第16話 日常とデート

 日曜日の午前中の駅前は快晴ということもあり、それなりに人通りが多い。平日の通勤通学の時間帯に比べれば見劣りはするだろうが、それでも友人や知人に遭遇する可能性は否定できない。こんな心配をしてしまうぐらいだったら、もっと目立たない場所で待ち合わせをした方が良かったかな、と汐里は考えてしまう。待ち合わせ時間は午前十時ということでサエジマとはあの後の連絡の中で約束したのだが、汐里はそれよりも四十分早く待ち合わせ場所の駅前広場にいた。

 汐里は服装についてあれやこれやと考えたのだが、結局、鈴と澪と遊びに行くときの格好で行くことにした。冒険をしてみようかとも考えたが、着慣れた服で無難にまとめることに決めたのだ。

 白いゆったり気味のパーカーに白シャツをレイヤードしており、下はスキニージーンズにスニーカーとカジュアルにまとめられている。それが汐里の雰囲気に合っており、時折道行く男性たちが汐里に視線を向けていた。しかし汐里はその視線に気づかないぐらい、頭の中で考えを巡らせている。


(……さすがに来るの早すぎたかな? いやでも時間ギリギリに来てサエジマさんが待っていたら、年上のサエジマさんに対して失礼な気がする。……ていうか、服装これで良かったのかな? 朝の五時半に目を覚まして化粧とか色々準備してたら、瑠衣から怪しい目で見られたし……鈴と澪と遊びに行くって嘘ついちゃったけど、多分バレてるよね。何か上手い言い訳を考えないと)


 汐里は落ち着かない様子でとんとんとん、と踵で地面を叩いていた。両手はパーカーのポケットに入れていて、右手はその中でスマホをぎゅっと握っている。そもそも急用が入り、サエジマが来れなくなる可能性もゼロではない。そうなってしまったら、今日一日を一体どう過ごせばいいのか、と汐里の思考は泥沼のように深くなっていく。

 沈みそうになっている汐里を引き上げたのは、「あれ? 参ったな、三十分前じゃ遅かったかな?」という男の声。俯き気味になっていた顔を上げて、声がした方を見ると、そこにはサエジマの姿があった。歩み寄ってくるサエジマに抱いていた不安は吹き飛んだようで、汐里はほっとしたのか、笑顔で出迎えていた。


「ギリギリになるのが嫌だったから、三十分前には来たんだけど。ごめん汐里ちゃん、もしかしたら結構待った? この前も言われたばかりなのに、年下の子を待たせることになるとは……」

「いえ、私もついさっき来たばかりです。私から誘った手前、サエジマさんを待たせるのもどうかと思っただけです」

「律儀だな、汐里ちゃんは。しっかりしているよ、本当」

「年下の女の子を待たせる人よりは、ですか?」


 汐里が少し意地悪く言って横のサエジマを流し目で見れば、サエジマは「うーん、言い返せない」と苦笑いを浮かべ、頭を掻いていた。そういえば黒いスーツ姿しか見たことがなかったので、私服のサエジマを見るのは初めてだなと汐里は思った。

 上にはチェックのブルゾンを着ており、その下にはタートルネックセーターが見えた。黒のスキニーパンツに、歩くことを想定してなのか汐里と同じくスニーカーである。汐里はサエジマの姿をじっと見ていたので、自分の格好を改めて確認するように足元まで目を通したサエジマは、「何かいけなかったかな?」と腕を組む。


「いえ……サエジマさんの私服姿を見たのが初めてだったので、つい。いつもあの黒いスーツ姿しか見たことがありませんから」

「ははは、確かに。俺も汐里ちゃんが制服以外を着ているところは、初めて見たかな。うん、似合ってるよ。汐里ちゃんの雰囲気にピッタリだ」

「お上手ですね、サエジマさん。ま、制服姿でデート……っていうのもちらっとは考えたんですけど」

「いやいや、制服姿はさすがにまずいよ。怪しい目で見られてしまう」


 サエジマの言葉はもっともだ。汐里もさすがに制服はダメだろうと思ったので、着ては来なかったのだが。とは言え、少なからずニーズはある。制服姿と今の私服姿、どちらが好みかサエジマに聞いてみようかとも考えたが、それはサエジマを困らせてしまう質問になってしまうと思ったので、汐里はそれを口に出さなかった。


「さてと、じゃあそろそろ行こうか。俺も汐里ちゃんが言ってた水族館を調べてみたけど、この駅からそう遠くはないみたいだね」

「はい。最寄りの駅からも水族館行きのバスも出ていますから、交通的には便利ですよ」


 汐里とサエジマは駅の構内へと入り、改札を通って水族館の最寄りの駅を通る電車を、少しの間ホームで待った。電車が来るまでの間、汐里の学校でのことやサエジマの仕事のことで雑談をしていた。その最中、汐里はサエジマの顔を見つめた。


