第4話 日常と昼下がり

「高畑さん、ちょっといいかな?」

 テストを全て終え、今日は午後の授業はなく昼前に下校できるため、鞄に筆記用具や教科書を入れて帰る準備をしている汐里にそう話しかけてきたのは、長い黒髪の女子生徒だ。背は汐里よりも高く、すらりとした体格をしているために可愛いというよりは、美人という言葉の方がしっくりくる。

「ん……どうかしたの? 一ノ瀬さん」

 汐里は席に座ったまま、自分の隣に立つ女子生徒、一ノ瀬を見上げた。彼女とは二年生の時から同じクラスになったのだが、実はそれほど話したことがない。別に苦手だとかそういうことではなく、話すタイミングやきっかけがあまりなかったのだ。それを抜きにしても彼女は同級生だったり、後輩からも人気のある女子なので、大体彼女の周りには人がいるのだが。

「うん、今日テストが終わったから午前中で学校終わるじゃない? これから他の皆とお昼を食べに行こうと思っているんだけど……高畑さんも一緒にどうかなって」

「私は大丈夫だけど……でもいいの? 邪魔になったりしない?」

 と汐里は首を小さく傾げた。彼女からこうして誘われるのは初めてだったため、少々驚いていた。そんな汐里を知ってか知らずか、一ノ瀬は「そんなことないよ」と柔らかく微笑んだ。

 それを見て汐里は(大抵の男子だったら今ので瞬殺されるな)と思いながら、鞄を手に椅子から立ち上がる。


「それじゃ一緒に行かせてもらおうかな。一ノ瀬さんからの誘いだもんね」

「本当? 良かった、実は高畑さんには前から声をかけようって思っていたの。ほら、高畑さんってクールな印象があるでしょ? もし断られたらどうしようって……」

 一ノ瀬はにこにこと嬉しそうに笑っている。汐里はその言葉を聞き、そこで初めて自分がクールな印象を持たれているということに気づいた。別に斜に構えているようなつもりはなかったのだが、周りからはそう見られていたということか。

「余程のことがない限りは、クラスメイトからのご飯の誘いは断らないって。それに今日は鈴と澪は用事があるって言ってテストが終わったら、先に帰ったし。私もこのまま家に帰っても、お昼は冷凍食品かカップラーメンだし」

「それじゃあ、丁度良かったのかな。教室の外に他の皆が待ってるから……皆で帰りながらどこで食べるか決める予定なんだ」

 一ノ瀬の後について教室から出ると、廊下には彼女を待っていた男女のグループがいた。人数は四人、一ノ瀬と汐里を入れれば六人である。誰もかれも顔立ちが整っているように見えるが、こういうグループが形成されるのは自然にそうなるものなのかな、と汐里は制服の上着のポケットに両手を入れながらふと思った。

「いっちー、遅いよー。あ、誘いたかったのって高畑さんだったんだ」

「うん、高畑さん人気あるし……こういう時じゃないとなかなか誘えないって思ったから」

「人気あるって……え? 私が?」

 髪を薄く茶色に染めた女子が一ノ瀬に言うと、彼女は少し恥ずかし気に汐里をちらりと見た。そんな一ノ瀬が口にした言葉を聞いて汐里は困惑したように、そう漏らしていた。汐里は自分が人気があるとか考えたことなど、今までで一度も無い。


「そうそう、高畑さんマジで人気あるよ。部活の後輩とかで、高畑さんに気ぃある奴とかいるし。なー、壮真」

「はあ? 何で俺に振るんだよ。つーかそういうの、高畑さんに失礼だろ」

 その話題に乗っかって、制服を着崩した男子がそれとは対照的に、きちっと制服を着た壮真の肩を面白そうに叩く。急に話を振られた壮真は面倒そうにしながらも、汐里のことを気遣ってか、そう口にした。もしここに鈴がいたなら、また何か面白おかしくしようとして、口を滑らせていたんじゃないのか、と汐里は考えてしまう。

「まあ私の人気がどうとかっていうのは、これからお昼を食べるのには関係ないし。それよりもどこの店に行くか決めた方が良くない?」

 何だかこの話題で話を続けられるのもどうかと思い、汐里はそう提案した。一ノ瀬はそれに同意するように頷く。

「そうだね。じゃあとりあえず駅前の方に行きながら考えようよ」

「駅前だったらあそこは? ほら最近できたファミレス」

「あー、あそこね。ファミレスだったら色々食えるから、そこでいいんじゃね? 値段もそんなにしないだろ」

 とそんな風にどこかだらだらとした会話をしながら廊下を歩き、昼ご飯はそこのファミレスに行くことに決定したようだった。まあ家でカップラーメンを食べるよりは健康的か、と汐里はぼんやりと思った。




「今回のテスト、数学難しくなかった? 点数やばいかも」

「俺は数学よりも英語の方ができなかったわ。ヤマ張った方が良かったかなー」

「いや、ちゃんと範囲示されていたんだからそれただの勉強不足でしょ」

 昼下がりのファミレス内で、汐里を含めたグループはピザやらパスタやらフライドポテトの軽食とドリンクバーから持ってきたソフトドリンクをテーブルに並べ、今回のテストを話題にしていた。汐里は適当に軽く食事を済ませており、ミルクを入れたコーヒーをちびちびと飲んでいる。

