第5話 日常と誘い
汐里は自室のベッドの上で目を覚ますと、枕元に置いてあったスマホを手に取り、時間を確認する。まだはっきりとしていないため、視界がどこかぼんやりとしていた。
(夕方の四時過ぎ……家に帰ってきたのが二時半ぐらいだったから、結構寝ちゃったな……)
ファミレスでの昼食を終えた汐里はそのまま家に戻って部屋に入るなり、制服の上着を脱いでそのままベッドの上で寝てしまったのだ。昼食を食べた他の面々からは、一緒にカラオケに行こうと誘われたのだが、汐里は何だか疲れてしまい誘いを断り、帰宅したというわけだ。
汐里は横になっている体勢のまま、スマホを操作する。一ノ瀬や壮真など、昼食を一緒に食べたメンバーとは連絡先を交換していなかったので、ファミレスにいる間に連絡先を教えあっていた。早速メッセージが届いており、汐里は簡単ながらもそれに返事を返した。鈴と澪からもメッセージが来ており、書き方は違えども「用事があって一緒に帰れなくてごめん」という内容だった。汐里は思わず表情を緩めながら、それにも返事をする。
そこで汐里はベッドから起き上がると、小さく伸びをする。夕飯まではまだ時間があるので、今日のテストで出た問題の復習でもしようか、とも考えたが、どうにもやる気が出ない。気分転換に少し散歩でもしようかと考えた汐里だったが、ひとつのことを思いついた。それは散歩のついでと言えばそうなのだが、実際はそちらが目的だ。
「……サエジマさん、いるかな」
汐里はぽつりと呟くと、制服の上着ではなく白いパーカーをブラウスの上に着た。出歩くとは言え、近所の公園に行く程度ならこんなものでいいかと汐里は考え、スマホと財布をスカートのポケットに入れ、部屋から出た。そのまま階段を下り、玄関で靴を履いていたところで妹の瑠衣がリビングの方から顔を覗かせていた。瑠衣は中学二年生であり、汐里と比べて身長は低い。
「あれ? お姉ちゃんどっか出かけるの? さっきまで寝てたのに」
「うん、ちょっとね。お母さんには夕飯までには戻るからって伝えておいて」
「んー、分かった。……お姉ちゃん、もしかしてデート?」
瑠衣の目が興味を持ったように、きらりと光ったような気がした。まあ実際には光ってはいないのだが、表現としてはそんな感じの目だった。
「そんな訳ないって。じゃあ行ってくるから」
靴を履き、汐里は家から出るとパーカーのポケットに両手を入れ、公園に向かって歩き始めた。雲が殆ど無いため、日差しは少し強いぐらいだ。しかしもう少しすればその日差しも弱まり、夕暮れになってくる。できることなら完全に暗くなる前には帰りたいところだが、肝心のサエジマが公園にいるかどうかも分からない。
(サエジマさんがいなかったら少し待ってみようか……少しだけね)
自分にそう言い聞かせながら歩いていると、目的地の公園へと到着する。もしかしたら、ここしばらくは子供の時と同じぐらい、この場所へ来ているかも知れない……と汐里は思いながら、公園内へと入っていった。
サエジマと会うのはいつも同じ場所だ。自販機があり、ベンチが並んでいる休憩場所。汐里はそこに向かうも、誰もベンチに座ってはいないし、自販機を利用もしていない。汐里一人だけだ。
そんな都合よく会うことはないというのは分かっていた。でも少しだけ待ってみようと思い、汐里はその間の短い時間潰しとして、いつもは飲むことのない缶コーヒーを購入しようと考えた。自販機の前で財布を取り出し、小銭を入れる。後は買うだけなのだが、そこで汐里は迷うように腕を組んだ。
「……缶コーヒーって、結構種類あるなぁ。どれを買えば良いんだろ」
汐里は普段、缶コーヒーを飲まないため、自販機のディスプレイに並んである様々な種類の缶を見て、思わず声に出していた。うーん……と悩みながら、購入ボタンの前で突き出した人差し指をうろうろと彷徨わせている。
「あー、もう。どうしようかな……そう言えばサエジマさんはどれを飲んでいたっけ」
これだったかな、と汐里が購入ボタンを押そうとしたところで、横から男の手がひょい、っと出てきて汐里の視界に入った。あまりにも突然だったので汐里は「わあっ」と声を上げてしまいながら一歩後ろに下がり、その手が伸びてきた方に視線を向ける。
「俺がいつも買ってるのはこの缶コーヒー。ちょっと甘いのが好きなんだよ」
と汐里が買おうと思っていたものとは別のものを指差しながら、小さく笑っているのは以前と同じように黒いスーツ姿のサエジマだった。汐里は自分を驚かせたのがサエジマだと分かると、あからさまに表情をむすっとしたものにしてしまう。
「いきなりすぎませんか、サエジマさん。ていうか、いたなら声ぐらいかけてくださいよ。わざわざ驚かせなくても……」
「ごめんごめん。妙に真剣な表情で自販機の前にいるもんだから、ちょっと驚かせようと思って。……で、どれ買うの?」
「……これにします」
汐里は不機嫌そうな表情をそのままに、サエジマが指差したものと同じ缶コーヒーを購入した。汐里がそれを手に取り、表記されている通りに缶を軽く振っている最中、サエジマも小銭を入れて、汐里が買ったものと同じ缶コーヒーを選んだようだ。まあこの場合は、サエジマはいつも通りのものを買ったということなのだが。
