何かを含んだ笑みをそのままにして、玄関から出ていく。

 澪は汐里に近づいて「ねえ、汐里」と言いながら肩をぽんと叩いた。そして一言。


「ほどほどにね」

「……色々と忠告、ありがとう」


 汐里の言葉を聞き、澪がぷっと噴き出した。そして「お邪魔しました」と伝え、玄関から出ていき、ドアを閉めた。汐里は鈴と澪の二人を見送ると、はあ、と息を吐く。この疲労感は課題に取り組んだだけじゃないな、と汐里は思いながら、自分の部屋に戻ろうとした。


「あ、汐里。あんた今日は家で食べるのよね?」

「ん、そうだよ」

「明日から冬休みよね? クリスマスイブに、クリスマスとあるんだから彼氏でも作ればいいんじゃないの? もう高三になるんだし」

「そんなすぐできるわけないじゃん」


 階段を上っている最中、母親と簡単な会話をする。正直、ドキっとしてしまったが汐里はそこをどうでもよさそうに言って、自分の部屋へと戻る。

 汐里は部屋の中を軽く片付けた後に、勉強や読書をしているときに使用している机の引き出しを開けた。ごそごそと手を動かし、その引き出しの奥から取り出したのは綺麗にラッピングが施された袋だ。膨らみを見れば、その中には明らかにクリスマスプレゼントとして用意された何かが入っていることが分かる。

 それはサエジマに対し、汐里が用意した物だ。勿論これはサエジマには内緒にしてある。

 サエジマはクリスマスイブ、クリスマス共に仕事が入ってしまっていた。両日共、というのはさすがに我がままが過ぎると思い、汐里はクリスマスだけサエジマの家に夕方から行くことになっており、これはその時に渡すつもりだった。

 汐里はどちらか一日、その少しだけでも一緒に過ごせればそれで良かった。だが澪の言葉を思い返し、サエジマがいつまでもここにいることはないと実感して、少しでも一緒にいたいと思うようになってしまっていた。それこそ、サエジマの事情を考えない自分本位の考えだ、と汐里は分かっていながらも、そう思っていた。

 近い内に、答えを出さなくてはいけないのだろう。どんな形であれ、それは必ず必要になってくる。汐里はサエジマに渡すプレゼントを机の中に戻すと、椅子に腰かけた。


「ほどほどにね、か……」


 汐里は澪から忠告、あるいはからかわれた言葉を口に出した。自室なので誰にも見られていないのをいいことに、大胆に脚を組む。

 そして汐里はぽつりと漏らした。


「……自信ないなあ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る