第6話 日常と駄菓子

 汐里がサエジマを連れてやってきたのは、一軒の古風な商店だ。その店の前にはところどころ消えかかった字で「駄菓子」と書かれた、古ぼけた看板が立てかけられている。絵に描いたような、昔ながらの駄菓子屋だ。今時こういう店を探し当てるのは難しいだろう。

「おー、雰囲気あるな。俺の地元にも、昔はこういう駄菓子屋があったよ。中学生の時、学校帰りによく寄ったなあ」

 サエジマが店の前で昔を思い出しているところで、汐里がきょろきょろと周囲を見渡す。

「もう少し早い時間帯だったら、子供たちが結構いるんですけどね。この辺りに住んでいる子供だったら、皆ここで駄菓子を買ったことがありますよ」

「へえ。それは汐里ちゃんも?」

「ま、そうですね。でもここに来たのは、大分久しぶりですけど」

 汐里は小さく頷きながら、駄菓子屋の入り口の戸を開ける。その戸が年数が経ち歪んでいるのが、開ける際にがたがたと音を鳴らし、それが呼び鈴代わりになっているようだった。

 店内は駄菓子が置かれた棚やかごが並べられており、子供でなくても興味をそそられる空間になっている。店内はそれほど広くはないが駄菓子だけではなくおもちゃなども売られているようで、店の奥のスペースにはゲームセンターで見るような、ゲーム筐体が一台だけ置かれていた。

 戸を開けた際の音を聞きつけたのか、「はいはいはい」という声と共に奥のドアを開けて店内に姿を見せたのは、白髪の女性だ。恐らくは年齢は七十ほどは行っていると思われる。だがその足取りはしっかりとしたもので、まだまだ健康そうだ。


「……んん? おやまぁ、汐里ちゃん。久しぶりだねえ、ここに来るのは。前よりもべっぴんさんになってんじゃないの」

「こんにちは、シオおばちゃん。相変わらず元気そうで良かった」

 汐里はどこか嬉しそうにそう言うと、サンダルを履いて汐里の前までやって来たシオおばちゃんと呼んだ女性に小さく手を振る。その様子だけでも、慕われているんだなとサエジマは気づいた。

「元気なだけが取柄さね。あたしが死ぬのにはまあ、後三十年は必要かね。この店もまだまだ続けるつもりだよ」

 とシオが言ったところで、その視線は汐里の後ろにいるサエジマに向けられた。サエジマは「こんにちは」と柔らかな笑みを浮かべ、会釈をする。

 シオは顎に手を当て、何かを考えこむように目を細めながら汐里とサエジマを交互に見た。そして年齢を感じさせない、にやりとした笑みを汐里に見せると、


「汐里ちゃん。『コレ』かい? やるじゃあないのさ」


 顎に当てていた手を汐里の前にかざす。その手はジャンケンのグーの形をしているものの、小指だけが存在を示すようにピンと立っていた。

 汐里はそれを見て「ちょっとシオおばちゃん!」と思わず声を出してしまい、後ろにいるサエジマを慌てて振り返った。サエジマは口を手の甲で隠すようにして笑いを堪えており、これを面白がっているようだった。汐里は思わずサエジマを睨む。

「何笑ってるんですか、サエジマさん。私はぜんっぜん面白くないんですけど」

「いや、悪い汐里ちゃん……あのシオおばちゃん、まだまだ若いね。この近所の子供たちを相手にしているだけはあるよ」

 くっくっくっと笑うサエジマ。汐里は大きくため息を吐くと、シオの方に向き直った。

「シオおばちゃん、私とこのサエジマさんはそんな関係じゃないから。ここに連れて来たのだって……この辺りの案内みたいなものだし」

「はあん、そうなのかい? てっきり年上の男をモノにしたから、自慢しにきたもんだと思っていたんだけどねえ」

 シオは拍子抜けしたような表情を浮かべると、店内カウンター席へと座った。そこにはレジが設置されており、購入する駄菓子をそこで会計しているようである。


「ま、汐里ちゃんが久しぶりに来てくれて嬉しいよ、あたしは。ゆっくり選んでいきな」

「ありがとう、シオおばちゃん。……さ、どうぞ、サエジマさん。駄菓子、選び放題ですよ」

 と汐里が言うも、サエジマは既に駄菓子を物色している最中であった。汐里は「ったく、この人は……」と小言を言いながらも、自分も駄菓子を選び始めた。シオの言うとおりに、ここに来たのは久しぶりである。少なくとも高校生になってからは来たことがない。自然と足を運ばなくなってしまったのだが、ここに来ようと思ったきっかけは真剣な表情で駄菓子を吟味しているサエジマである。

