第15話 日常と前進

 壮真と一ノ瀬と立て続けに想いをぶつけられた汐里は、今の自分はこのままでいいのだろうかと考えていた。

 もしこのままサエジマの仕事が落ち着き、彼が地元に戻るということになれば汐里とサエジマの関係はそれで終わりだ。公園で出会った気の合う話仲間──ぐらいがせいぜいだろう。汐里もこのままサエジマと別れても、数年もすれば新しい出会いや恋が待っているはずだ。サエジマのこともいつかは忘れてしまうだろう。

 しかし、そうなってしまうとしても自分の中にある感情をそのままにすることはできない。壮真も一ノ瀬も、形や手段こそ違えども汐里にそれを伝えていた。自分よりも余程勇気がある、と汐里は思う。一ノ瀬の場合はいささか強引すぎるのだろうが。

 なら汐里もまた、彼らのように想いを伝えなければ先には進めないだろう。あるいは後退してしまうかも知れないが、先へと進む原動力になる。


「しおりん、最近物思いに耽ることが多いねえ。美少女が窓際で黄昏ている姿は、どうしてこうも絵になるのかなあ」

「鈴、茶化さないの。期末テスト……じゃなくて、サエジマさんのことでしょ?」


 昼休み中、いつもの三人で昼食を食べた後は雑談をする時間になるのだが、ここ最近汐里は考え事をしていることが多いため、あまり話には加わらなかった。そのことについて澪が汐里にストレートに問いかける。この二人に嘘をついても意味がないので、汐里は頬杖をついている状態のまま小さく頷く。


「いやー、しかししおりんのことをここまでデレデレにさせるなんて。確かにサエジマさん、イケメンだったもんねえ」

「んー……それだけじゃないと思うな、汐里の場合。そもそも汐里って顔だけで選ぶようなタイプじゃないでしょ。それだったら、もうとっくに誰かと付き合ってるんじゃない?」

「確かに。私たちには分からない何かをしおりんは感じたのかな」


 と鈴と澪の会話を汐里は相槌を打たず、静かに聞いている。

 初めは自分の日常の中に、ほんの少しの非日常の時間を作ってくれた人としか汐里は思っていなかった。だがそれがいつの間にか汐里の中の日常となり、サエジマといる時間が大切なものだと感じるようになれば、抱く感情は好意へと変わっていた。


「でもでも、しおりんがこんなになっちゃうなら、あのときにサエジマさんを誘えなかったのは……」

「ちょっと鈴、古傷をほじくるようなこと言わないの」


 そんな汐里の様子を見て、鈴が思い出したように口にしようとしたその言葉を澪が遮る。汐里が数日間に渡り、引きずってしまったあの出来事だ。汐里も思い出したくはないだろうと、澪が気を遣ってくれたようだ。鈴もやってしまったかな、と汐里に視線を向ける。

 だが汐里は頬杖をついていた顔を上げ、何かを思いついたのか「あ、そうか……」と呟いていた。その様子を見て鈴は「どしたの、しおりん」と窺う。


「ん、ちょっとね。今日サエジマさんに会えたら、言うことが決まった」

「そ、それってもしかして……!」

「さあ? どうだろうね」


 どこかさっぱりとした雰囲気の汐里。鈴は何かを察したのか、らしくもなくドキドキとした様子を見せている。


「汐里、そのことでずっと考えていたんだね。さすがに野次馬はできないし、今日は鈴を連れて先に帰ってるから」

「ん、分かった。……でも鈴や澪が考えているようなことは、言わないかもしれないけど」


 あはは、と汐里は笑う。鈴と澪の考えている通りに、素直に正直に言葉にできたらきっと簡単なのだろう。それができないから、汐里は色々と思い悩んでいた訳だが。

 もし一ノ瀬が自分にしたようなことをそのままサエジマにしたら、とも考えたが、いくら何でも恥ずかしすぎた。さすがにあの時の出来事は汐里は誰にも言ってはいない。心配だったが、一ノ瀬とは普通に話せている。だが汐里は自分を見る目が妖しくなるというか、熱くなる時がたまにあるな、というのは気づいていた。

 そんな彼女にはとても及ばないだろうが、少し頑張ってみようかと汐里は静かに意気込んだ。



(大分肌寒くなってきたなあ……もうそろそろ十二月になるんだから、当然か。……この寒空の下で公園で話すんだから、私もサエジマさんも物好きだ)


 汐里はすっかり冬の空気になったのをその身に感じながら、公園内を歩いていた。そもそもが人通りのあまりない場所の上、季節も冬に差し掛かっているので公園内には汐里しか姿は見えなかった。最近は暗くなるのも早いので、以前ほどはサエジマと長くいられないのが汐里にとっては残念なことだ。

 いつもサエジマと話す、ベンチが二つ並んである休憩用のスペースに汐里はやってくると、暖かい缶コーヒーを購入してからそれを手にベンチに腰掛ける。最初は苦手だったこの缶コーヒーもたまに飲んでいる内に、それほど苦手意識は無くなっていた。とは言え、飲むのはこの公園に来たときぐらいなのだが。

 さて今日はサエジマさんは来るのかな、と期待と不安を半々に持っていた汐里が缶の蓋を開けたところで、今となっては見慣れた黒いスーツ姿のサエジマがやって来た。汐里は思わず笑みを浮かべてしまいそうになるのを我慢しながら、「こんにちは、サエジマさん」と左手を軽く上げて挨拶をする。


