第12話 日常と文化祭

 週末の土曜日、汐里が通っている高校では文化祭が開催されていた。例年通りにビラ配りやチラシを張り付けたりなど、宣伝をしているというのもあり賑わいを見せている。そういえば中学生の時に、ここの文化祭に遊びに来たことがあったなと汐里は思い出していたが、のんびりと考えている暇もないぐらいに、汐里たちのクラスが企画した喫茶店には客がやって来ていた。

「高畑さんそっちの席、お願いしても大丈夫?」

「ん、分かった。……それにしても、こんなに客が来るなんて思わなかったな。出しているコーヒーとかカフェオレ、全部インスタントなのに」

 一ノ瀬が申し訳なさそうに汐里に頼み込むと、教室の一角をカーテンで覆って見えなくしたスペースから「あいよ、お待ち!」と元気の良い女子の、というか鈴の声が聞こえ、コーヒーカップが乗ったトレーが出てくる。そのコーヒーカップにはなみなみとコーヒーが注がれており、気を付けて運ばないと零れてしまいそうだ。

「ちょっと鈴、コーヒー淹れすぎだって。もうちょっと少なくしてくれない?」

「ええー、でもこういうのって多い方が良いんじゃないの?」

「限度ってもんがあるでしょ」


 カーテンの奥から顔を覗かせた鈴に、汐里は「次は少な目にしてよ」と念を押すと、そのトレーを手に、男子生徒が三人座っている席へと向かっていく。今の時間帯は昼近くで、文化祭が始まってから数時間が経過しているが、やはり汐里は自分の短いスカートからはっきりと見える太腿に向けられる視線に、どうにもこうにも慣れなかった。同じぐらいスカートを短くしている一ノ瀬は気にしている様子が見られない辺り、自分との違いというか経験値の多さを感じてしまう。

「お待たせしました。熱いのでお気をつけてくださいね」

 注意を払い机の上に置くまでコーヒーを零さず運んだ汐里は、出来るだけ自然な笑みを浮かべようとするが、やはりどこかぎこちない笑みになってしまう。サエジマ相手に練習(と言えるかどうかは微妙だが)したときは、今よりもずっと恥ずかしい台詞を言いながら、もっとちゃんと笑えたはずなんだけど、と汐里は思う。


「高畑先輩、めっちゃ似合ってるじゃないですか! 一ノ瀬先輩とのツートップ、マジヤバいっスね」

「それ分かるわー。てか先輩聞いてくださいよ、こいつ高畑先輩のミニスカート姿見たいってさっき言ってましたよ、どうします?」

「はあ!? ふざけんなよ、お前も一ノ瀬先輩見に行こうぜとか言ってたじゃねーか!」

 と、後輩である一年生たちが汐里の前で元気よく言い争っている。汐里は「あー……」と言葉を濁し苦笑を浮かべた。

「ま、程々にね。私だって結構恥ずかしいんだから、あまり言われると困る」

 恥ずかしさを感じながらも、そこは任された役割なのでそこは汐里なりに何とかやり切ろうとは思っていた。もし本当に嫌だったら、それこそ今日ここには来ていないだろう。

「盛り上がってるね、高畑さん。ふふ、高畑さん目当ての生徒やっぱり多いんだ?」

 とそこに、一ノ瀬が汐里の様子を見にやってきた。自分の横に立った一ノ瀬を汐里は見上げながら「たまたまでしょ」と、肩をすくめる。そのやり取りが男子生徒たちの何かに刺さったのか、妙にテンションを上げていた。


「そうだ。高畑先輩、一ノ瀬先輩、写真撮っていいっスか? 二人で並んでくださいよー」

 と一人の男子がスマホを片手に二人にぺこぺこと頭を下げて、お願いをする。汐里はまさか撮影をされるのは想定していなかったので、「うーん、写真かあ……」と困ったように腕を組んだ。ちらりと横の一ノ瀬を見てみると、難しい顔をしている汐里とは対照的ににこにこと楽しそうな笑みを浮かべ、「しょうがないね、いいよ」と簡単に承諾してしまっていた。

