第13話 日常と告白
「うーん、文化祭終わっちゃったねえ。結局全部の学年のクラスの出し物を見ることができなかったなあ。残念だよ」
「それは確かにね。でも私たちの予想以上に、クラスの喫茶店に人が来たっていうことでもあるけどね。こっちにかかりっきりで見て回る時間、大分削られちゃったもん」
鈴のしみじみとした言葉に澪が頷く。普段は鈴の言葉には突っ込みを入れる澪だが、これに関しては同意しているようだ。
文化祭の日程を全て終え、後は片づけを残すのみとなったクラス内では、生徒たちが教室内を元に戻す作業に取り掛かっていた。窓からは夕日が差し込んできており、文化祭が終わった後ということもあり、どことなく寂しげな雰囲気が教室内にはあった。
「おーい、そこの飾り外してー」
「あー、これ? ていうかこの飾りとかってどうすんの? 全部捨てる?」
「俺に聞かれても分かんねえよ。つーか食器の洗いに行っている奴ら、何人か手伝いに来させようぜ。この後打ち上げあるんだから、あんま時間かけられねえぞ」
そんな会話が聞こえる教室内、一番後ろの窓際の席に汐里は腰掛けていた。髪飾りはもう外しているが制服の上着は着ておらずブラウス姿のままで、スカートの長さも短いままである。片づけをしている男子生徒たちがちらちらと汐里の生足に視線を向けているが、汐里はそれを気にしている様子は無い。いや、気づいてはいるが、反応するのが面倒なぐらい疲れていた。
休憩は入れたとは言え、ほぼフル稼働で汐里は動いていたのだ。それに加えてあの撮影会が思った以上に汐里を疲れさせてしまったようだ。
「……ダメだ、片付けを手伝わないと……」
汐里は自らを鼓舞するように呟いて、椅子からゆっくりと立ち上がる。片付けに入るのが遅れてしまったので、どこから手伝えばいいか分からずに汐里はきょろきょろと周囲を見渡していた。そんな汐里に気づいた鈴と澪が、汐里に歩み寄ってくる。
「汐里、大丈夫なの? 体調が悪かったら保健室に連れていくけど……」
「あんまり顔色良くないよ、しおりん」
自分を心配してくれている二人に汐里は「ちょっと疲れただけだって」と笑うも、その笑みもやはり疲れを感じさせるものだ。鈴と澪は顔を見合わせるとお互いに頷き、汐里に視線を戻した。
「しおりん、保健室にレッツゴーだね。無理はさせられないよ」
「今日一番働いていたのは、一ノ瀬さんか汐里なんだから。休んでも誰も文句言わないから、心配しないで」
と二人は汐里の体を気遣い、保健室で休むことを提案した。自分一人だけ休むのは正直心苦しいのだが、それ以上に体がだるかった。汐里は「うーん……」と考えを巡らせていたが、自分の今の状態を考えるとそれが一番かな、と結論を出す。
「申し訳ないけど、そうしようかな。とりあえず誰かに一声かけてから保健室に行こうか……」
「あ、それだったら──壮真君、ちょっと頼まれてくれないかね? しおりんを保健室まで連れて行ってもらいたいんだけど」
鈴がそうやって声をかけたのは、丁度手が空いていた壮真だ。急に頼みごとをされた壮真は「え、俺が?」と声を上げてしまう。
「もし保健室にしおりんが移動している最中に眩暈とかが起きて歩けなくなったら、私やみおりんじゃ抱きかかえて連れて行くとかできないからねー。壮真君みたいに、体格の良い男子が一緒なら、しおりんも安心じゃん?」
鈴がぺらぺらと壮真に説明をする。その最中、澪は鈴の真意に気づいたようで、「ああ……」と小さく頷いていた。汐里はと言えば「鈴もちゃんと考えているんだな」と感心していたが、澪とは違いそれに気づいてはいなかったようだ。
「壮真君、ごめん。私からもお願いしていいかな」
汐里が壮真のことを見上げながら、控えめな口調で伝える。壮真は元々断るつもりはなかったのだろうが、
「まあ……俺も洗い物しているグループの様子を見にいくつもりだったから、そのついでに高畑さんを保健室に連れて行くよ。高畑さん、今日多分一番頑張ってたし、疲れたのも無理ないし」
と首元に手を当てながら、それを承諾した。汐里は「ありがと」と小さく笑う。その汐里の笑みを見た壮真は、恥ずかしそうに視線を逸らした。それから壮真は制服の上着を羽織った汐里を連れて教室から出て行ったのだが、その背中を見送った後に澪は鈴をじろりと見つめる。
「鈴、壮真君にお膳立てしたでしょ? ちょっとわざとらしくなかった?」
「いやー、大丈夫でしょ。壮真君は分からないけど、しおりんは明らかに気づいていなかったし」
鈴は何のことやら、という風に視線を泳がせるも澪の考えている通りのようだ。はあ、と澪は溜息をついた後に、あることに気づく。大事なことを鈴も澪も忘れてしまっていた。
