第18話


「食器等は食べ終わったら部屋の外に置いてもらえれば大丈夫ですのでごゆっくり、ごゆっくりお楽しみください、あ、失礼っ……んん! お召し上がりください」


「……は、はい」


(言い間違えたぞ、こいつら…………ってそうじゃないな、この状況じゃ)


 全くもってその通り、状況は最悪とは言わないまでも翔にとってはかなりのピンチだった。


 豪勢な夕飯を前に翔はまったく感動をできなかった。もちろん彼も庶民の一人で一流シェフが作ったカニ尽くし、サーモン尽くし、マグロ尽くしの料理を見たら興奮必死なのだが……生憎と今日だけはそうもいかない。


 なぜなら、先程。

 実に1分ほど前の話。


(俺は葵に告白されてしまったしなぁ……)


 今度こそ、本当だった。表情も、声色も、何もかもがすべて本気をひしひしと伝えてくる。肌身を感じて彼はそう思った。


 今回は誤魔化すことなく、色々と模索している彼への先制攻撃を堂々と、その大きな胸を張りながら彼女は解き放ったのだ。


 おかげで先程から箸が全くとして動いていない。とはいえ、彼も人生で告白をされたのが初めてでもある。それを鑑みれば動揺するのもおかしくはない。


 目の前に広がる豪勢な食事に口を頬けながら、何食わぬ顔で食していく葵に翔は何もできていなかった。


(だって……いや、俺は……でも)


 言い訳をしたいわけじゃない。ただ、そのままの意味で彼は葵の事を好きかどうか答えが出ていなかった。本当に好きなのか、好きだという答えが出ていないのに付き合っていいのか。


「食べないの?」


「いや、食べる……」


 指摘され、箸を持った翔はふと気がついた。


 答えは出ていない。だというのに、あの時ーー


(俺は……何を言い出そうとしていたのか)


 知りたい答えだった。仲居さんが来なかったら確実に口に出していた。何かを、心の底から湧き出てくる何かを発していたのは明らかだった。


 ただ、今となってはそれももう思い出せない。


 目の前の焼き魚を崩し、箸で鮭の肉を掴む。

 蜜柑色で、綺麗な筋と脂の乗った最高にうまそうなそれを彼はじっと見つめていた。


「あのさ」


「っは、はい?」


「……ちょっとトイレ行ってきてもいい?」


「ん、あぁ、いいけど……」


「食べてていいからっ——」


「……おう」


 思いつめた顔をした翔の隣をそそくさと通り過ぎて部屋を飛び出していく。


 出た途端「あ、こっちじゃない!」と聞こえてきて、いつも通りな彼女に翔はどこか安心してしまった。


 パクッと一口。

 香ばしい香りと鮭特有の油がジュルッと口の中に広がった。


 美味しい。そう思った束の間。


(——って、俺は何を安心してんだよ‼)


 安心できる状況ではないことに再度気がついた。


(この状況はあれだ、かなりまずい。答えたいのに、俺との気持ちが固まっていない以上、「はい」か「いいえ」で答えられないじゃないか! 確かに達也のやつは嫌いじゃないのなら付き合っとけとか言ってたけど……今回のは本気だ。この前の雰囲気に流されて答えてはいけない気がする。本気で言ってくれたのなら、俺も本気で答えるべき――だと、思う)


 しかし、その本気が分からなかった。


 昔から仲が良く、小学生の頃も、中学の最初の頃も二人は一緒だった。家も近所で、将来のお嫁さんは君だねと約束したこともあった。だからこそ、葵を嫌いなんて天地がひっくり返っても言えないし、言うつもりも毛頭ない。


 だからと言って、好きだとも言い切れなかった。


 好きって何だろうか、好きの定義って何だろうか。高校時代は勉強とサッカーに明け暮れていた翔には少し難しい話だった。たまに男友達と遊びに行くだけで本格的に女子とつるんだこともなかった。まぁ、関わりがなかったわけではないがだとしても異性を本当の意味で好きになったことはない。


(……でも、逃げちゃいかんよな)