「えっ、ちょっと一ノ瀬さん、本気? ていうかその間、コーヒー持っていくのとかどうするの?」

「撮影会ってことで、一旦止めればいいんじゃないかしら? お昼も近いし、休憩もかねてね」

「ええー、さすがにこうなるのは想像してなかったんだけど……」

 記念写真だとか集合写真、後は友人たちとの日常の他愛もないシーンを撮ったりしたことがあるぐらいで、周りから注目されながらの撮影をされるのは初めてのため、汐里は困惑しているようだ。そんな汐里に一ノ瀬が「大丈夫、私が何とかするから」と耳元で囁いた。妙に場慣れしているように見えるが、実際、一ノ瀬は読者モデルとして雑誌に掲載されたことが何度もある、というのは聞いていた。芸能事務所に所属しているという、他校の男子とデートをしているところを見たという生徒もいるぐらいだ。


「なになに? しおりんと一ノ瀬さんの撮影会とかいう、激アツイベント?」

「鈴が出ていくとうるさくなっちゃうから、こっちでお留守番」

 わくわくと目を輝かせて出て行こうとした鈴を、同じようにカーテンの奥のスペースでひたすらコーヒーを作る作業を任されていた澪が鈴の肩を掴み、ぐいっと引き戻す。正直、鈴が出てくれた方が緊張が和らいだんだけどな、と汐里は一ノ瀬と教室の黒板の前に移動しながら思ってしまった。

 黒板の前に移動すると、心なしか──というか確実に先ほどよりもこの教室内にいた人数が増えている。どうやら喫茶店でイベントが始まったという話が出て、それを聞いた生徒たちが教室内にやって来ているようだ。


「ちょっと一ノ瀬さん、これどうすればいいの?」

 ひそひそ声で一ノ瀬に囁きかける汐里。状況が状況なので、まるで助けを求めているようだ。一ノ瀬はほんの少し思案を巡らせると、汐里に囁き返した。

「そうね、私一人じゃなくて高畑さんもいるから、百合っぽくしてみようか。その方が盛り上がると思うよ」

「え、百合……? 花の名前?」

 と汐里は思わず聞き返す。一ノ瀬は隣の汐里を見て、くす、と笑みを浮かべた。その笑みはどこか蠱惑さを感じさせるもので、汐里がそれに気づく前に一ノ瀬は「こういうこと」という楽しそうな言葉と共に、汐里の腰に手を回すと自分の体に引き寄せるにして横から抱きしめてしまう。それだけではなく一ノ瀬は汐里に顔を寄せると、自分の頬と汐里の頬をそっと密着させてしまった。

 ギャラリーの生徒たちからは「うわー、羨ましいー!」「ヤバ、一ノ瀬さんめっちゃノってんじゃん」「これは尊い!」など、様々な反応が飛んでくる。そして無数に向けられたスマホからは、シャッター音が連続して聞こえてきた。汐里はいきなり一ノ瀬に横から抱かれた上に、頬がぴったりとくっつくぐらい顔を寄せられたこの状態に、軽く混乱してしまっていた。漫画的な表現ができるならば、汐里の目にはぐるぐるマークが浮かんでいることだろう。


「いやいやいや、ちょっと待ってなにこれ。恥ずかしくて死にそうなんだけど」

「でも盛り上がってるよ? それに高畑さんの体、暖かくて……抱き心地すっごい良い」

「恥ずかしくて体温上がってるだけだって」

 一ノ瀬はこういう撮影の経験もあるのか、汐里を抱き寄せた動きに躊躇いはなかった。下手に恥ずかしがってはむしろ恥ずかしいというのもあるのだろうが、向けられるスマホにも一ノ瀬は自然と微笑みを見せている。汐里はと言えば表情がややひきつってしまっていた。

「しおりーん! 表情が硬いよ、もっとリラックスしてみようか!」

 そんな汐里に、カーテンの隙間から様子を覗いていた鈴からのアドバイス──と言えるかどうか分からない言葉が飛んでくる。

(私がこんな状況に陥っているのに、鈴の奴……!)