(顔で選んだっていうか、それで好きになった訳じゃないけど……参ったな、かっこいいなサエジマさん。年上の人とデートっていう非日常な感じが、余計にそう見させているのかな。……サエジマさんには、私はどう映っているんだろう)


 そんなことを考えていたらさすがにサエジマに顔をじっと見ているのが気づかれたようで、「顔に何かついてる?」と訝しそうにサエジマが首を傾げた。


「いえ、その……そういえばこの前、鈴が言ってましたよ。サエジマさんのこと、イケメンだったって」

「鈴ちゃんって、汐里ちゃんの友達の子か。そりゃ嬉しくなる言葉だな。女子高生にイケメンなんて言われるのは」


 サエジマはくっくっと押し殺したように笑う。本気で喜んでいるというよりは、冗談めかしたような笑いだ。まあ本気で喜ばれても反応に困ったけど、と汐里は思う。

 電車がホームにやってくると、汐里とサエジマはその電車に乗り込む。近くの座席に二人は座るが、他にも当然乗客はいるので席は埋まっていく。丁度乗り込む乗客も多かったようで席も埋まり、隣同士で座った汐里とサエジマの距離は、必然的に近いものになった。いつもの公園はベンチとベンチの間に多少の距離があるため、特に意識することはなかったのだが、今日に関してはサエジマがすぐ隣にいる。電車が動き出したところで、サエジマが汐里に言った。電車内なので、やや小声だ。


「俺の地元、こっちよりは田舎だからこんなにすぐ電車来ないんだよ。だから一本電車を逃すとかなりのタイムロスだから、時間ギリギリになるとみんな走ってさ……」


 汐里の知らないサエジマの地元の話だ。汐里にとっては興味のある話なのだが、サエジマとの距離が近いため、そのことに意識が行ってしまいなかなか頭に入ってこない。「そうなんですね」と相槌を打つも、もっと上手いことは言えないのかと、自分自身に叱責を入れてしまいそうだ。


「そういえばサエジマさんの地元、雪が多く降るんですよね? その雪で電車も止まったりすることがあるんですか?」

「んー、多く降るとは言っても、他の地域ほどじゃなかったかな。それでも雪のせいで電車が止まるっていうのは、冬の間では何度かあるね」

「冬の間の通勤は大変じゃないですか?」

「まあ確かに大変だけど、こっちは通勤通学の時間帯が俺の地元よりもずっと混雑しているな。むしろこっちの人たちは平気なのかなって思うよ。未だに慣れないし」


 サエジマがやれやれと言ったとき、電車がカーブに差し掛かった。その際に曲がる方向へ遠心力がかかり、汐里は思わずサエジマの方へ寄りかかってしまった。そんなつもりはまったくなかったのだが、サエジマの腕に汐里の胸が押し付けられるような格好となり、汐里は慌てて体を離した。肝心のサエジマはと言えば「大丈夫? 汐里ちゃん」と小さく声をかけるが、汐里のように慌てた様子は見られない。


「は、はい。あの、すいませんサエジマさん。何だか誤解されるようなことを……」

「ああ、大丈夫だよ。一瞬、汐里ちゃんって大胆だな、とか思ったけど」


 サエジマのその言葉に「私がですか?」と汐里は思わず聞き返してしまう。サエジマはこくりと頷いた。


「前に公園で、俺の手を取りながらメイドの真似したことあっただろ? まあ、今のは事故だろうけど、案外大胆なのかなってその時に思ってさ」

「あれは、その……忘れてもらえると助かります」

「それはちょっと難しいかな。あの時の汐里ちゃん、可愛かったから」


 事も何気にサエジマは呟く。汐里は言葉に詰まり、せめてもの抵抗として隣に座るサエジマをじろりと睨みつけた。だが効果は薄いようで、「降りる駅までどれぐらいかかるかな?」と汐里に聞いていた。黒髪を指先で弄りながら、「そこまでかかりませんよ」と曖昧な返事を返す。汐里は無自覚だが、毛先を指先で弄るのは汐里が困ったときや落ち着こうとしている時に行っている癖で、まだ水族館にすら到着していないのにペースを握られている自分を落ち着かせようとしているのだ。


(こんなすぐ近くにいるのに、可愛いなんて言わないでよサエジマさん。……ああもう、ちょっと顔熱くなってきた)


 汐里はぺたりと自分の頬に手を当てて、確認をしてみる。ほんのりと顔が熱くなっているのを感じた。

 それと同時に、この時間を楽しんでいる自分がいることも。

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