「高畑さん、コーヒー好きなんだね。高畑さんの雰囲気に合うな」

 汐里の隣に座っている一ノ瀬がコーヒーを飲む汐里を眺めながら、柔らかい声色で言った。汐里はコーヒーカップを置くと、「普通のコーヒーはね。でも缶コーヒーは好きじゃないんだ」と呟く。

「そうなんだ? 私も缶コーヒーは全然飲まないんだ。気が合うね、高畑さん」

(サエジマさんは見かけるたびに缶コーヒー飲んでるけど……)

 と汐里は、公園で出会い何度か話をし、友人である鈴と澪にあやうく誤解されてしまいそうになった男性、サエジマのことをふと思い浮かべた。今頃はどこかで仕事をしているのだろうか。

「あー、そういえばファミレスに来る途中で見かけたけど、三組の山本と杉原。あいつらいつの間に付き合ってたのかな」

「聞いた話だと夏休み中だってよ。俺らが部活で炎天下の中走り回って汗流しているときに、あの二人は違う汗を流していたってわけ。やってらんねー」

 ピザをもぐもぐと食べながら、壮真の隣に座っている男子が羨ましそうに言った。汐里は特に反応しなかったが、一ノ瀬の友人の茶髪の女子はそれを聞き「うっわ、モテない男の僻みじゃん。しかも下ネタ」とけらけら笑っていた。

「はー? 別に僻みじゃねーっての」

「いやいや、僻んでるっしょそれ。壮真君だったら信じられるんだけどねー。……あ、そういえば壮真君も彼女っていないよね。前に別の高校の女子から告白されたって聞いたけど、断ったんだ?」

 それを言われた壮真は食べようとしていたフライドポテトを口に入れることはなく、小皿の上に置いて、「まあ、そうだな」と頷いた。他校の女子からの告白を断った、というのを聞いた他の男子二人は「信じらんねー」「ありえねー」と大げさに声を上げている。


「ま、モテない男共の叫びは放っておいて……高畑さんはどうなの? 実は気になってたんだよね、高畑さんに彼氏とか、好きな人がいるのかいないのかって」

 とこの話題を振られた汐里は、さすがに驚いた。壮真を含めた男子たちも気になるようで、汐里に視線を向けている。

「ええー……この流れからいきなり私に振る?」

「あ……実は私も気になってたんだ」

 一ノ瀬も興味津々といった風に隣に座る汐里の顔をひょい、と覗き込んだ。汐里は時間を稼ぐためコーヒーを飲みながら、テーブルを挟んで向かいに座っている男子たちをちらりと見てみると、明らかに汐里の返答を待っていた。壮真だけがどこかそわそわしたように視線を泳がせていたが、汐里はそこまでは気づいていなかった。

(うーん……逃げられないか)

 時間稼ぎのコーヒーも飲み終わり汐里はコーヒーカップを置いて、黒髪の毛先を指先でいじりながら、口を開く。

「別に今は彼氏なんかいないって。好きな人……っていうか、興味ある人も……」

 いないよ、と口にしようとしたとろで、汐里はほんの一瞬だけ……そう、一瞬だ。黒いスーツ姿のサエジマのことが頭の中に浮かんだ。

 それは汐里にとってまったくの予想外のこと。何であの公園での風景を思い出してしまったのだろう。よりによってこのタイミングで。


「……いない。うん、いないよ」

 それが汐里の言葉を途切れさせ、この場をにわかに騒がせる原因となってしまった。

「え、マジ? 質問しといてあれなんだけど、高畑さん好きな人とかいるわけ? 同級生? 先輩? それともまさかの後輩?」

「いや、違うって。今のはいきなり質問されて驚いただけだから……」

 汐里はそう言うも、驚いたのは確かにその通りなのだが、うまく返答できなかったのは一瞬だけ浮かんだ彼のことが原因。これでは誤解されてしまうのも無理はない。

(あー……こんなことなら、さっさと家に帰ってれば良かったかな……)

 思わず表情を曇らせた汐里に気づいたのか、一ノ瀬が「そういえば」とこの話題を遮るように言った。

「まだデザート頼んでなかったね。壮真君、店員さんを呼び出すボタンを押してもらってもいい?」

 一ノ瀬はにこりと小さく笑い、恐らくここにいる中で一番驚いている壮真に頼んだ。壮真は「あ、おう」と気の抜けた返事をして、テーブルの端にある店員呼び出しボタンを押した。

「みんな、高畑さんが困ってるからこの話はここまでにしよ? 根掘り葉掘り聞くようなことでもないじゃない」

 この場を落ち着かせるような一ノ瀬の言葉に、他の面々はそれに納得したようだ。先だって汐里に質問をした女子が「ごめんね高畑さん、気分悪くさせちゃって……」と申し訳なさそうに謝ってくる。汐里は小さく首を振り、

「気にしないで。こういう話、あんまりしないからさ。ちょっと驚いただけ」

 と小さく笑った。汐里に謝った女子がほっとしたように表情を緩めたところで、店員がやってきた。追加の注文をすることで、いきなり振られたこの話題は完全に途切れたようだ。

「一ノ瀬さん、ありがとうね。このお礼はちゃんとするから」

「大したことしてないよ、気にしないで。それに私……本当は気になってるんだ。さっきのこと」

 汐里が隣に座っている一ノ瀬に小声で感謝を伝えると、一ノ瀬も同じように小声で返す。その言葉は何かを含んでいるのか、どこか悪戯っぽい。

 汐里はそれが気になり確かめようとしたが結局、このファミレスにいる間にそれを確認することはできなかった。

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