 結局、あの歪んだ夜さえなければここまで苦しむことはなかった。何度も後悔してるけど、あれを拒否していれば真剣な恋愛が始まっていたかもしれない。


 葵は幼馴染だ。きっと、好きになれる。


 そんな考えが翔の深層にはあった。ただ、気づいていない。気づいていいのかも分からなくて引っ張り出せないでいた。


「はぁ……」


 溜息を溢して俯くと蟹味噌が詰まったカニの目と目が合う。その目に映る自分の表情。これが花火大火に行くことを強がりながらもまぁまぁ楽しみにしていた男の顔とは思えない。


 じっと見つめてくる蟹。


「……好きって、何だと思う?」


「……」


 カニが答えるわけもないのに、まるで猫の手でも借りたいかのような状況で頭がくるってきたのか、少々荷が重すぎたかもしれない。


「……くそ、俺も一回くらい恋愛してたらなぁ」


 それでも変わったのだろうかと疑念が残るほど何かに縋りたかった彼は齢20歳にして、その意味すら掴めていなかった。







 一方、葵の方は部屋のトイレを使わず、外にある階層トイレの個室に座っていた。


「……ねぇ、どうすればいいの⁉ やばい、答え聞きそびれたんだけど!!」


『あのね、そんなことをいちいち電話してこないでよ……私にも私の時間があるのよ』


 こっちはこっちで迷走していた。


 あそこまで空かした真顔で言っていたというのに、翔が本気で考えている所悪いと思わないのかと突っ込んでしまいたくなるのだが——実に葵らしかった。


 電話の向こうでため息をついた瑞樹に少しもやっとして彼女は言い返す。


「そんなこと言わないでよっ! 私だって頑張ったんだよ、そ、それはまぁ確かに言うタイミングとかちょっと間違えたかもしれないけどさぁ」


『どうもこうも、分かってるじゃん。そうよ、早まりすぎ』


「……だって、なんかその気ないとか言われたし」


『それで早まったの、焦って?』


「うん……まぁ」


『私といるときはそこまでヘマしないのに……どうしてなのかね、ほんと』


「そ、それは私が聞きたいし」


『こうやって電話で相談されてる私の方が知りたいんだけど?』


「うっ……」


 電話の先から会心の一撃を受けた葵の声が聞こえてきて、何と反応してあげればいいか分からなくなっていた。


(ただ、電話で内容を聞く感じなら翔君も恐らく考えてくれているのだろう。幼馴染で、私との仲よりも親交は古いらしいし葵の事はよく分かっていると————思いたい。なんか、葵の幼馴染って聞いたらちょっと抜けてる気がしてならないけど。まぁ、大丈夫だろう)


 少しだけ合っているということも知らずに瑞樹の口からはため息が漏れる。


「……ど、どうしたら、いいの……かな」


 弱弱しい声が再び聞こえてきて、適当に答えるわけもいかなかった。

 

(まぁ、さっきの邪推を気にしなければちゃんと答えてくれるのは明白だし、ここは果報は寝て待ての精神でいれば何かしらアクションは得られる。あとは……葵の告白が了承されるかどうか、だ。個人的には受け入れると思うけどね)


 どうしたら受け入れてくれるのか、後はそこに注視すればいいのだ。あまり恋愛の経験もない、というかまったくない瑞樹としては憚れる命題だったがすぐにハッとした。


『ねぇ、幼馴染なんだよね、翔君と?』


「え、まぁ……うんっ」


『なら、その兄から聞いた話なんだけどさ、男って意外と単純だから――――すればいいと思う』


「え⁉ な、なんで……そんなこと」


『文句言わないでよ。私にはそれくらいしかい思いつかないわ。でも、兄は結構惚れたって言ってたし』


「……う、うん……」


『とにかく、私はそのくらいしか言えないわね』


「あ、ありがと……」


『じゃあね。いつか、何か奢ってよ?』


「……うん。分かった」


 電話がプチッと切れ、一気に現実へ引き戻される葵。


「……どうしよ」


 顔を両手で囲み、何とも言えない声が漏れる中。


 手に持っていたスマホがバイブレーション通知で震える。画面を見つめるとそこには『そろそろ花火だから、帰って来てくれ』と翔からのメッセージが入っていたのだった。

 







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