「……ねえ鈴。前までなら分からなかったけど、今の汐里って……」
「え? 今のしおりん? 前と違うところって──」
と鈴はそこまで言いかけたところで澪が言いたいことに気づいたのか、「あ」と間抜けな声を漏らしてしまう。冷や汗を流しかねない勢いで表情を強張らせる鈴の肩を、澪はぽんぽんと叩いた。
「……サエジマさんのこと、私たち忘れてたね」
教室から出た汐里と壮真は階段を降りて、一階へと向かう。保健室は一階の校舎の奥側に位置しており、そこは文化祭とは言えども生徒もあまり立ち入ることがない場所だ。心なしか空気もひんやりとしていて、今の汐里には心地よかった。
「失礼しまーす。すいません、ベッドをお借りしたいんですけど」
壮真が保健室の戸をノックしてから開けて、室内を確認する。薬の匂いが漂う保健室の中はしんと静まり返っており、人の気配はない。どうやら教師は出てしまっているようだ。恐らく教務室にいるのだろうが、そこまで行って確認を取らなくても良いか、と判断した壮真はそのまま汐里を連れて、中へと入った。
「勝手に中に入って大丈夫かな。……ていうか、保健室久しぶりに来たなあ」
「高畑さんの体調考えたら、問題ないだろ。もし先生が戻ってきて何か言われたら、俺の名前出せばいいからさ」
「それ怒られるの壮真君になるんじゃない? そんなことしないよ」
と汐里は首を振り、保健室の奥に並んでいる三床のベッドの中で、左側のベッドを使用することにした。そこに腰掛けた汐里はふうと一息つく。疲労が原因だとしたら、少し仮眠すれば良くなるはずだ。実際に汐里は眠気を覚えていた。
「壮真君、ありがとう。わざわざ保健室まで送ってくれて。でも鈴ってば、大げさなんだから……ちょっと疲れただけなのに」
「高畑さんを心配していたんだよ。それにさ、今日の高畑さんめっちゃ頑張ってたじゃん。喫茶店もそうなんだけど、ほら。あの撮影会。俺、途中からしか見れなかったけど」
壮真からあの撮影会の話を振られると、汐里は困ったように苦笑を浮かべてしまう。突然の流れで始まってしまい、一ノ瀬の提案で抱き合ってしまったところを大勢の生徒に見られてしまった、と冷静に考えてみると凄まじく恥ずかしいことのように思えてきた。多分鈴だけではなく、他の生徒からもしばらくは言われてしまうだろう。
「あの時は正直、頭の中が熱くなって吹っ切れちゃったから……今思うと、めちゃくちゃ恥ずかしいことしてたね。壮真君にもみっともないところ見せちゃったかな」
あはは、と自嘲気味に汐里は笑う。一ノ瀬さんだけだったなら、もっと上手いことやっていたんだろうなと考えていた。
そんな汐里に対し、壮真は「そんなことはないって」と力強い口調で言った。汐里は思わずベッドの傍に立っている壮真を見上げた。
「さっきも言ったけどさ、高畑さん凄い頑張ってたじゃん。いつもはクールな感じだけど、今日は盛り上げるために一ノ瀬さんと色々やってくれて……それをみっともないなんて、俺全然思ってないから。──好きな人が頑張っているのを見て、そんなこと考えるわけないよ」
壮真が汐里に伝えるその言葉は、壮真自身の紛れもない本心だろう。それはその言葉と、そして汐里を見つめる瞳がはっきりと物語っていた。汐里に伝えた言葉の最後、壮真の汐里に対するそのまっすぐな感情も。
汐里は壮真の言葉を聞き、しっかりと理解するまでに少し時間がかかった。恐らく疲れていないいつもの汐里でもそうなっていただろう。
どくん、どくん、と心臓の鼓動が早くなっているのが分かる。耳がかあっと熱くなってきた。何だか最近、顔が熱くなることが多いなと汐里は自分の胸元を右手で押さえながら思った。
「……壮真君。それ、本気?」
汐里は自分の舌が乾いているのを感じながら、どうにかこうにかそれだけ呟いた。壮真はその掠れた声で呟いた汐里の言葉に、しっかりと頷く。
「本当はこの後の打ち上げが終わった後に、言おうと思ってた。だけど高畑さん、今の体調だと打ち上げに来れなさそうだから……びっくりしたと思うけど、今言った」
確かに保健室で少し仮眠をしたら、そのまま帰ろうと思っていた。打ち上げがあることはもちろん知っていたが。打ち上げが終わった後に言われたとしても、間違いなくびっくりしていただろう。
告白をされたのは、汐里は初めてではない。中学の時に何回かあったし、高校に入ってからもあった。その度に断ったのは他に好きな人がいるからとかではなく、自分といても面白くはないだろう、という考えからだった。付き合ってもすぐに別れてしまうんじゃないかという、自己評価の低さだ。その時は告白されても、冷静だったと汐里は思っている。
