第7話 日常と放課後

「とりあえず、大まかなところは決まったかな。教室内の飾りつけは、全員でやればそんなに時間はかからないだろ」

 授業が終わった放課後の時間帯、教室内では文化祭のクラス内での実行委員を任された壮真が黒板を手の甲でとんとん、と叩いた。黒板にはクラス内で出た様々な意見が書かれており、使えそうなものにはチョークで〇が描かれていた。半分ぐらいがウケ狙いのものではあるが。

「まー、そんなにゴテゴテした飾りつけはしなくても大丈夫っしょ! 外側より中身で勝負しようよ!」

「中身で勝負って言っても、出すコーヒーはインスタントだけどね。そんな本格的なもの出せる予算も、時間もないし」

「それを言っちゃうと身も蓋もないけど……」

 元気よく声を上げた鈴に対して、汐里は机に頬杖をついた格好のまま言う。汐里の横の席に座っている澪は、あははと苦笑を見せた。汐里と鈴、そして澪も文化祭のクラス内での実行委員になった……というよりは、くじ引きで当たりを引いてなってしまったと言った方が正しいか。

「まあ、そこのところは全然ごまかせるだろ。それよりも飾りつけを用意するのが面倒だよなー、どうするよ壮真」

「うーん、昼休みとか放課後に作るしかないだろ。出来るだけ人数確保しないとな……」

 実行委員の一人である男子生徒が壮真に言うと、悩むように腕を組んだ。クラス内の全員が全員、協力的ではない。そこをどうにかしなければいけないのだが、下手に強制をするとクラス内で軋轢が生まれてしまうのが、難しいところだ。


「それなら、私から言ってみるね。壮真君も大変だろうし……」

 そんな大変な役を率先して引き受けたのが、一ノ瀬だ。小さく手を上げ、「私に任せて」と微笑む彼女は、非常に頼りがいのある存在に見えた。

「おおー、さすが一ノ瀬さん! 頼りになりますねえ」

「鈴も当日の喫茶店の呼び込み役になったじゃない。ある意味責任重大よ」

 ぱちぱちと一ノ瀬に対して拍手を送る鈴に、澪は「ちゃんと分かってるのかなあ」と溜息をついた。そんな鈴の軽い拍手にも一ノ瀬は品良く、微笑んで見せる。それとは対照的に、汐里はどこか気だるげだ。別にやる気が無い訳ではない。むしろ、成功させた方がきっと楽しいと思ってはいるが……いつもならば、この時間帯は汐里はあの公園に足を運んでいるところだった。

(……サエジマさん、公園にいるのかな。それとも今日は忙しくて来れてないかな)

 サエジマを駄菓子屋に誘ってから、汐里は自分の中にある感情を自覚し始めていた。それまでは気にしていなかったものを自覚すれば、気になるのは当然である。汐里はそれが何だかくすぐったく感じていて、いまいち集中できずにいるのだ。

(相談できないよね、こんなこと。そもそもどうやって話せばいいのか分かんないし)

 はあ、と思わずため息を吐いてしまう。すると、丁度そこで壮真が「じゃあ今日はこれぐらいで解散するか」と手を叩いた。もしかしてため息をついたところを見られて、誤解されたかな……と汐里はバツが悪そうに頭を掻く。


 黒板に書いてあった文字を消し、位置を変えていた机と椅子を戻したところで鈴は汐里と澪に「帰りにコンビニでも寄りますか!」と明るく声をかけた。

「うん、私は大丈夫だよ。汐里はどう?」

 澪は頷き、隣で帰る準備をしている汐里に訊く。汐里もコンビニに寄るぐらいなら、と言おうとしたところで「高畑さん」と声をかけられた。声をかけたのは、一ノ瀬だ。

「ごめんね、話している最中に。もし良かったらなんだけど、この後ちょっとだけ付き合ってもらえないかな?」

 と一ノ瀬は申し訳なさそうに、汐里にそうお願いをした。小さく首を傾げるその様子は、見た目麗しい一ノ瀬がするとそれだけで絵になるな、と汐里は考えてしまう。そして何だか非常に断りにくい雰囲気も感じていた。

「あー……鈴、澪、ごめん。今日は一ノ瀬さんに付き合うから、先に帰ってて」

 その雰囲気に負けてしまい、汐里は鈴と澪に先に帰るように言った。何だか二人に悪いことをしてしまったような気になったが、鈴は「りょーかい! 美少女が二人で密会なんて怪しいですなあ」と、こちらをからかうように悪戯っぽく笑っていた。どうやら汐里の心配は杞憂だったようだ。