 それを聞き、汐里は思わずカーテンの方を睨みつけてしまいそうになったが、一ノ瀬が自分をリードしてこの場を盛り上げてくれていることで、それをギリギリで思い止まることができた。そしてもう逃げることのできない状況になってしまっていることが、汐里を吹っ切れさせてしまう。


(──こんな状況になってるんだから、もうどうにでもなれだ。それに……一ノ瀬さんばかりに任せるなんて、私ヘタレすぎでしょ)

 汐里は「よし」と隣の一ノ瀬に聞こえるか聞こえないかぐらい小さな声でそう呟き、汐里も手を伸ばして一ノ瀬の肩に手を回すと、自分の方から一ノ瀬に抱きつくような格好を取った。その際に一ノ瀬が顔を寄せて頬と頬をくっつけていたが、汐里は一ノ瀬の顔ではなく胸元に頭を当てる格好になり、先ほどまでのぎこちない笑みではなく、恐らく鈴と澪でも見たことがないであろう、満面の笑みを浮かべていた。いっそ清々しいぐらいの吹っ切れ具合である。

「おおー! いいよー、しおりん! それだよそれ! 皆さん、これはバズりますよー!」

「鈴、後で汐里に殴られても全面的に鈴が悪いからね。今のうちに言っておくけど」

 こういう状況では鈴の性格がプラスの方向に働くようで、場を更に盛り上げるのに一役買っていた。

「ねえねえ、これインスタとかツイッターに上げてもいいよね? めっちゃ可愛いじゃん」

「いやあ、さすがに高畑さんと一ノ瀬さんに聞かなきゃダメじゃない?」

「ていうか、高畑さんのあんなテンション初めて見たわ。いつもクールな感じだし」


 いきなり始まった汐里と一ノ瀬、二人がいわゆる百合的に体を抱き合っての撮影会は非常に盛況だ。汐里が吹っ切れたのと、鈴が合いの手を入れたこともあって一ノ瀬が考えていた以上になっている。

 しかしながらこれはいつまでやればいいのだろうか、と汐里は一ノ瀬と抱き合ったまま考えていた。一ノ瀬は汐里の腰に回した手を緩める気配はない。むしろ最初よりも強く、汐里のことを抱き寄せていた。

「一ノ瀬さん、さすがにもう……」

 と汐里が言いかけたところで、ふと視線を横にやると一人の男子がスマホをごとり、と床に落としていた。普段ならば別に気にもしないのだが、今のこの特殊な状況というのも手伝い、汐里は落ちたスマホを注意深く確認する。そのスマホはカメラのレンズ部分が上に来るように落ちていて、場所的に汐里と一ノ瀬の短いスカートの中が見えるか見えないかぐらいの角度だった。スマホを落とした男子はちらちらと、二人の窺いながらスマホを拾い上げようとしていたが──


「はい。……うん、画面は割れてないね。スマホ高いんだから、気を付けなよ」

 汐里はさっと一ノ瀬から体を離すと、自然な動きでそのスマホを男子よりも先に拾い上げて、画面などにヒビが入っていないかを確認すると、男子にスマホを手渡す。その際に確認したが、スマホはカメラモードになっており、スマホを拾い上げながら画面をタップして撮影……ということも可能な状態だった。

 汐里が気にしすぎているというのも充分に考えられるが、スマホを受け取った男子が妙に慌てた様子なのが、汐里の考えを間違いないものにする証拠だった。

 それを見ていた一ノ瀬は察したのか、パンっと手を叩いて「それでは、撮影会はこれで終了としますね。こっちがメインになっちゃいそうだし」と、苦笑しながら言った。

「あちゃー、終わっちゃったかー。それじゃあしおりんと一ノ瀬さんを撮った人たちは、必ずコーヒー一杯注文してねー」

 撮影会がお開きになったのを確認した鈴はカーテンから顔を出しながら、にやりと笑う。それを聞き、撮影をしていた生徒たちは「うっわ、せこい!」とブーイングをしていた。先ほどの汐里の行動の真意に気づいている生徒は、どうやらいないようだ。それを確認した一ノ瀬はちらりと汐里を見てから、女子生徒の一人に声をかける。


