第10話 日常と動揺

「うん、高畑さん似合ってるよ。髪飾りひとつつけるだけでも、結構印象が変わるね」

「うーん、普段こういうのつけないから、何だか違和感があるな……」

 一ノ瀬が楽し気な笑みを見せながら言った言葉に、汐里はいつもならば身につけていない花をあしらった髪飾りに指で触れながら、少し戸惑っているようだった。髪飾りはそれほど派手なものではなく、レトロな印象を感じさせるものだ。一ノ瀬も同じものをつけている。

 汐里が通っている高校は文化祭を近くに控えており、汐里のクラスもその準備を進めていた。二人はといえば、基本的に放課後には使用されることのない視聴覚室にいた。他のクラスの面々は、教室で準備をしている。

 汐里も一ノ瀬もなのだがスカートの丈が普段よりも短く、動きに気をつけないと下着が見えてしまいそうになっている。加えて制服の上着は着ておらず、ブラウスのボタンは上のボタンがひとつ外されていた。汐里は「うー……」と声を漏らし、今の自分の格好にどうにも慣れていないようだ。一ノ瀬はそれを特に気にしている様子もなく、汐里の姿をじっと見ている。


 ただの喫茶店では大して目立つことはできないだろう。呼び寄せる何かが必要なのでは、ということで非常に短絡的ではあるが、汐里と一ノ瀬にこのような格好をしてもらうことになった。汐里は当初は「いやさすがに無理」とそれを拒否していたが、一ノ瀬が「私だけでも大丈夫だよ」と言い、彼女に押し付けるような形になるのも心苦しく、汐里は渋々これを承諾したという訳だ。

「スカートをいつもよりも短くするだけじゃなくて、ブラウスのボタンも開けるのはちょっとまずくない?」

「そうかな? 涼しくていいと思うよ」

「涼しい暑いの問題じゃなくて。……ほら、これ下着見えそうになるじゃん。いくらなんでもこれは学校側からもノーって言われるでしょ」

 と汐里が客の前にコーヒーを置く仕草を見せる。確かに座っているところから少し覗き込めば、ブラウスの中が見えてしまいそうになっていた。汐里はこれはダメだと首を振って、「ブラウスはちゃんと着ようよ」と一ノ瀬に提言する。恥ずかしいからという理由でクラスでのお披露目はしなかったのは正解だったようだ。

 その一ノ瀬は「なるほど……」と頷いた。汐里は一ノ瀬の反応が何だかズレていたので、「……何が?」と不思議そうに尋ねる。


「高畑さん、水色のブラつけているのね。ふふ、イメージ通りかも」

「──な、何言ってんの、一ノ瀬さん」

 目を細めて小さく笑う一ノ瀬から出た言葉に、汐里は思わず自分の胸元を抑えてしまった。予想もしていなかった一ノ瀬の返答に汐里は混乱しているのと、見えてしまっていたのか、という恥ずかしさから顔を紅潮させていた。もしクラスで同じことをしていたら、と考えると余計に顔が熱くなってしまう。

「あ、ごめんね、高畑さん。私のところからだと、見えちゃったから……でも良かった、これが文化祭当日じゃなくて。うん、ブラウスのボタンは閉めておこうか」

 赤面した汐里を見る一ノ瀬の目は、どこかうっとりとしている。ボタンを留めながら、汐里は一ノ瀬の自分に対する言動に違和感を覚えていた。

(……いやいやいや、一ノ瀬さんの反応おかしいでしょ。前々からちょっとボディタッチが多いかなとは思っていたけど、こうまで直接的に言われると……本人の趣味だったら、こっちがとやかく言うことじゃないかも知れないけどさ……)

 とっ散らかってしまっている思考では、上手く考えがまとまらなかった。ぱたぱたと右手を顔の前で振って風を送り、少しでも熱を冷まそうとする。


「ごめんね高畑さん、まさかそんなに慌てるなんて思わなかったから。でもいつもは見れない高畑さんが見れて、嬉しいかな」

「いくら女同士とは言え、いきなりあんなこと言われたらそりゃ慌てるでしょ」

 はあ、と汐里はため息を吐く。自分の顔をぺたぺたと触り、ようやく熱が引いてきたことを確認している汐里を見ながら「そういえば」と一ノ瀬が思い出したように言った。

「前に高畑さん、凄い落ち込んでいるときあったよね。あの時も普段とは全然違ったけど……どうしてあんなに落ち込んでいたの?」

 少し前の、非常に気分が暗かった時のことを汐里は思い返す。結局は自分がヘタれてしまったことが原因なのだが、「気になっている人をデートに誘えなかった」と素直に言ってしまえば、また一ノ瀬に何を言われるか分からないと考えた汐里は、肩をすくめた。

「大したことじゃないって。妹とケンカしちゃって、そのままずるずる気分を引きずっちゃっただけ。妹とは結構仲良いから、ケンカしたのは初めてだったし」

 と汐里は嘘をついた。まあ結構仲が良いのは本当だとは、汐里自身は思っているが。一ノ瀬は「ふうん」と、悪戯っぽく微笑んだ。

「そうだったんだ。私てっきり、失恋とかしちゃったのかなって思ったんだよ?」

「……まさか。一ノ瀬さん、私のこと過剰評価しすぎだって」

 当たらずとも遠からず、と言ったところか。汐里は思わず苦笑いを浮かべる。

「そうかな? ……でも、もし本当に高畑さんが失恋しちゃっていたら、私はあの時に──」


 と一ノ瀬が言いかけたところで、「失礼しまーす!」と元気な声と共に鈴が視聴覚室のドアを開け室内に入ってくる。一ノ瀬は咄嗟に口を閉ざしたので、その先を汐里は聞くことができなかった。

「野球部みたいな入り方しなくてもいいって、鈴。一ノ瀬さんびっくりしてるし」

「いやー、ごめんごめん。教室の方の作業も終わったから、呼びに来たんだ。もう殆ど完成してるって感じかな」

「ああ、そうなんだ。それじゃ一ノ瀬さん、戻ろうよ」

 汐里は髪飾りを外し、制服の上着を羽織る。一ノ瀬は少し残念そうに、はあ、と息を吐くと「うん、そうだね」と汐里に頷いた。

 教室に戻っている最中、いつもよりもスカートを短くしているために、すれ違う男子生徒たちが視線を落としていることに汐里は気づいていた。

「はあ……当日の接客でも、この視線を向けられることになるのか」

「大丈夫よ、高畑さん。その内、気にしなくなるから」

「それはそれで嫌なんだけど」

 汐里はやれやれと嘆息するが、隣を歩く一ノ瀬は自らの言葉の通りそれを気にしている様子は無い。こういう視線に慣れているのは、自分とは違うなと汐里は思う。ただ汐里に関しては、今までがあまりにも無頓着すぎたとも言えるのだが。

 

(まあ、大分スカート短くしているから、男が視線を向けるのは仕方ないのか。……サエジマさんも、そうなのかな)

 汐里は水族館のチケットを渡せなかったあの日以来、会っていないサエジマのことを思い浮かべた。少しだけ、心臓の鼓動が早くなったのを自分で感じていた。

(サエジマさん、仕事忙しいのかな。最近公園に来ていないし。……でも、できれば。今日、サエジマさんに会いたいな)

 もしそんな小さな想いが叶うのなら、あの時よりは勇気を出してみよう──汐里はささやかな決心をしていた。

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