(あの時、好きな人だとか気になる人がいないのか聞かれたときに、サエジマさんのことがほんの一瞬、頭に浮かんだけど……それがよく分からないんだよね。まあ確かに顔は良い……のかな。背は高いよね)

 汐里は小さなドーナツが四つほど入って、ビニール袋で包まれている駄菓子を手に取りながら考えた。汐里はその駄菓子と飴玉とガムを数個、それと小さなケースに入ったラムネをシオの方へと持っていく。

「シオおばちゃん、これでお願い」

「はいはい。んー? なんだい汐里ちゃん、もっと買ってもいいんだよ。あのスーツの兄ちゃんは結構買うつもりみたいだね」


 シオがサエジマを指差す。汐里が振り返り見てみると、小さなかごに駄菓子をたくさん入れたサエジマがうんうんと頷いていた。ともあれ、満足しているようである。

「そんな買うんですか、サエジマさん。一度に食べきれますか?」

「こういう駄菓子を買うのは久しぶりだからね、つい手が伸びちゃったよ。……そうだおばちゃん、あそこのゲームってまだできる?」

 シオが駄菓子を会計している間、サエジマが店の奥のスペースに置いてある箱型のゲーム筐体に視線を向けていた。シオは「壊れてなきゃ五十円玉入れれば動くはずだよ」と答える。汐里がこの駄菓子屋に来ていた時、あそこのゲームをプレイしていた人間はたまにしかいなかった。そもそも、あれが何年前のゲームかすらも分からないのだ。

「よし、ちょっとやってみようかな」

 サエジマは購入しビニール袋に入れてもらった駄菓子を持って、そのゲーム筐体の前に向かう。置いてある古ぼけたパイプ椅子を音を鳴らして後ろに引き腰掛けると、五十円玉を取り出して、コイン投入口に入れる。すると元々電源は入れてあったのか、目を覚ましたように大きな音が鳴った。

「サエジマさん、このゲームやったことあるんですか?」

「昔、ゲーセンでちょっと触ったことがあるぐらいかなぁ。……おー、そういえばこんな画面だったな。格闘ゲームなんて久しぶりだ」

 

 サエジマは懐かしさと同時に楽しさも感じているのか、上機嫌なようだ。キャラクターを選択する画面で、サエジマは白い道着姿のキャラを選んだ。それから対戦が始まるが、それは対人戦ではないので、CPUとの戦いのようだ。汐里は家にゲーム機は置いてあるものの、普段は殆ど触らないためゲームには詳しくはない。しかしサエジマがプレイしているこのゲームが、画面を見る限り相当に古いゲームだというのは分かった。

「はは、レバーがガバガバだなこれ。おばちゃん、これ全然整備してないでしょ?」

「壊れてないことにびっくりしているよ、あたしは」

 シオは「まだ動くんだねあれ」と感心したように呟く。サエジマが道着姿のキャラクターを操作しているのを汐里はその後ろで、何となく眺めていた。何だか昔もこういうことがあった気がする、と久しぶりにやって来た駄菓子屋で汐里は懐かしいものを感じていた。

 最初はぎこちなかったサエジマの操作だが段々と慣れてきたのか、レバーとボタンを操作する手つきも滑らかなものになっていた。そしてサエジマが三人目のCPUを倒したところで後ろを振り返り汐里の方を見ると、

「じゃあ汐里ちゃん、交代。任せた」

 と笑みを浮かべ、椅子から立ち上がる。汐里は思わず「は?」と気の抜けた返事をしてしまったが、サエジマに背中をぽん、と押されると思わずそのまま椅子に座ってしまう。

「任せたって言われても……私、格闘ゲームやったことないんですけど」

「さっき俺の後ろで見ていただろ? 見よう見まねでやればいいさ。それに、汐里ちゃんがちょっと興味ありそうにしていたからね」

「まあ、ちょっとだけは……あ、ちょっとサエジマさん、もう始まっちゃったんですけど。これどうすればいいんですか?」


 とサエジマと話している間に、次のステージが始まってしまった。汐里はサエジマの真似をして同じようにレバーを手に持ち、いくつもあるボタンの上に指先を置くも、それからどうすればいいか分からない。そもそもボタンは六つもあり、どのボタンを押せばどんな攻撃が出るのかも分からなかった。

