第17話



 浴衣を着させたまま追い出された葵と、なんならこれでも持ってきなと言われ嫌々甚平を持たされた翔はこれからのことを決めあぐねていた。


 時刻は午後5時弱、花火大会は午後8時から始まるため時間は3時間以上もある。


(あんな風にカッコつけてくれちゃって……時間の事考えてないだろ、あのおばあちゃん)


 チケットをくれたことは感謝してるが時間の事も少しくらい考えてほしかった。葵の浴衣姿はもの凄く良いし、秘めた性癖には刺さってくるが故に文句はないが、3時間もこの格好でいたら怪我しそうで怖い。


 どうせ葵の事だ、絶対に慣れない下駄で下駄ずれを起こすだろうし、一旦脱いで後から着せてもらいたかった。とはいえ、おばあちゃんはシャッターを閉じて逃げたし、どうにもならない。


(はぁ…………それに、葵を落せって……まぁ、確かにあの夜もあったし責任はあるだろうけど急に言われたら、まだ心の準備もなぁ……3時間もあるけどさ)


 考えれば考えるほど分からなくなっていく気がして、目を伏せることにした。ひとまず、花火大会の時にでも考えればなんたかなるだろう。好きだなって思ったら告白するべきなのだ。


「——んで、どうしようかぁ」


「……ん」


「んって、どうしたんだよ?」


「いや、なんでもないけど……」


 否定するわりにはムスッとしている葵を翔は隣から覗き込む。浴衣に怖い顔は似合わないぞと言ってやろうかと迷った翔目がけ、葵は頬を赤くしながら、一発のデコピンを放った。


「——いて!?」


 情けない声が温泉街に響き渡る。すると、葵は腕を組んでそっぽを向いた。

 抜けている癖に、何かあれば態度を変えるのは昔と同じようだ。


「いいから、こっち見ないで」


「な、殴らなくても……俺悪いことしたか?」


「殴ってない、デコピンだし。それに悪いことは言った」


「——言った? 俺が何を言ってんだよ」


「—————って」


 口をもごもごとしながら呟く彼女に対し、今度は耳を近づける。気が付いた葵はすぐに耳を齧った。


「あむ!!」


「——いっ‼‼‼‼ な、何しやがる!!」


「……耳を見せてきたから」


「んなぁ、理不尽な!」


「別に。うざいの……なんか」


「うざいって葵が何言ってるか分からなかったからで」


「なんでもない」


「は」


「なんでもないっ‼‼ いいのっ、いいからホテルに戻ろ!!」


 ほんの数分前までは翔に褒められて頬を真っ赤にしていたはずなのにがみがみし始めた葵は鼻息を鳴らしながら手を引いた。







 温泉宿の部屋に戻ってきた二人。葵はさすがに浴衣姿が窮屈になったのか帯を外して前をはだけさせながら正面を座る。目の前の翔の事を考えていないのか、下着は半分丸見えだった。


 ただ、そんなことを指摘できない翔は引け越しでこう訊ねる。


「あのぉ……葵さん、機嫌は直りましたか?」


「別に怒ってないわよ」


「怒ってないんだったらなんでさっきから睨んでくるの、俺の事を」


「——睨んでない、見つめてるの」


(いやぁ……見つめてる人は自分から見つめてるなんて言わないだろうに)


「そ、そないですか……そろそろご飯だし、ほら、片づけようか」


「っん」


 コクっと頷き、立ち上がると二人は無言で散らかったリュックの中を掃除を始めることになった。


 数分ほどで部屋を片付け、席に着いてからしばしの無言が続く。


「——」


「あ、あのっ」


 そんな静寂を切り裂いたのはこの雰囲気に耐え切れない翔だった。


「まじで、どうしたんだよ……さすがにその恰好で怒らせるのも嫌だから教えてくれないか、謝るから」


「——」


 翔がそう言うとスマホをポチポチと触っていた手を止めて、チラッと視線を移した。


「ん、ちょっと——顔が怖い……」


「何?」


「な、何でもないです……」


「私がなんで怒ってるのかって言った?」


「あぁ、言ったけど」


「別に怒ってないし、そこは分かってね?」


「まぁ、うんっ」


 翔が引け腰に頷くと葵は一間置いて、真剣な顔でこう言った。


「——目を瞑って」


「は、はい?」


「いいから、瞑って!」


「わ、分かったから……もう、なんだよ」


 恐る恐る目を閉じる。


 すると、次の瞬間。

 耳元でがさっと音がして肩を震わせて瞼を開いた刹那だった。








「——好きです、付き合ってください」









 一瞬。

 ほんの一瞬だった。


 え、何言ってるの? とすら思わなかった。


 思考が停止する。息がかかる位置にいる葵の横顔が見えて、何が何だか分からなくなる。


 いい匂いがして、浴衣の切れ目から下着が見えて、耳からは「好き」。意味が分からないてんこ盛りの状態。


 固まった思考をなんとかフル回転させて、状況を整理する。一度告白未遂を受けているせいですぐさま考える思考には至ったのだが……切れ気味の葵から発せられる言葉とは思えなかった。


(好きって言ったよな。あの時みたいに……いや、あれかシノンが好きとか……。いやでも今度は真面目な声だったぞ。しかも用意周到に俺に目を閉じろまで言ってきたし、まぁ、俺だって? ちょっとは期待したけど……ってそんなことじゃない! 俺の事が好き? まじか、やっぱりそうなのか? 多分そうだろうとは思っていたけどいきなり過ぎるのが……)


 この間一秒。

 体の制御を捨てて、頭をフル回転させながら固まった翔の肩を葵が揺すった。


「……ねぇ」


「——」


 かれこれ十秒以上。固まっていた。すぐさま気づいてゆっくりと離れていく葵にフォーカスを合わせる。


「な、なに⁉ え、何⁉」


「別に……何でもないわよ」


「は、何でもないって……好きって今」


(言ったよな、キムチとか……漫画みたいな聞き間違えじゃないよな?)


「えぇ、言ったわよ? それだけよ」


「いや——え? シノンがすきじゃ——」


「違うし、今日は……その、翔が好きなの」


「————俺、が?」


「えぇ、そうだけど」


 少し頬が赤い気がしたがそれ以外まったく表情が変わっていなかった。至って真顔。いつものやっちゃいました~~なんて顔はしていない。


 信じざる負えない状況に目を瞑りたくなるが葵の目を見たら何もできなくなっていた。


 胸がゾわぞわする。


「お、俺は……」


 心を落ち着かせながら、ぎゅっと葵の浴衣の袖を掴み、口を開く。


 準備などできていない。何を言えばいいかも分からない。

 どうしようかなんて考えてなくて、あの時と一緒。


 考えさせてなど言える雰囲気でもない。

 

 そして、無意識に――翔はいつの間にかぽろっと呟いていた。


「俺は——」


 しかし、その瞬間。


 コンコン。


「「⁉」」


 肩を揺らす二人。するとすぐにドアの方から


「夕飯の方をお持ちしました~~」


 仲居さんが優しい声でそう言う。

 結局二人は告白をうやむやにする形で夕飯を食べることになったのだった。


 

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