「私と高畑さん、休憩に入ってもいいかな? ほら、私が無理言っちゃったから、高畑さん少し疲れてるみたい」

「ん、オッケー。呼び込みしている連中にその間、入ってもらうわ。にしても撮影会盛り上がったじゃん、お金取れそうなレベルだったよ」

 女子生徒のそんな言葉に一ノ瀬は「ありがと」と笑いかけ、汐里の背中にそっと手を添えて教室から出ていく。文化祭中で校舎内のそこらかしこに人がいたが、二人は階段を上っていき屋上に出る前の踊り場まで移動していた。さすがにここには他の生徒はいないようで、汐里と一ノ瀬の二人きりである。そこで一ノ瀬は、汐里に深く頭を下げた。

「……ごめんね高畑さん、私から誘ったのに気づくことができなかった。……スカートの中、撮られそうになってたよね?」

「ん……でもあれは角度的に、一ノ瀬さんからは見えにくい位置だったし、しょうがないよ。私も普段だったらあんなのいちいち気にしないけど、状況が状況だったし」

 と汐里はようやく落ち着けたのか、上がった体温を下げるためにブラウスの胸元の部分をぱたぱたと動かしながら一ノ瀬に言う。一ノ瀬は頭を上げて汐里のことを、心配そうに見つめていた。

「でも高畑さん、本当に大丈夫? 下着、撮られていたなんてことになってたら……」

「大丈夫だと思うけどね。私もあの時は頭の中熱くなってテンションもおかしくなっていたけど、変な動きしていたのはあの男子だけだったし。下手に騒ぎ起こして、文化祭を台無しにしたくはなかったから、ああいう対処をしたけど……」

 

 汐里は「私の下着なんか撮って何に使うつもりだったんだか」と呆れ気味に口にすると、目に見えて元気がなくなっている一ノ瀬に気づいた。

「え、どうしたの一ノ瀬さん」

「ううん。……私が何とかするからなんて言っておきながら、高畑さんに迷惑かけちゃって、私何やってるんだろうって……」

「落ち込む必要なんてないでしょ、一ノ瀬さんが」

 一ノ瀬が珍しく目に見えて落ち込んでいるのに対して、汐里はきっぱりとそう言いきった。一ノ瀬は驚いたのか、思わず「え?」と声を出してしまう。

「一ノ瀬さんがいなかったらそもそもあそこまで盛り上がらなかったし、私もあんな大勢の前で撮影されるなんていう体験はできなかったから。まあ、一ノ瀬さんみたいに上手くはできなかったけど。……百合だっけ? あれにはびっくりしたけどさ。恥ずかしくて、体熱くなっちゃってごめんね」

 と汐里が言い終わったところで、「でも一ノ瀬さん、良い匂いしたよ」と悪戯っぽく笑った。シャンプーの匂いなのか、それとも元々のものか、抱き合った時に一ノ瀬からはふわりと良い匂いがしていた。男子生徒だったならば数日間は脳裏に染みつきそうなものだ。

 だが当の一ノ瀬はぶんぶんと首を横に振る。そして汐里をまっすぐに見つめた。


「……高畑さんの方が、もっと良い匂いしたよ? 私、本当ならあのまま高畑さんと──」

 一ノ瀬が言いきる前に、それを遮るように昼を告げるチャイムが鳴り響いた。汐里はそのチャイムを聞きお腹を撫でながら、

「お昼食べに行こうか、一ノ瀬さん。さすがにお腹減ったかな」

 と提案した。一ノ瀬はぐっと言いかけた言葉を呑み込んで、「うん。そうしよう」と笑みを浮かべ、頷く。

 先に階段を下りていく汐里の背中を見つめる一ノ瀬の瞳には、明らかな熱があった。

 汐里は撮影会の時、色々と手いっぱいで気づいてはいなかったが、その時から汐里を見る一ノ瀬の瞳は、それと同じものを宿していた。

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