「乾杯でもするかい?」
缶の蓋を開けながら、サエジマはそう提案した。汐里は同じように蓋をかこっと音を立てて開けながら、
「何に乾杯するつもりですか? まさか二人の出会いに、とかくだらないこと言うつもりじゃないですよね」
と、やや早口気味にサエジマに言っていた。実際、そんなことを言われたらさすがに引いてしまうと汐里は思いながら、缶コーヒーを一口飲む。そして缶から唇を離すと、表情をあからさまにしかめてしまった。
「ーー甘っ。よくこんなの飲めますね……」
「うーん、まあ確かに甘いかもね。でも仕事中だったり、疲れたときに飲むと丁度良く感じるんだよ」
汐里の様子を見てサエジマは「合わなかったかな」と少し残念そうに呟き、コーヒーを飲むと、ふうと一息ついて右手をズボンのポケットに入れた。汐里はサエジマと同じものを購入した手前、捨てるのはさすがにどうかと思ったので、少しずつだが甘ったるいコーヒーを飲んでいった。疲れている、という点ではテスト明けだったり、いつもはしないような話題を振られたりしたので当てはまっているとは思うのだが、社会人であるサエジマとはその種類が違うのかも知れない。
「そういえば汐里ちゃん、今日は友達はいないの? ほらあの猫好きの子と、元気の良い子」
思い出したようにサエジマが汐里に聞いた。汐里は小さく首を振る。
「澪と鈴は今日はいませんよ。テストが終わった後、用事があるって言って先に帰りましたから」
と汐里は言った。その口調が妙に説明的というか、あまり感情がこもっていないようなものだということに、汐里自身は気づいてはいなかった。
「ああ、そういえばテスト勉強するって、あの時言ってたね。テストは上手くいった?」
「それなりですね。勉強した分のことは出せたと思いますよ」
「はは、そりゃ優等生のセリフだな」
お互いに同じ缶コーヒーを飲みながら、夕暮れが差している公園でそんなどうでもいいよな会話をしながら、汐里は今日の昼食、ファミレスで振られた言葉を思い出していた。
(付き合っている人なんていない。好きな人だったり、興味のある人もいない……はずなんだけど)
だけどあの時、汐里はすぐに言葉を返すことができなかった。頭の中に、ほんの一瞬だけ今と同じように、この公園でこうしてサエジマと話している光景が思い浮かんでしまったから。それが何だか引っかかって、自分から公園に足を運んでいた。
こうして向かい合って話していても、それがよく分からない。だが嫌な気分にはならない。今はいつもの日常からほんの一歩離れたところにいるから、そう感じるのだろうか。
それならば、もう少しだけ踏み込んでみようか。そうやって汐里は小さく決心をするとコーヒーを飲み終わり、空き缶をゴミ箱に捨てた。そしてパーカーのポケットに両手を入れ、「サエジマさん」と彼の名前を呼んだ。
「うん? どうしたの? ……あ、前に奢るって言って奢らなかったから、怒った?」
「そんなセコくないですよ。この後、サエジマさんは時間ありますか?」
と、汐里の思いもよらぬ言葉にサエジマは「あー……」と考えるように視線を宙に巡らせる。そしてコーヒーを一口飲んでから答える。
「まあ、あるかな。この後は会社に戻るけど、大した仕事は残ってないし」
サエジマの返答を聞き、汐里は「そうですか」と頷く。そして汐里は気づく。ここから先の言葉を考えていなかったことを。
靴の先で地面をとんとんと叩きながら、「あのですね」と口にするも、その先が出てこない。パーカーのポケットの中に入れた手をもぞもぞと動かしていると、まるで恥ずかしがっているようだ。
このままでは埒があかない。汐里はそんな自分を振り払うかのように、口を開いた。
「ちょっとツラ貸してもらえませんか? サエジマさん」
その際に、汐里は顎をくい、と動かし公園から出るように促した。その言葉と仕草は、汐里の雰囲気もあり、妙にマッチしていた。
その様子を見ていたサエジマは無言でコーヒーを飲み、空き缶を捨てると腕組をしながら「……もしかして俺、カツアゲされる? 今手持ちそんなにないよ?」
と心配したように汐里に言った。汐里はそこで顔を赤くしてしまうと、「カツアゲなんてするわけないじゃないですか!」と珍しく大きな声を上げた。その恥ずかしさを隠すように、汐里は続ける。
「いつもこの公園で話すだけじゃ代わり映えしないと思って、別の場所に行こうと思っただけです! ここから近いですから、すぐに行きますよ」
「そこでカツアゲされないよね?」
「いい加減しつこいですよ、サエジマさん」
「いやでもさっきの言い方と仕草、正直驚いたよ俺は」
そんな会話をしながら、汐里とサエジマは公園から出ていく。近所の知り合いに見かけられた際の言い訳を考えておかなきゃな、と汐里はさっきの恥ずかしさのせいで、少し熱っぽくなった頭で、そう考えた。
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