「や、汐里ちゃん。しかし寒くなってきたね……もしかして、この寒い中待っててくれていたのかな?」

「残念、今来たばかりです。それに女の子は待たせるものじゃない……っていうのが、世間の認識みたいですよ、サエジマさん」


 と汐里は、そう言って首を傾げて見せた。サエジマは参ったなと苦笑しながら、いつも通りに缶コーヒーを購入し、汐里が座っている隣のベンチに腰掛けながら、サエジマはふと空を見上げた。


「俺の地元だったら、もうそろそろ雪が降ってもいいぐらいの季節になってきたな。こっちでは雪は降らないだろ?」

「たまに降るときはありますけど、積もるぐらいまではいきませんね。さすがに雪が降ったら、この公園には来れませんか?」


 汐里はどことなく、寂しげな声色でそう聞いていた。サエジマはコーヒーを一口飲んだ後、汐里の方を見る。目が合ったので、汐里は思わずどきっとしてしまった。


「汐里ちゃんがいるなら来るかな」

「……お上手ですね、サエジマさん」

「そりゃどうも」


 事も何気に口にしたサエジマの言葉に、汐里はできるだけクールぶって反応した。だが実際は嬉しいやら恥ずかしいやら、平静を保つのでいっぱいいっぱいだ。汐里はボロが出てしまう前に本題に移ろうと考えた。


「そういえばサエジマさんは、お仕事で地元から来られているんですよね。今のお仕事が落ち着いて地元に戻るのは、いつ頃になりそうですか?」

「ん? そうだな……少なくとも年が明けるまではこっちにいるけど……でも、春まではいないと思うな」


 サエジマは自分の今の仕事の状況を頭の中で整理してから、汐里にそう言った。汐里は「春の前まで、ですか」と確認するように呟く。自分が三年生になる頃には、サエジマとこうして話していることはなくなるということだ。


「でも、何でまたいきなり? ──さすがに汐里ちゃんを地元まで連れては帰れないよ」

「そうしてもらえたら、それでも良いんですけどね」


 サエジマが汐里をからかうように言ったことに対して、汐里はぽつりとそう口にしていた。サエジマはそれが聞こえたのか、思わず「え?」と驚いたように声を上げていた。汐里は深く考えずに思わず口に出してしまったようで、サエジマの反応を見てから、自分が言ったことを理解して、顔を赤くしてしまう。それを誤魔化すために汐里はコーヒーを一気に飲み干してから、「あのですね」とサエジマに次の何かを言おうとする。サエジマは「前もこんなことあったな」と、以前のことを思い出していた。


「ここで私とサエジマさんが知り合って、それなりに経つじゃないですか。でも毎回毎回、この公園で話すっていうのもマンネリっていうか……いや、実際はそんなこと思ってはいませんけど」汐里は自分の言葉を自分で訂正し、「でもたまには、別の場所でっていうのも悪くはないと思うんです。だから、その──今週の日曜日に、私と水族館に行きませんか?」


 汐里は以前、誘おうとして誘えなかった水族館でのデートをサエジマに提案した。もっと上手く話せるつもりだったのにと、汐里は全然回らなかった自分の口をきゅっと噛み締めた。

 サエジマは「日曜日か」とだけ呟くと、上着のポケットからスマホを取り出した。恐らく予定を確認しているのだろう。サエジマは忙しいはずだ、もしかしたら日曜日も予定が埋まっているかもしれないと汐里はどんどん不安になってしまう。

 と、サエジマが自分のスマホを見ながら汐里にちょい、と手招きをする仕草を見せた。汐里はベンチから立ち上がり、明らかに早くなっている心臓の鼓動を感じながら、サエジマの傍へ歩み寄る。そこでサエジマがスマホの画面を見せると、表示されていたのは電話番号だった。


「これ、俺の電話番号。ワン切りでいいから、かけてもらっていいかな? 汐里ちゃんとは連絡先も交換してなかったからね、日曜日に遊びに行くなら、教えておかないと。……待ち合わせ場所はこの公園?」

「え!? あ、その……え、駅前にしようかなと。サエジマさんが大丈夫なら」

「ん、分かった。車は地元に置いてあるから、その方が助かるかな。もしまた何かあったら、メッセージ入れておいて」


 サエジマの電話番号を入れ、発信をしてみると当然のことながら、サエジマのスマホに汐里からの着信があった。サエジマはそれを確認するとうん、と頷いてベンチから立ち上がる。汐里は自分のスマホを手に、サエジマを見上げている。顔は未だに赤いままだった。


「それじゃ、今週の日曜日に。……汐里ちゃん言っておくけど、俺驚いているし、それに楽しみにしているから。少なくとも日曜日が終わるまでは、死ねない理由ができたかな」


 サエジマはスマホをポケットに戻すと、汐里の頭をぽんぽんと撫でた。子供をあやす時のような……とは少し違う。背中を向けて去っていくサエジマを汐里は見送りながら自分の頭にそっと手をやると、「どう捉えればいいの、これ……」と呟いていた。

 しかし少なくとも、あの時よりは前進したのは間違いない。汐里はサエジマの電話番号をまじまじと確認すると、ふう……と長い息を吐く。少し熱くなった体を冷やすように、冷たい風が緩く吹いた。日曜が終わるまでは死ねないとサエジマが言っていたが、それは汐里にとっても同じことだった。


 その後、家に戻った汐里は自室のベッドの上で登録したサエジマの番号をじっと見ていたのだが、夕飯の準備ができたと伝えに来た妹の瑠衣に「お姉ちゃん、何ニヤニヤしてるの?」と言われ、スマホを見られそうになり、軽く口論になってしまったのだが。

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