だが今は、とてもそんな状態ではない。疲れているからなのか、文化祭といういつもとは違う状況だからか、それとも撮影会での気分がまだ残っているからなのか。
どちらにせよ、汐里は答えを出さなくてはいけなかった。このまま沈黙を貫いたり、茶化したりしてしまうのは勇気を出して想いを伝えた壮真に対し、失礼極まりない行為だ。汐里はまるで自分を煽っているように高鳴っている鼓動を聞きながら、ゆっくりと口を開く。
「……壮真、君。私は──」
瞬間、汐里の中に思い浮かんだのは、あのいつもの夕暮れの公園の風景。
少し距離を置いて、二つ並んでいるベンチに自動販売機。そのベンチの一つに腰掛けて、緩やかな雰囲気で話している自分。汐里はこの猫が欠伸をしてしまいそうなほどに、穏やかな時間が好きだった。
その時間を作っていてくれているのは、汐里の隣のベンチに座る黒いスーツ姿のサエジマ。出会った時間は長くはないし、年齢も離れているし、どんな音楽が好きなのかも知らない。それでも汐里は、自分の日常の中に優しい時間を与えてくれているサエジマのことが、好きだった。きっと今ならそう言えるぐらい。
だから汐里はぎゅっと唇を噛み締め、壮真を見上げた。
「私は──好きな人がいるから。壮真君の想いには、応えられない」
汐里ははっきりと、壮真に言った。ごめんなさいと言わなかったのは、それを言う必要が無いと思ったからだ。壮真は勇気を出して、自分に告白をした。それなのに謝るのは失礼だと汐里は思ったのだ。
壮真は自分を見上げる汐里を見つめ、「そっか」と小さく呟いた。想いを伝え、それが叶わなかった壮真だが、その表情はどことなくすっきりしたようにも見える。
「はっきり言ってもらえて良かったよ。高畑さんらしいや。……それじゃあ俺、洗い物してる連中の様子見にいくから。教室に戻ったら、高畑さん打ち上げに出られないって言っておくからさ。気にせずに、ゆっくり休んでて」
……とは言え、完全に割り切れるものでもないのだろう。壮真はそう言うと、足早に保健室から去っていく。汐里は壮真に声をかけることはできなかった。
いや、かけたところでそのすべての言葉が、今の壮真には慰めになってしまうのだろう。
「お、壮真。こっちの様子見に来たの? 食器は全部洗い終わったから教室に戻るって、スマホにメッセージ入れといたんだけどな」
保健室から出て廊下を歩いている壮真を、クラスの男子のグループが見つける。歩み寄っていくと、何やら壮真の様子が少し違うことに気づいた。
「何か様子おかしいぞ、壮真。……あ、分かった。打ち上げのことだろ? お前、打ち上げが終わったら高畑さんに告るって──」
「高畑さん体調悪いから、打ち上げ来ないって。で、さっき告白した。──ダメだったわ。上手くいかないもんだよな。でもちゃんと言えただけ良かったよ」
と壮真は苦笑いを見せた。元気があると見せようとしているのだろうが、明らかに意気消沈している。汐里の前でそれを見せなかったのは、壮真の意地だろう。
壮真の玉砕を知った彼らは一瞬ざわつくが、その壮真を囲みうんうんと頷く。謎の一体感というか、男子特有の友情がそこにはあった。
「壮真、今日はカラオケで歌いまくろうぜ。いくらでも付き合うぞ」
「あ、でも失恋ソングはあんま入れるなよ。周りにバレるから」
「つーか、高畑さんの好きな人って誰だよ。どんなイケメンだ?」
壮真を中心とし、スクラムを組むように男子グループが廊下を歩いていく。「教室に入る前にはこれ止めろよ」と壮真は釘を刺していた。
壮真から告白をされ一人になった後、汐里はベッドの上で寝ようとしたがとても眠りにつくことはできなかった。ようやく落ち着いてきた心臓の鼓動だが、静かな保健室の中ではそれでもよく汐里の耳には聞こえていた。
「……好きな人がいるから、か」
天井を眺めながら、汐里はぽつりと呟く。目を閉じると、缶コーヒーを飲みながら自分と話しているサエジマのことが浮かんできた。
最初はこの感情が分からなかったが、今では自信を持ってそう言えるようになっていた。それならば自分もいつかは、この気持ちをサエジマに伝えなければいけないのだろう。
サエジマは仕事の関係でこっちに来ていると言っていた。だからいつまでも、ここにいるわけではない。必ず別れの時がやってくる。
それを分かってはいるが、信じたくはない自分もいる。これを伝えたら、彼は笑うだろうか?
「……サエジマさん」
汐里は想いを寄せる彼の名を口にした。その呟きは誰に聞かれるでもなく、日常のこの瞬間に儚く消えていった。
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