「鈴はまた茶化すんだから。それじゃ、先に私たちは帰るね。また明日」

 澪は鈴に呆れたように言い、汐里には去り際に「気にしないで」と呟いた。どうやら汐里の考えはお見通しだったらしい。


 鈴と澪が教室から出て行くと、教室内には汐里と一ノ瀬の二人だけになった。椅子ではなく、机に軽く腰掛けるようにしている汐里の前で、一ノ瀬はどことなく楽しそうな表情を見せていた。案外人懐っこいタイプなのかな、と汐里はふと考える。そんな汐里に一ノ瀬はこう切り出した。

「ごめんね高畑さん、付き合ってもらって。話っていうか、お願いなんだけど……文化祭で喫茶店をやる時に、ウエイトレスの役が必要だってさっき言ってたよね。その役を、高畑さんと一緒にできないかなって……」

 それを聞いた汐里は思わず「え、マジで?」と聞き返してしまっていた。一ノ瀬は「うん」とはっきり頷く。


 確かにさっきの話し合いの中で、ウエイトレスがいれば盛り上がるんじゃないかという案も出ていた。しかし真面目な壮真は「そりゃセクハラだろ」とその案を切り捨てたはずなのだが、一ノ瀬はそれを諦めてはいなかったようだ。

「うーん……まあ壮真君はああ言ったけど……仮にその案を採用したとして、一ノ瀬さんがウエイトレスをやるのに反対する人はいないと思うんだけどさ、私がやるってさすがに似合わなくない?」

 と汐里は、自分のことを客観的に見た上でそう言った。汐里は自分自身がウエイトレスとして、営業スマイルを浮かべ「お待たせしました」とコーヒーを出している姿が、とてもではないが想像できなかった。どう考えても、いわゆる塩対応的な接客になるのが目に見えている。

 しかし一ノ瀬はそうは思っていないのか、「そんなことないよ」と首を振った。


「私一人だと正直、不安なんだけど……高畑さんが一緒なら、凄い心強いの。せっかくの文化祭だし、成功させたいから……」

 一ノ瀬の言葉は真摯なものだと、汐里は感じていた。自分には似合わないというのは本心なのだが、こうまで言われてしまうと快く……とまではいかないが、頷いてしまいそうになる。

「駄目……かな? 高畑さん」

 思案を巡らせる汐里の右手を、一ノ瀬の両手がそっと包み込んだ。いきなりだったので、汐里の右手がびくっと動くも、それを落ち着かせるように一ノ瀬の綺麗な指先が汐里の右手を撫でる。その動きが、何だか妙に慣れているように汐里には見えた。

(一ノ瀬さん、指綺麗だし長いな……いやそれよりも、何で私の手をいきなり握った?)

 自分の手を包み込むその様子を汐里は視線を落とし、眺めていた。撫でられると何だかくすぐったくなってしまい、汐里は右手を引っ込める。一ノ瀬は自分の掌から離れた汐里の手を、少し名残惜しそうに見ていた。

「……接客をしたことなんてないし、自信も無い。愛想よくできるとも限らない。そんなんでもいいの? 正直、地雷になると思うよ」

 汐里はあえて、包み隠さずにそう言った。ここで鈴だったら自信満々に「任せてよ!」とか言うんだろうし、澪だったら要領よく断っているのかも知れない。汐里はそのどちらにもなれない自分に対して「情けないなあ」と思いながらも、一ノ瀬のお願いを承諾したのだった。


「高畑さん、一緒にやってくれるの? ──嬉しいな。正直ね、断られるかもって思ってたんだ。……ねえ高畑さんさっきの言葉、嘘じゃないよ。本当だからね」

「プレッシャーが凄いんだけど……期待しないでね。マジで」

 一ノ瀬は心から嬉しいのか、柔らかな笑みを汐里に見せる。一ノ瀬の大きな期待に対し、汐里は珍しく不安げな表情を浮かべていた。

「それじゃ、帰ろうか高畑さん。もう外も暗くなり始めてるし、駅まで一緒に行こ」

「ん、そうだね」

 汐里は鞄を手に取り、一ノ瀬と一緒に駅まで行くことにした。教室から出て廊下を歩いている際に「そういえば」と一ノ瀬は、横の汐里を見た。

「高畑さんって、案外手が小さいんだね。ふふ、ちょっと可愛いって思っちゃった」

「……あ、そう」

 一ノ瀬はくす、と笑みを零す。汐里はその視線がどこか妖しく感じてしまい、素っ気ない返事を口にする。一ノ瀬はそれに対して、機嫌を損ねたような素振りは見せなかった。むしろ、汐里のその対応を楽しんでいるようにも見える。

(……でもなあ)

 ウエイトレスか、と汐里は考える。いつも缶コーヒーを飲んでいるサエジマも、喫茶店などでちゃんとしたコーヒーを飲むことはあるのだろうか。

 汐里は自分がサエジマに対して、コーヒーを出すところを想像してみた。可愛らしい制服姿で、にこにこと笑みを浮かべてだ。

 だが確実に笑われてしまうことも目に浮かんだので、汐里は自嘲気味に首を振った。やっぱり向いてないな、と思いながら。

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