「あ、めっちゃ敵の攻撃食らってる。汐里ちゃん、レバーを後ろに入れてガードしなきゃ」

「レバーを後ろに下げるって言われても……あ、なんかしゃがんだし、ボタン押してもパンチとか出るだけで、全然当たらないですよこれ」

「敵に近づかなきゃ当たらないさ、そりゃ。レバーを前に入れて近づこう」

「いや、今後ろに入れてって言ったじゃないですか」

 そんなちぐはぐな会話をしている内に、汐里が操作……というか、右往左往しているだけだった道着姿のキャラクターのゲージがゼロになってしまい、妙にリアルな叫び声をそのキャラが上げ、負けてしまった。汐里ははあー、と大きくため息をつくと立ち上がり、後ろでおかしそうに笑っているサエジマをじろりと睨みつけた。

「サエジマさんのいい加減なアドバイスのせいで負けちゃいましたね」

「汐里ちゃん、初めて格闘ゲームやったんだろ? あんなもんだって」

 とサエジマが肩をすくめ、ふと腕時計に目を落とす。「あ、もうこんな時間か」というサエジマの言葉を聞き、汐里は「会社に戻りますか?」と首を傾げた。


「ああ、そろそろ戻るとするよ」

「おう、帰るのかい? 気が向いたらまた来なよ、兄ちゃん。汐里ちゃんもね」

 シオは屈託のない、明るい笑顔を二人に見せる。人柄の良さを感じることのできる、暖かい笑みだった。

「うん、また来るよ。じゃあねシオおばちゃん」

 汐里は小さく笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げるとサエジマと駄菓子屋から外へと出た。久しぶりに来たけどここは変わってなかったな、と汐里は何だか少し嬉しかった。

「それじゃサエジマさん、私も……」

 帰りますね、と言おうとしたところで、サエジマは汐里の前に右手を差し出していた。その掌の上には小さな玉状のガムが三つ入ったケースがあり、汐里はそのガムとサエジマの顔を交互に見る。

「……何ですかこれ」

「三つの内、一つがめちゃくちゃすっぱいガム。残りの二つはただのレモン味のガム。汐里ちゃんはどれにする?」

「最後にこんな子供みたいな……ま、付き合ってあげますよ」

 汐里は真ん中のガムを選び、手に取る。サエジマはその右隣のガムを選ぶと、口の中に入れた。汐里も手に取ったガムを口の中に入れ、(久しぶりにガム噛むなあ)と思いながらそれをもぐもぐと噛み始めたところで、口の中に凄まじい酸味が広がった。汐里が思わず顔をしかめてしまうと、どうやら『当たり』を引いたのがサエジマにも分かったようで、悪戯っぽく目を細めた。


「ふふふ、俺の勝ちみたいだ。残念だったね、汐里ちゃん」

「いや、勝ちも負けもないでしょ……ううー、すっぱい……何このガム」

 汐里があまりのすっぱさにガムを噛むのを躊躇っていると、サエジマが残りの一個のガムが入ったケースを汐里に手渡した。汐里がそれを受け取ったのを見て、サエジマは「それじゃ俺は戻るよ。この駄菓子は会社で配るかな」と言い、この場を後にしようと汐里に背中を向けて歩き始めた。

 と、サエジマはそこで汐里の方を振り向くと駄菓子が入った袋を持った手を小さく上げる。


「またね、汐里ちゃん」

 

 サエジマは穏やかにそう言うと、そのまま歩いて行った。汐里は段々と酸味が薄れていき、ようやく噛めるようになってきたガムを口の中で転がすようにしながら、サエジマを見送っていた。

 夕暮れの中、サエジマから手渡された余ったガムに視線を落とし、汐里はファミレスで聞かれたあの質問を思い出していた。

 好きな人だったり、気になる人はいないのか……という、誰でも一度は聞かれたことのあるありふれた質問。汐里はあの時、はっきりと答えることができなかった。そもそも正直に答えられる人間の方が少ないだろう。

 だけど汐里は、今、その質問をされたらどう答えるか。それは決まった。多分、今。

(いるって言っちゃうんだろうな、今だったら。……あーあ、どうしよ)

 汐里は自分の中ではっきりと、輪郭を帯びてきたこの感情を自覚しながら、とりあえずあることだけは決めていた。

 もし次、またこのガムを選ぶことがあったら真ん中だけはやめておこう、ということだった。

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